うっかり異世界に来ただけなんだから、魔法なんて使える訳無いだろ?
天翔登
第1話 始まり
夏休みの朝、蒼下蒼は自分の好きな漫画を買いに、親友と行きつけの本屋に歩いて向かっていた。今日の天気は曇り、太陽が雲で隠れているお陰で気温はいつもより高くなかったものの、普段よりも高めな湿度のせいで蒸し暑く感じる日だった。
「学校の課題も全部終わらせた。後はバイトをしつつ、気ままに休みを満喫するのみ。」
よしっと、蒼は小さくガッツポーズを作り、残りの夏休みをどう過ごそうか期待に胸を躍らせる。蒼下蒼、人文学部で学ぶ21歳の大学2年生。大学には高校を卒業した後にすぐ就職したくないという理由で進学し、将来はどうするかについてはまだ考えてもいない。ただ、今は自分の大好きな漫画やアニメなどを楽しんだり、自分のオリジナルの漫画を描くなどして、ひたすらに日本のポップカルチャー満喫するばかりであった。
「お前は相変わらずそういうのはすぐに終わらせるよな。俺なんてギリギリまで溜めて最後にパパっと片付けるってのに。」
隣を歩く鳴滝隼太 は、昔から変わらない親友の姿を見るとニヤリと笑う。鳴滝隼太、蒼とは違う大学に通う蒼と同い年の学生で、蒼とは小学校以来の付き合いである。隼太は蒼ほど漫画やアニメを趣味にしている訳ではないが、小学校の頃に蒼に影響されてからというものの、次第に自分から漫画やアニメに触れるようになり、今では自分の気に入った作品の深夜アニメをリアルタイムで視聴する程度にはアニメ好きになっていた。
「まあ、お前みたいにギリギリになって苦しい思いをするのはごめんだからな。」
「苦しい思い? はっ、確かに俺は最後まで溜めるタイプだったがそれを片付けるのに苦しいとは思うことは一度も無かったぞ。」
「そりゃ毎回俺が手伝う羽目になってたからな‼ 毎度毎度こっちに総量の6割を押し付けやがって‼ 今は大学も学部も別々になったんだから、もう手伝わないぞ。」
「む……。」
蒼の最後の一言に、隼太は表情を曇らせる。それを見た蒼は、おいおいと呆れながらに隼太の顔を見た。
「おいおい……ここまで来てまだ当てにするつもりだったのか? 文系学科の俺が理系機械工学なんて分かる訳無いだろ? 」
そんな他愛もない話をしているうちに2人は本屋に着いた。
「到着。ああ、早く続きが読みたいな。」
蒼はそう呟いて中に入ろうとした時、入り口で何か大きな物とすれ違う。誰かとすれ違うことくらい日常的に頻繁にあることで気にせず無視する事なのだが、その日は違った。蒼はすれ違ったものを無視できず、思わず何度も見て見間違いでないこと確認してしまう。蒼の見た物は、大きくパンパンに膨れ上がったリュックサックを背負ったマスコットキャラクターのようなクマの着ぐるみを着た人間だったのだ。
「「え⁉ 」」
顔も出さずに着ぐるみを着たまま店で買い物をするなど、まともな人間であればしないだろう。あまりにも珍しい光景に後ろにいた隼太までも二度見してしまい、2人は目を丸くして呆然とその場に立ち尽くした。
「なんだありゃ? 」
蒼は思わずそう呟かずにはいられなかった。全長2m前後くらいあるそいつのリュックサックからは、隙間から本が見え隠れし中身は本でいっぱいになっているように思えた。一体どんな事情があれば着ぐるみのままありったけの本を買い込むことになるのだろう? まぁ、考えたところでそんなことが自分たちに分かる訳は無いのだが。
「ただの不審者じゃね? 」
隼太は呆気にとられながも、着ぐるみから目を離さないままそう呟いた。着ぐるみは何も喋らず、軽い足取りでどんどん道を進む。謎の着ぐるみが気になり過ぎて、二人して店に入ることを忘れて自分たちから離れていく着ぐるみの後ろ姿を見送っていると、そいつはリュックサックの開いた口の隙間から一冊の本を落とした。あれだけパンパンに詰め込めば無理もない。しかし、着ぐるみは落としたことには気づいていないようで、後ろを振り返ることもせず、そのまま歩いて道を進んで行く。
「何の本だろう? これは……。」
蒼は、落としていった本が何なのか気になり、近づき拾って確認してみるとそれは、王道展開が熱いと評されている少年漫画の最終巻であった。
うわ、最後の巻を落とすのか……。
そう思いながら蒼は、遠目で先を歩くリュックサックを見つめる。そうしていると、後ろから隼太がやれやれと言わんばかりに軽く首を振って蒼の元へ歩いて近づいてきた。
「お前も好きだよな、放っておけば良いものをわざわざ拾ったりしてさ。俺だったらそのまま見ないふりをして関わらないようにするぞ。で、その本どうするんだ? あの距離ならまだ走れば間に合いそうだが、届けに行く? それとも、貰っておくか? 」
