第2話 天使の冗談

 天使は「伝達者」であり、「連絡役」である。

 天使が何を伝えているのかといえば、おそらく、それは主に神と人との対話の伝達である。伝達には、ことばの失敗と、他者の裏切り(天使が伝達を改竄すること)がある。果たして、天使は、神の言葉を改竄して伝えるであろうか。

 「祈り」は、もともとは口で発声して神に話すことであったが、神は祈る者の心をすべてご存知であるので、祈りはことばにしなくても、ただ心の中で念じるだけで神に届いていると現在では多くのものに考えられている。

 神は欲望をもつように存在を作った。

 欲望はなかなか満たされることがないが、すると、大自然も、我々、愚かな人々と同じように欲求不満なのだろうか。大自然の欲求不満は、どのように癒されるものだろうか。

 性的な欲望は満たされないことがほとんどなのであり、我々は常に欲求不満なのだが、なぜか不思議と人々は子を産み、子孫を残し、生殖しつづけている。ここにどのような愛の秘密があるのだろうか。

 七つの大罪は、高慢、貪欲、嫉妬、大食、憤怒、怠惰、淫欲である。

 この七つの大罪による七種類の世界の崩壊の可能性がある。

 快楽は、動物が目的を達成するための途中過程にあるのであり、快楽は動物の目的ではない。快楽とは人が行動の目的を達成するために作られたのであり、快楽は宇宙の究極目的ではない。

 アダムは何語を話したのか。おそらく、アダムが話したのはヘブライ語ではなかっただろう。

 山内志朗が「天使の記号学」で指摘しているところによると、「超越的内在」というものが存在する。

 おれが解釈するには、「超越的内在」とは、人の心の中に、自分では理解できない重要で難解なものが存在することである。

 「超越的内在」と我々の自我はどのように連絡をとればよいのだろうか。

 神のことばは、天使とも、人の声とも異なる。神のことばは、おそらく、聖書とも異なる。

 神のことばを人に届ける天使が、くり返すが、天使が、皮肉や冗談や演技をするだろうか。皮肉や冗談や演技は、正確なことばの意味の伝達の失敗の原因となるものだが、天使は果たして、皮肉や冗談や演技をいうだろうか。

 存在には、被造物と流出物とがある。被造物とは、神によって創造されたもののことである。流出物とは、全知全能の神から流出してこの宇宙に存在する神の痕跡である。

 原因より結果の方が優れているので、宇宙の原因である神の流出物より、神の創造の結果である被造物のが優れているであろう。しかし、流出物は神の痕跡であり、流出物がどれほど醜くても、それは神と直接交渉するための手段である。

 命令というものは、数カ月に一回、あるいは、数年に一回しか出ないものだ。しかし、出された命令は、ごくわずかな例外を除き、必ず実現させる。それが命令というものだ。命令を出すものはそれくらいに、ひとつの命令を出すかどうかについて考える。命令を実現させる必要のない例外とは、命令がのっとられている可能性があることである。命令がのっとられている場合は、その命令は実現してはならない。

 天使がもし、神の命令をのっとっているようなことがあれば、我々はどうしたらよいというのだ。

 それが天使の冗談だとしても。

 神は、天使を自分の意思をもつように作った。神の連絡役は意思を持つ。天使は自由意思で神と個人との対話を仲介する。神はそのように天使を作ったのだ。

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