底辺魔法使いと殺人瓶

澤村しゅう

高校生魔法使い

第1話 命がけのかくれんぼ

 ひたひた、ひたひたと。

 びくつく自分をあざ笑うかのように、複数の足音が行き来する。


 俺は伸び盛りの手足を窮屈にかがめ、存在そのものを消し去るかのようにただひたすら息をひそめていた。


 狭く息苦しい空間。遠く響く雨音。

 隙間からわずかに差し込む光をわずかなよりどころとして、精神の安定を図る。


 別に暗所恐怖症というわけではないが、情報がほとんど得られない状況のなか。このわずかな明かりが言いようのない安心感を与えてくれていた。

 足音とともに、時折光が遮られる。行き来する人影。


 この明かりを確認すれば、目の前に人がいるのに気づかず、うっかり外に出てしまうという失態を免れるだろう。

 真横にさえ立っていなければ逃げられる確率が上がる。囲まれなければ、の話だが。


 明かりの差し込む隙間から外をのぞけば、もっと多くの情報を得ることができるだろう。しかし、がくがくと震える指が扉に触れることを拒否していた。

 もし体勢を変えて、ぶつかった拍子に扉が開きでもしたら。もし、アイツらに見つかってしまったら、どんな目に遭うか分からない。


 まさかこんな、命がけのかくれんぼをすることになるとは思わなかった。

 自分の浅はかさを呪うが、過ぎてしまった時間は取り戻せない。


 獣のうなりのような雷鳴が鳴る。勢いを増した雨音により、室内でもその激しさを知ることができた。

 傘は持っていない。けれどもこの勢いだと、傘を差してもずぶれになってしまうだろう。行き交う人々が外の様子を話題に出しては、廊下を足早に通り過ぎていく。雨の勢いが落ちるまで室内で待機。それが得策だろう。次第に廊下を行き交う人の数が減っていく。


 足音が減り、そろそろかと体勢を変えようとした途端。聞きたくなかった、おぞましい声が聞こえてきた。


「見つけたか?」

「いえ、まだです。入り口を見張らせたので、まだ区役所内にいるはずですが」


 足音が目の前で止まり、ひそめられた会話が大きく聞こえる。ぞわりと全身に鳥肌が立ち、身をさらに縮こまらせて口元を手で覆った。


 自分の呼吸の音がうるさい。

 こんなに息を荒らげていたら、外に聞こえてしまうのではないか。もしかしたら、その呼吸の音に気づいて、立ち止まったのではないか。そんなはずはない、と通常の呼吸を心がけるが、意識すればするほど息が苦しくなった。


「騒がれると厄介だ。見つけたら真っ先に口を封じろ。庁舎内では殺すなよ? 工場に引き渡す」


 殺す。

 直接的な表現を聞き、喉が引きつりそうになる。


 殺される。

 もしかしたら、と仮定していた出来事が現実になりそうで、うっすらと目に涙がにじんだ。


 どうして。なんでこんな目に。

 ちょっとした好奇心だったのに、と身が恐怖で震え始める。


 ほんの数時間前の行動を激しく後悔するが、状況は変わりそうにない。

 地を揺るがすような雷鳴が、湿った空気を震わせた。雷が近くに落ちたようだ。悲鳴と嗚咽おえつこらえ、ぐっと歯をみしめる。


 奴らはなおも、目の前で声を潜めながら会話を続けていて。これ以上聞いていたら気が狂いそうだと、両手で耳を覆った。


 死にたくない。殺されたくないのに。

 混乱する頭は冷静に働いてはくれなさそうで。どうしたらいいか、まったく分からない。


「ああ、部長! 来月のバーベキューですが、部長も参加されますか?」


 遠くから声が聞こえ、足音がもうひとつ増える。


 目の前で交わされていたひそひそ話は打ち切られ、新たに加わった声の主が和やかに会話を展開し始めた。

 膝を強く抱えたまま、外の様子に耳を澄ませる。


「部長も参加されるなら、ビールの銘柄指定しておかなきゃと思って。白虎びゃっこビールで良かったですよね?」

「ああ、白虎が好みではあるが……バーベキューとはなんのことだ?」

「やだなぁ、総務部と合同の奴ですよ。言い出しっぺはそこの……って、あ。部長には内緒だった?」


 やべ、悪い。と小さくつぶやく声が聞こえる。続いて、いやそのあの……と歯切れの悪い男の声。


「ぶ、部長クラスの方々は、詳細が決まってからあらためてお誘いしようと……」

「そうか。……総務部の部長にも伝えてやらんとなぁ」


 どすどす荒い足音と、それを追いかけるように、なにやらしきりに弁明している声が続く。「総務部の部長には先に伝えてありますが、偶然で、特に意図は……」と慌てたような声が足音とともに離れていった。


 これはどうやら、部長って人がみんなからハブられてたみたいだな。


 突如繰り広げられた茶番に呆気あっけにとられるが、何はともあれ奴らはこの場から居なくなった。これで、先ほど加わった人がどこか行けば、ここから逃げることも可能だろう。