「いや、貰うって人のだぞ。それにこれは俺の趣味じゃないし、いらないよ。」
「なら捨てるか? 」
そう言って、隼太は蒼の手から本を取り上げると、ニヤニヤしながら蒼を見つめてくる。漫画やアニメが大好きでどんな作品でも粗末に扱わない蒼が、このまま捨てられないのを分かっているのだ。隼太は、人が悩んだり困ったりしているのを見て楽しむところがある。今思えば、わざわざ手に入りづらいようなアニメグッズを出しにしてまで付けて自分に溜まった宿題などを今まで手伝わせていたのは、時間が無くてあたふたしながら必死に宿題を終わらせようとする自分の姿を見て内心楽しんでいたのかもしれない。
こいつめ、そういうところは今でも腹が立つ。
しかし、若干の苛立ちを覚えながらも蒼は少し考え、取り上げた本を見つめた。どんなものであれ、作品には作者の思いがたくさん詰まっている。蒼も自分で漫画を描くため、作品を作る手間や苦労についてそれなりに理解していた。自分だって、自分の描いた漫画が読まれることなくただ捨てられてしまうのを考えればすごく悲しい気分になるのだ。そんな人の思いの詰まった結晶を自分の手で捨ててしまうことなど、蒼には到底出来なかった。
お前も、買われた奴に読まれないまま捨てられるのは嫌だよな。しかも最終巻……この結末が読めないのはあまりにも勿体ない‼
蒼は溜息を一つつくと、隼太の手から本を取り返し隼太と向かい合った。
「捨てる訳無いだろ。だからちょっと、届けてくる! 」
蒼は落とした本を届けることに決める。そして、リュックを背負った着ぐるみを見失わぬよう、本を手に持ったまま急いで走り始める。
「はは、お前ならそう言うと思ってたよ! もし、戻ってこれなくてもお前の分は買っといてやるから安心しろ! 」
親友の満足そうな声が後ろから聞こえてくる。とりあえず、自分の欲しい本が買えなかったという事態は無くなったようだ。蒼は、頭の中で描いていた欲しいものが買えなくなったという最悪の結末を全て振り払うと、歩く着ぐるみの後を追うことに集中する。
こうして、蒼はクマのような着ぐるみを走って追いかけ始めたのだが、追いかけていると、奇妙なことが起こった。着ぐるみは歩いて進んでいるのに対して、こちらは走って追いかけている。それなのに、全くお互いの距離が縮まらないのだ。相手の一歩は数メートル単位で進んでいるようにも思えた。
「一体どんなトリックだよ……。」
理解できない現象に蒼は顔をしかめる。走っても走っても距離が縮まらない……まるで夢の中で追いつけもしない追いかけっこをしている気分だ。
それでも、蒼は落とし主に本を届けたい一心でひたすら着ぐるみを追いかけ走り続ける。すると、着ぐるみは急に人気のない路地裏に入っていった。急いで着ぐるみの入っていった路地裏を覗き込むと、着ぐるみは地面に散乱したゴミや障害物をものともせず、軽快に進んでいく。
「どうしてこんなところを……おっと。」
蒼はゴミに躓きながらも、見失わぬよう着ぐるみを必死で追いかける。追いかけるたび、普段自分が通らない場所を進んでいくものだから、やがて蒼は自分がどこを走っているのか分からなくなってしまっていた。
まあ、道に迷ったとしてもスマートフォンがあるから何とかなるだろう。
蒼はそう安易に考え、自分の知らない道だろうと躊躇いなく突き進み、着ぐるみの後をさらに追い続ける。しかし、そんな追いかけっこを続けて5分経つも未だにお互いの距離が詰まることはない。気づけば、蒼の体力も限界に近づいて息切れも酷くなっていき、足を止めることはしないものの、走る速度は徐々に落ちていった。蒼は今までの学生生活の中で運動部に所属することはなく、特別スポーツをやって来た訳では無かったため体力はあまりある方ではない。それでも、5分もの間全力の6割の力で走り続けていられたのは蒼の気力によるものが大きかった。
「はぁ……はぁ……。そろそろ……限界。」
しかし、いくら気力でもっていたとしても生身の人間、限界はすぐに訪れる。気づけば息切れは激しさを増し、それにつれ体も段々動かなくなってきていた。
もう無理……。
このままではもう追いつけないことを悟ると、蒼は走るのを止めて歩き出し大声で呼びかけることに決める。
「あ……あの、すいませーーん! この本……落とし物ですよーー! 」
俺は、本を持って腕を頭上で振りながら着ぐるみに向かって叫ぶ。しかし、着ぐるみは声が聞こえていないのかこちらを振り返る素振りも見せず、足を止めることはなかった。これでは本を返せない。
「嘘だろ……。」
一瞬、本を届けるのを諦めようかと思ったが、手に持つ本が目に映ると門を無駄にしたくない、せめて買った人には読んでもらいたいという気持ちがどんどん強くなっていく。すると、疲労感が少し薄れたように感じ、もう少しだけ走り続けられる気がしてきた。
