2016年【隼人】51 僕だったら、絶対に遥を

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 獣人マンションから学校まで、隼人は走り続けた。

 全速力を維持できる時間はとても短く、自転車置き場にさしかかった頃には、息も絶え絶えになっていた。それでも、最愛の人を発見したならば、叫ばずにはいられない。


「遥ぁっ!!!」


 一気に息を吐き出したことで、隼人の体の節々にダメージが与えられる。

 結果、足がもつれて転んだ。


「世界一カッコいい登場の仕方じゃんか」


 コトリの淡々としたコメントが突き刺さる。煽られなくてもカッコ悪いところを遥に見られてしまったのなんざ知っている。痛みと恥ずかしさが混ざり合うと、転んだ状態から起き上がるのに時間がかかる。


「大丈夫、隼人?」


 見上げると、遥が立っている。それなりの距離があったはずなのに、もうこんなそばにいてくれるとは。コトリがチンタラ歩いて近づいていることから考えても、陸上部の女子は走ってきてくれたのだろう。


「すごい汗だよ。ほら、水分補給」

 そう言うと、遥は部活着の入ったカバンからペットボトルを取り出す。


「ほい」

「さんきゅ」


 受け取ったスポーツドリンクが、体に染み込んでいく。ペットボトルが空になったが、まだまだもの足りない。量が少なかったぞ。もしかして、遥の飲みかけだったとか。だとしたら間接キスだ。よだれが出るほど嬉しい。

 服の袖で顔の汗とよだれを拭こうとする。察した遥が「こらこら」と注意してくる。


「タオル持ってないの? まぁ、持ってるわけないか」

 隼人が答えるよりも先に遥は結論を出した。首に巻いていたタオルを隼人の頭にかけてくれる。

 すぐにタオルを顔にかぶせる。拭くのは後回しだ。それよりも、タオルの香りを堪能するのが最優先だ。やはり、遥は汗までいいにおいだ。知ってたはずなのに、懐かしくておかしくなりそうだ。


「はたから見たら、やっぱり夫婦にしか見えんな。倉田とじゃなくて、隼人と一緒に帰ったほうがいいんじゃないの?」

 コトリのキラーパスに、隼人は動揺する。タオル一枚隔てているので、遥に表情が見られないのは救いだ。


「てか、コトリちゃんのお陰で、今日はそのつもりになってるから」

「ふーん。アタシがなにに貢献できたのか、よくわかんないけど、邪魔者は消えないとね」


「別に邪魔者じゃないけど。でも、二人きりのほうが話しやすいことだから。うん、ごめんね、色々と気をつかわせて」

「いいよ、ハルの愚痴きけて面白かったし」


「今度ゆっくり遊ぼうね、約束だよ」

「買い物でもいこっか。体育の着替えのときに思ってたんだけど、ハルってスポブラしか持ってないでしょ?」


「いや、持ってるから。お泊り用は可愛いもん」

「可愛い系だけじゃ飽きられるよ。だから、ギャルっぽいのもおさえとかなきゃ」

「でも、コトリちゃんみたく大きくないから、そんなに選べないんだよ。ちっぱいの苦悩がわかってないでしょ」


 遥から借りたタオルは、里菜が使っていた透明マントのような不思議な力があるのかもしれない。同じクラスの男子が見えていたら、こんな刺激的な話を展開するはずがないはずだから。


