2016年【隼人】53 誰だって『顔のない獣』と戦う
「そこまで言ってくれるんだったら、なんで倉田と付き合ったんだよ?」
嫉妬に駆られた隼人の失言は不意に飛び出した。だが、絶対にどこかできくことになっていただろう。たまたま、最速だっただけだ。それに対し、遥は楽になりたがるように答える。
「そうしないと、隼人を助けられなかったからかな。隼人がくだらない不良連中に殴られなくてすむんだったら、あのときのあたしはなんでもするつもりだったから」
ほんの数日前に、この自転車置き場で不良に絡まれたときのことを遥は言ってい
る。遥や撫子を逃がした隼人は、校舎裏に場所をうつして、不良からリンチを受けた。連中が満足するまで苦痛に耐えるつもりだった。だが、遥が倉田を連れてきたこ
とで、悪は蹴散らされたのだ。
もっとも、倉田が来て助けてもらったはずなのに、隼人には感謝よりも強い感情がある。余計なことしやがって、と思っている。
「あのとき、隼人が助かるんだったら、あたしは、この体を差し出しても良かった」
「おまえ、バカか。あんな連中はどんな口約束でも平気で破るようなやつらだ。もっと自分を大事にしろよ」
「隼人に言われるまでもないわ。あたしだって好きな人とじゃなきゃ、そんなのしたくないよ。でも、他に方法がなかったら、それに賭けるでしょ。あの時のあたしは、考えが足りなかったって後悔してるよ。倉田くんが好意を寄せてくれてたのを思い出す前に、隼人が助けにきてくれたみたいに、車に乗って大暴れするって考えになればよかったのにね」
「つまり結局のところ、遥は倉田の好意を利用したってことなのか?」
「客観的に言われたら、あたしって最悪な女だね」
「どこかだよ! お前は、最高の女だ!」
無条件で遥の味方になる隼人は、やり手の弁護士のように遥の正当性を主張できる。
「最悪なのは、倉田じゃねぇか。弱みにつけこみやがって、くそやろうが。僕を助ける代わりに、交換条件として遥と付き合いはじめたってことだろ!」
「それは、ちがうよ隼人。正義の味方の倉田和仁が、そんなちゃちなことをするはずない。あたしが、倉田くんと付き合わなくちゃいけなくなったのは、彼が本当に正義の味方だったからなの」
「どういうことだよ? 話が見えてこねぇ。想像もつかない」
遥は気合を入れるように、つばを飲んだ。まるで、地球上でもっともこわいもののことをこれから語るような重苦しい雰囲気だ。
「極端な話なんだけど、倉田くんは正義だけの味方なの。悪には容赦がない。そんな彼の判断基準だとさ、隼人も不良連中もクロなの」
「両方とも等しく悪なのに、なんで僕は助けてもらえたんだ?」
「隼人とあたしが、幼なじみで、付き合っていなくても、一番仲のいい間柄だからよ」
「すまん。まだ、よくわからん」
「だからさ、絶対正義である倉田くんに彼女ができました。彼女に選ばれるような女の子の親友は、悪のはずがない。そんな凝り固まった考えの持ち主なのよ。むしろ、そうじゃないといけないって感じだった。不思議でしょ。そんな単純じゃないのにね。おかしいよね?」
冗談のような倉田の思考回路には、恐怖しか感じない。
「だいたい、どんな風に理屈をこねようとも、遥から恋愛の自由を奪っておいて、なにが正義だ。遥を守るのが正義の味方だろうが」
「いや、落ち着いて隼人。わけわかんないこと言ってるよ。それだと単にあたしの味方ってだけでしょ」
「遥を守れない正義なんて、いらねぇだろうが!」
頭に血が昇って、酔っ払っているみたいに好き勝手を叫んだ。実際、酒が回ったときのように、顔が熱くなっている。遥に対しての発言に今頃になって照れを感じる。
「やっぱり、疾風さんの教えが隼人やあたしの中には息づいてるんだね。あたしも、同じよ。隼人を守れない正義なんかいらないから」
「疾風さん? 僕たちが秘密基地みたいに使ってるMR2のオーナーさんだよな。遥の親父さんだ」
「いや、血縁関係はないからね。親ってつけるなら、名づけ親ってだけかな。そういや、隼人とあたしが力を合わせてやっつけた『顔のない獣』の名づけ親でもあるよね」
小学校のクラスに蔓延しているイジメの空気を『顔のない獣』と呼んでいた。子供が思いつくネーミングセンスではないと思ってはいたが、あの人の入れ知恵があった訳か。
『顔のない獣』から遥を守ったはずなのに、隼人と遥の間には束の間の平穏しかおとずれなかった。
