特定保健用精神刺激薬『Emotion』
月輪話子
特定保健用精神刺激薬『Emotion』
天井が高く、北の壁に一つだけ小さな窓のある鈍色の密室。
インテリアは机椅子・寝所のみしか存在せず、生活感はない。
静かに稼働するダクトにより温度湿度は調整され、空間は常に清潔と快適を保つ。
その無機質な自室兼仕事場で、眠るように腰掛に背を預ける青い肌の女性が一人。
「~♪ 時刻は1ターク12オー。作業を中断し、各自速やかに第一休憩をとってください。」
静寂を破り、スピーカーから響いたスピーカーアナウンスに反応し、今しがた1000万件の動作確認作業を終えたその女性は、瞼を開け一息つく。
そして早々再び目を閉じ、神経接続先を職場のローカルアドレスからオンラインに切り替え、星間ショッピングモールにアクセスする。
検索>『Emotion』
瞬く間に彼女の脳内に『Emotion』というカテゴリの、数十の商品情報が展開される。
「『込み上げる鮮やかな後悔』
新感覚ついに上陸
決意新たに業務能率指数500の世界へ」
ひときわ大きく表示されているキャッチコピーに惹かれ、彼女は「後悔」の商品情報詳細を手繰り寄せた。
「後悔:自分のしたことを後になって悔やむこと」
「『蜘蛛の目覚め』 濃縮 5/15/40
『拝啓、救済の少女へ』 濃縮 5/15/40
大好評フレーバー 2種同時発売」
広告には文字と共に、赤と青のスーツを着た青年、長い黒髪の少女が描かれたラベルがそれぞれ貼り付けられた小さい遮光瓶が2つレイアウトされている。
女性はさらにレビュー欄のデータを引く。
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生産性向上を期待し、救済の少女への全濃縮率を購入。
過去に想いを馳せる負荷が原動力につながり、服用時の業務能率指数は538まで上昇した。
しかし濃縮40では負荷が逆効果となり業務の精緻に影響が見られたため、それ以下が適当と考えられる。
―――――――――――――
その他いくつかのレビューを見たが、概ね共通する所感が寄せられている。
(比較として「拝啓、救済の少女へ」の方はえぐみがある、という内容もあった)
その中、とある異星人のものと思われる投稿が炎上していた。
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感情を生むドラッグなど、飲むべきではありません!
私の星では感情が醜く凄惨な争いを生み続けてます。
毎日のように爆撃があるため、民間人は地下シェルターの中で怯えながら暮らしていて、とてもつらいです。
私たちにとって、行動に感情が伴わない種族である理性的なあなたたちはうらやましいし、その進化を誇りに思ってほしいです。
感情を美しいものに見せようとするあこぎな企業のプロモ―ションに惑わされないでください!
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「←返信」
何を価値とみなすかは個体・環境ごとに異なり、一義的に述べることはできない。
例えば、異星人には体内の水分量調節のために水を買って摂取する、ボディの故障時、外部的施術・服薬による治癒を必要とする種族があるというが、
同様に我々は感情に関する神経伝達物質を自前で分泌できないために、自らの業務の効率向上・他者(主に異星人だが)との円滑な交流の際のみ、必要としているだけのことだ。
破壊活動に関しては、最新の科学技術により有事、過不足なく適正に実施されるだろう。
あなたがたのように感情に自我を預ける特性はないので心配に及ばない。
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「←返信」
君のメッセージは実に感情的だ。
私はコラムニストをしているが、そのような読者の心に訴求するエネルギッシュな文章を推敲するには、やはり『emotion』が不可欠だと確信している。
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「←返信」
私達の星は単一国家制、中立惑星であるからして長期にわたる大規模な戦争の起こるリスクは低く…
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…
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いくつかの反論にさっと目を通した後、女性は「蜘蛛の目覚め」をマーキングし、サイトとの接続を遮断した。
そして体内時計を確認した後、椅子から上体を起こし、「少年と小さなカウボーイ」というラベルが貼られた液体の入った小さい遮光瓶を机から手に取り、胸部の第2動力コアのハッチを開け、注入口に液体を流し込む。
あと数分で午後の作業再開の合図がなるだろうという頃合い。
彼女は外部から注がれた「喜び」がエネルギーと混ざり合い体全体に行きわたるのを待つ。
特定保健用精神刺激薬『Emotion』 月輪話子 @tukino0
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