 引き続き、ひっそりと息を潜める。


「……さっきの礼だ。中学生にもなってかくれんぼとは、わんぱくが過ぎるぜ」


 誰も居ないはずの廊下で、残された男が独り言をいった。まるで自分に向けたかのような声に、ぎくりと体が硬直する。


「なか、いるんだろ? さっき入ってくとこ見えたんだよ。何やってんのかと思ったら、一部の職員連中に追いかけ回されてるみたいだし……他に人居ないから、いまがチャンスだぜ」


 出てこいよ、と促される。

 隠れるところを目撃されていたのでは、ごまかしきれないだろう。一瞬躊躇ちゅうちょしたのちに、のろのろと重い引き戸を開けた。


 廊下の隅に置かれた、スチール製のロッカー。その下の段に身を潜めていた。


 長い間掃除されていないのか、中はほこりまみれで。誰かの私物とみられるタオルが、ぐしゃぐしゃに詰められていた。

 それを押しのけながら、雨音に包まれる廊下へと足を踏み出す。


 電灯による逆光で見えにくかったが、呼びかけてきた人の声と顔には覚えがあった。

 青柳あおやぎさん。

 さっき会話を軽く交わしただけの人。ここの区役所の職員だ。


 敵かもしれない、と警戒しつつも、この人なら助けてくれるかもしれないと希望を抱く。


「なにやらかしたんだ? 中学生。正直に言えば一緒に謝ってやってもいいぜ」

「高校生なんだけど。……なにもやってないし」

「なにもやってなくて、あんなに追いかけ回されるかよ。ま、高校上がったばっかじゃ、まだ中学気分も抜けねぇよな」


 もう二年生だ、とは言う気になれなかった。よけいに馬鹿にされそうな気がする。助けてもらったけれど、素直に礼を言いたくない態度だ。

 けれども、彼が来てくれなかったら命がなかったかもしれないので、しぶしぶ「ありがとうございました」と礼を口に乗せる。


「何したか知らねぇが、あの部長は融通効かねぇ石頭だからな。こっぴどく叱られたくなかったらさっさとおうちに帰りな、ガキんちょ」


 さっきの礼として見逃してやる。そう言って、手をひらひらと「あっち行け」とでも言うように振ってみせる。

 自分的には、そんな礼を返されるほどのことをしたつもりはないが。見逃してくれるのは大歓迎なので、ありがたく受けることにする。


 区役所の職員にしてはラフな態度。周りから慕われる人柄。俺を助けるために効かせた機転。

 ……弱っていた心は、目の前の大人にすがりたい衝動に駆られる。


「あの、さっき話してた人たちが、誰も気づいていない連続殺人の犯人だって言ったら……信じますか?」


 口にしたあとで、あまりの突拍子のなさに自分でもあきれた。バカげた質問だ。

 目の前の人は区役所の職員で。部長、と奴らを呼んでいたことから、きっと同じ部署の人なのだろう。上司を捕まえて殺人犯呼ばわりだなんて。


 そもそも、誰も気づいていない連続殺人、という言葉が滑稽だ。


 誰も気づいていない事件を自分だけが知っているだなんて。子どもの遊びと思われても仕方がない。

 ぐるぐると己の失態を後悔していると、目の前の人から低い声が放たれる。


「……連続殺人のこと、どこで知った?」


 衝撃から顔を跳ねあげる。

 真正面から顔を見て、ぞくりと鳥肌が立った。先ほどまで浮かべていた笑みが消えている。まさか、この人もアイツらの仲間なんじゃ……


「そうおびえるな。おまえに危害を加えるつもりはねぇし、部長らの仲間ってわけでも……というか、部長が犯人だっていうのか?」


 一歩後ずさった俺を見て、慌てて苦笑しながら手を振ってくれる。続いて投げかけられた質問に、警戒心を解かないまま、小さくうなずいた。


「詳しく話を聞きてぇとこだが、まずはおまえを無事に逃がしてやったほうが良さそうだな……」


 出口まで案内する、という彼に、先ほどロッカーの中で耳にした情報を伝えてやる。入り口を見張っている仲間がいるはずだと。

 すると彼は俺の言葉を疑うことなく、裏口から逃がす、と案内してくれた。

 外はまだ土砂降りで。外を歩いている人が少ない分、裏から走れば誰にも気づかれずに逃げ出せるだろう。


 唯一の関門である警備員の注意を引く前に、彼は俺の携帯番号を聞いてくる。うその番号を言おうか迷っていると、力強く肩を抱かれた。


 乱暴なそのしぐさに驚いたが、向けられる顔は優しくて。逆になんだか、安心感を得てしまった。意識していなかった体の震えが、少しだけ和らぐ。


 彼はそのまま、子どもをあやすかのように数度背中を優しくたたいてきて。大丈夫だ、と小さくつぶやいた後、ぐしゃぐしゃと頭をでてくる。


「おまえのことをチクったりしねぇから安心しろ。むしろ協力するから、詳細を聞かせてくれ。……おまえに会えて、俺はうれしいんだよ」

「うれしいって?」


 この場にふさわしくない表現が出て、彼の顔を見上げる。

 彼は周りを注意深く警戒しながら。口元をいびつにゆがませて笑った。


「俺以外に、不審死に気づいた奴がいるとは思わなかったからな」



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