「巨乳は巨乳で大変なんだけどなぁ」

「ああ、そういうこというんだ。仲直りした直後だけど、またコトリちゃんと喧嘩になるね、こりゃ。ムカついたから、もぎ取ってやるんだから」

「ちょっ、やめてよ。てか、逆に揉まれたら、もっと大きくなるから、またハルと差がつくよ――だから、アタシが攻撃しないと」


「お前ら喧嘩するなって、仲良くしろよ」

 タオルに隠れて、黙っている場合ではなくなったと、隼人は判断した。

 立ち上がり、首にタオルを巻きながら状況確認をしたら、心配して損した気分になる。

 会話だけではわからなかったが、互いのおっぱいを揉んで、仲良くじゃれ合っているだけだった。いや、こういうの見えるのは損ではなくて、お得だ。


「ああ言ってるし、互いにあとひと揉みでやめにするってのでいい?」

「コトリちゃん、隼人のいうこときくよね? いまだって、隼人に背中を押されなきゃ、仲直りしたいって謝りにこなかったって言ってたもんね」


「余計なこと言ったので、ひと揉みでは終わらないから。探して押してやろう」

「探すって、なにを? やめてよ」


 抵抗虚しく、遥の貞操は昨日に引き続き危機に陥っている。

「お、この感触。間違いなく押したぞ。なんか満足しちゃったな。よし、あとは隼人に任せて、アタシは帰ろう。お腹すいたし」


 欲望に正直なコトリは、隼人にウインクを残し、西門に向かって歩いていく。

「まったくもう。コトリちゃんのお陰で、あたしだって謝ることができそうだから、感謝してたのにな」


 肩で息をする遥は、背中じゃなく乳首を押されたことで、何を謝る気になったのだろう。


「隼人も見てるだけじゃなくて、助けてよね」

「いや、仲がよくて微笑ましくてな。昨日との落差が激しすぎだろ」

「そっか。どっかのバカが車に乗って颯爽と小粋に登場してから、まだ一日しか経ってないんだよね」


 たった一日だ。

 二四時間で、色々あった。

 隼人の常識は改変された。

 UMAがUMAでなくなったのだ。


「それにさ。昨日の事件はコトリちゃんだけを責める気もないんだ。正義の確信を持ってる誰かさんが、あたしとの帰宅途中に、ふらっと悪党退治に行ったことにこそ問題あるし」

「不良がいると知っていながら、倉田はあの場所に行ったのか?」

「そうよ。あり得ないでしょ。隼人なら、そんなことしないのにね」


 隼人があの場所に遥を連れていったら、青姦を楽しむだろう。倉田は、なんとも情けない男だ。いやらしいことをできるチャンスがあったのに、それよりもくだらないことを優先させるとは。

 チャンスがあっても手を出してこなかったのは隼人も同じだけれど。

 それでも、隼人と倉田では確実にちがうところがある。


「そうだな。僕だったら、絶対に遥を危険な目にあわせねぇしな」

「え? いま、なんて言ったの」


「いや、二回も口にするようなことじゃねぇから、言い直さないぞ」

 変な空気になってしまった。運動をしたから流れる汗とは別種のものが、額から溢れ出る。

 僕だったら、絶対に遥を危険な目にあわせねぇしな、キリッ。心のなかで考えただけで、タオルで拭った直後なのに、また汗が滲んできた。


「そうそう。コトリちゃんなんだけどね、二学期の頭には髪を黒く染めて登校するつもりらしいよ」

「黒染めする際には、朱美ちゃんが勤めてる美容院をオススメしないとな」


「なにそれ? お母さんがコトリちゃんの髪をセットしたら最高の女子が誕生するじゃん。隼人が鼻の下を伸ばす未来が見えるわ」

「鼻息荒くしながら、勝手なこと言われたらムカつくぞ。コトリで鼻の下を伸ばすかっての。あいつが裸で迫ってきても誘惑に負けないからな」


「そういや、そういう話だったわね? 強がってたけど、コトリちゃん傷ついてたんだからね」

「仲直りした直後に、どんなガールズトークしてんだよ」


「隼人が好きな人に一筋だって教えてもらったの」

 好きな人が、遥だとも知っているのか。どうなんだ。どこからどこまで把握されたのだ。遥の表情から読み取るのは難しい。思わず隼人が一筋になってしまうほどに、可愛い顔をしてやがる。


「そんな風に、男の株をあげた隼人でも、県北にある女子校の制服をコトリちゃんが着たらどうなるかな?」

「あのお嬢様学校の制服か? 裸よりも、そそるものがあるという噂の」


「そうそう。どこまで本気かわからないけど、コトリちゃんは、あの女子高進学を目指して勉強するんだってさ」

「マジかよ。僕がUMAを捕まえるよりも厳しいぞ」


「やっぱり、聞き間違いじゃなかったんだ。いまも『僕』って言ったよね?」

「ああ、そうだな」


 もしかしたら、さっき『なんて言った』と聞き返されたのも、その確認をとりたかっただけなのかもしれない。

 遥を危険な目にうんぬんはどうでも良かった、と。単に一人称が『僕』になっていたことに引っかかっていただけ。うわ、恥ずかしい。


「コトリちゃんもだけど、隼人もなんかあったんでしょ。もしかして、二人で大人の階段をのぼったんじゃ?」

「だから、裸でなにもなかったんだって」

「けど、呼び捨てにされてたじゃん。気づいてないと思ってた?」

「それで勘ぐるなら、僕と遥は幼稚園に入る前からセックスしてることになるぞ」


 互いの呼び方で、親しさは推し量れる。ファーストネームで呼び合うのは仲のいい最たる例だ。しかし、それで付き合っているという事実には直結しない。

 悲しいけれど、隼人と遥はただの幼なじみでしかないのだから。


「でも、隼人の一人称とコトリちゃんからの呼ばれ方が同時に変わるなんて、なにかあったって思うよ」

「だからって、発想がぶっ飛んでないか。好きじゃない人と、そういうことするなんて、ありえん」


「でも、ありえないと思ってたことが起こるもんなんだよ」

 UMAが現実となったいまでは、遥の言葉に隼人は同意せざるおえなかった。

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