いつの間にか別の敵に遥は狙われている。
新たに現れた敵は、顔のわかっていない連中がほとんどだ。しかも、獣という点も共通している。これではまるで、今度は別の『顔のない獣』と戦っているみたいだ。
美人になった遥を隼人は守り続けていた。倉田が現れるまでは、姫を守る騎士の役目を果たし続けていた。
舌を出したオオカミ野郎や、金を出して体を買おうとするタヌキ野郎、あるいは同性で愛を育むオスやメスの区別を持たない動物のような存在に、遥は狙われている。
そいつらと隼人は、戦ってきた。
恋愛というのは、そういうものだ。
遥が魅力的であればあるほど、隼人にとっての敵――『顔のない獣』の数は増える。
文明が滅んで、隼人と遥の二人が最後に残った人類でもない限り、ずっと戦い続ける必要はあるのだろう。
誰だって、好きな相手を守るため『顔のない獣』と戦う必要がある。
そして、いま守るためにすべきことは、遥と倉田の仲を引き裂くことだ。
いまの隼人は、自信に満ち溢れている。
誰よりも遥を幸せにできる。
してみせる。
なにもかも前向きにとらえだした。
なんだったら、倉田に悪と判断されているのも好機だ。
遥と隼人がセックスしても、倉田は悪者を隼人一人に押し付けるはずだ。たとえ、同意のもとであったとしても、隼人が遥を押し倒した。抵抗できずに、無理やりしたと思い込みそうではないか。
汚名をかぶるのは慣れている。それが遥のためになるならば、お安い御用だ。
それに、正義に凝り固まった倉田ならば、処女を奪われた遥に対する価値を見いだせなくなってもおかしくはない。本当に好きなら、傷心してる相手を支えるべきなのに、自らの正義から逸脱したものを認めないのではないか。
悪のチンポが入ったら、性病みたいに悪がうつるとでも思っていそうだ。しらんけど。
「噂をしてたら、来たみたい」
「さてと『顔のない獣その②』をぶっ倒させてもらおうかね」
遥の視線をたどる。歩いている倉田と、隼人の目があう。
「久我、大丈夫? 変なことをされていない?」
第一声から、倉田は隼人の悪事を疑う。逆にここまでイメージが悪いと、清々しいとさえ感じてしまう。
「いきなり失礼なことを隼人に言わないでもらえます? 倉田くんのせいで、隼人と連絡がとれなくなってたから、直接会って話してるだけですよ」
数歩で倉田の横にいけるにも関わらず、遥は隼人の隣を定位置としている。
「そうか。脅されていた訳ではないのなら、ひと安心だ。だが、無理に浅倉の話に付き合う必要はないんだぞ。久我は優しすぎるからな。彼は素行が悪い。悪だ」
「だから、隼人は、そんなんじゃ」
気持ちを落ち着かせるように、遥はリングをぎゅっと握る。倉田の瞳には、そんなものはうつらないように思えた。
「落ち着け、遥。なにいっても無駄なんだよ」
「でも、こんなのって。隼人はムカつかないの?」
「別にいい。とどのつまり、本当の僕を知ってる奴がいたら、他の評価なんて、どうでもいいし。なんだってできる」
「それいいね。あたしも、同じ気持ちかも」
まるで鏡のように、同じタイミングで隼人と遥は笑みを浮かべる。三つ子の魂百までの精神で、隼人と遥の基盤となっている考え方は似通っている。これも、川島疾風の影響だ。
「とにかく、これを最後にすべきだ。君のために提案しているからね。お金を貸していたのなら、いますぐに返してもらうといい。それぐらいの時間は待つから」
「待つ必要なんてないですよ。倉田くんは、先に帰っていてください」
「おかしなことを言うね。一緒に帰る約束を忘れたのかな。付き合ったとき、お互いをもっと好きになる努力をするために、そう約束したじゃないか」
「じゃあ、別れてくれませんか」
ここまで言い切るのは、さすがだ。土壇場に遥は強い。実に惚れ甲斐がある。
「毒されたか」
倉田の呟きを受けて、遥の精神力は削られる。
ペンダントを握っているのは片手だけだったから、もう一つの手でもすがるものを求める。必然的に、隼人の服がちんまりと掴まれる。
隼人は反射的に、遥の手を服からふりほどく。
生きようとする意思が、命の危機を感じただけだ。『獣の烙印』がいけないのだ。ただのいいわけに過ぎないが。
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