「くそ⁉ こうなったら……意地でも、届けてやる……。勝負‼ 」
蒼は前を進み続ける着ぐるみの後ろ姿を睨んで決意を固めると、もう一度走り出そうと一歩踏み込む。するとその時、おかしなことが起こった。なんと、着ぐるみが歩く前方の景色が突然グニャグニャと歪み始めたのだ。前方の景色が何の前触れもなく歪み元の景色とはどんどんかけ離れたものになっていき、最終的にそれは何も見えない、ただ絵の具で色んな色を何の考えなしにただ混ぜ合わせて出来たどす黒い色に変貌した。明らかに異常な光景だった。その普段ではありえないような不気味さが蒼にこれ以上先に進ませることを躊躇わせる。しかし。
これはきっと幻覚だ、普段運動しないのに急に体を動かすものだからきっと体が悲鳴を上げているだけだ。
蒼は、これを自分の酸欠や疲労によって起こった幻覚だと決めつけると、最後の力を振り絞り前へ前へと走り出す。一方、着ぐるみは何も見えなくなったその中を躊躇いもせず、グニャグニャ見える景色の向こう側へどんどん進んでいった。
「ま、待てー‼ 」
俺は本を届けるためだけにここまで来たんだ、ここで見失う訳にはいかない‼
そう心の中で叫んだ蒼は、着ぐるみの後に続く形で歪んだ景色の中へ飛び込む。飛び込んだ瞬間、周りの空気が言葉で表現できないような何だか今まで感じていたものと何か違うものになったような感覚を覚えた。前方は暗闇、そして微かに見える着ぐるみの後ろ姿。蒼は不安や恐怖を振り払いながら後ろ姿を頼りに追いかける。すると次の瞬間、前方の着ぐるみが発光したように見えたと思えばそこから光が溢れ、光はやがて蒼を飲み込んでしまった。
「う⁉ 」
気が付くと、蒼は一人森の中に立っていた。辺りを見渡すと一面が木々で生い茂り、見れば見るほど自分が今いるのは森の中だという事を思い知らされる。そして、気づいてみればさっきまで後を追いかけていたはずの着ぐるみの姿は何処にも見当たらず、完全に見失ってしまっていた。これではもう追いかけようもない。目標を見失ったことにより、ここまで無理を押して走り続けて溜まっていた疲労感が一気に蒼の体にのしかかり、それに耐えられず蒼はその場に尻もちをついてしまう。
「はぁ……はぁ……。あーー、ダメだったかぁ。何だったんだ? あの着ぐるみ……。歩いているはずなのに進む距離がおかしいし……、おまけに声を掛けても気づいてくれないし。ああ…もう疲れた……、早いところ隼太のところに戻ろう。」
蒼は、本を届けることができなかったことを悔しく思うと地面に大の字になって寝転がった。
こんなに走ったのは久しぶりだ……。動けない……少し休んでから戻ろう。心臓は体中に不足した酸素を供給するためにバクバクと激しく鼓動したままだ。
蒼は、少しでも楽になるように寝転がったまま大きく深呼吸を繰り返し、そのまま数分程度休憩する。
「それにしても、知らないところまで来ちゃったなぁ……。ここはどの辺だろう? 」
大学に入ってからの蒼の行動範囲は基本的に家から歩いて30分のところまでの距離しかなかった。なぜなら、その範囲内に通う大学があるだけでなく生活に必要な日用品類は全て揃えられてしまうからだ。また、その行動範囲で手に入らない物はネット通販で済ませてしまうため、大学に進学してから2年くらい経つものの、蒼は自分の住んでいる街について恥ずかしくもそこまで詳しくなかった。そのため、本当はこの辺りに森は無い筈なのだが今の蒼はそのことに気づけない。蒼はポケットからスマートフォンを取り出し、自分が今どの辺にいるのかを調べようと電源を入れると、圏外という表示が出ていた。これでは自分の現在位置も調べようがない。
「おいおい、冗談だろ? 」
蒼はスマートフォンをポケットにしまうと気持ちを切り替え、これからどうするかを少し考える。現在位置は森の中。道は何処にもなく目印になる物も無い、おまけにスマホは役に立たない。ただ、今の自分の持ち物で頼りにできるのはスマホだけだ。だったら、電波のあるところまで歩くしかない。
じっとしていても助けなんて来ないだろうし、万が一にもあの隼太が迎えに来てくれるなんてありえない。なら……。
「とりあえず、電波の届くところまで歩くしかないか……。」
ここに留まっていても仕方ないため、ひとまず自分の来た道を引き返すように自分の後ろ方向へ歩き、森を出ることに決める。しかし、どんなに進んでも、自分の知っている道に辿り着くことはなかった。実は本当は違う世界に来てしまったことを、蒼はまだ知らない。
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