2016年【隼人】46 拒否られてる相手をつけまわせって、つらすぎる


   16


 廊下に座りこんで、隼人は床の汚ればかりを見ていた。


「どうした坊主?」


 声をかけられたので、反射的に隼人は顔をあげる。自分の頭がボウリングの玉のように重たい。赤いサングラスをかけたユウジに見下されていたが、なにも言えぬまま隼人は床の観察に戻った。


「懲役くらったみたいな顔してたな」


 なんだか懐かしい言葉だ。昔、同じようなことを耳にしたことがある。それも、赤いサングラスをかけた男に言われたはずだ。

 ぼんやりとした頭は、記憶の中の赤グラサン兄貴とユウジが、同一人物ではないかと考えはじめる。


 まとっている雰囲気が、そっくりなのだ。もしかしたら、サングラスが似ているからそう感じるだけかもしれない。

 似ていない部分を見つけるのは容易い。

 左腕。


 助手席に乗せてもらったとき『赤グラサンのMR2』の姿を左側からじっと見ていた。

 目にも止まらぬ速さでシフトレバーを操作する。そんなえげつなさと同時に、優しさも兼ね備えていた左手だった。ブレーキを踏んだときには、隼人を守るように手を伸ばしてくれた。


 ユウジが隼人の目の前に手を伸ばす。

 拳銃が差し出された。


「こいつを返しておこうと思ったんだが、お前に渡しといていいのか?」


 守るために手を伸ばす行為とはかけ離れている。人を殺すものを握っている。


「おーい、無視するんだったら、もらっとくぞ。持ってるだけで脅しに使えるしな」


「脅しだけで終わらんやろ」


「タイミング悪く登場すんなよ、里菜」


「あんたは平気で撃つんやから、ちゃんと返し」


 重たい頭でも、里菜の姿は確認したいという謎の使命感があった。

 さきほどまで中学校のセーラー服を着ていたのだが、いまは随分とロックな装いだ。ロングブーツに、迷彩のパンツ、革ジャンを羽織っていて、かっこいい。里菜の服装を足元から確認しているうちに、隼人の頭の重さは解消されていた。


 里菜はユウジから拳銃を奪い取る。慣れた手つきで弾数を確認している。


「そういや、ジェイロのテストどないなったんや? ユウジのおめがねに、もといサングラスにかなったんか?」


「役立たずだ」


「即答やな」


「てなわけだから、ジェイロの面倒をまだしばらくは見てくれよ」


「気軽にいうてくれるやんか。押し付けるんやったら、せめて日本の常識ぐらい教えといてほしかったで」


「あいつの頭が冷えたら、そんなもんはすぐに吸収するはずだ。それに、こっちで暮らすんだったら、オレなんかから最低限の知識を教わるのはどうかと思うしな」


「なんやなんや。向こうで苦労したユウジが言うと、重たい言葉になるやんか。もうちょい詳しく、苦労話を聞きたいんやけど、いまから飲みにいかんで?」


「余計なこと話して、呪われたくねぇんだよ。さっさと入口の鍵をあけねぇと、扉ぶっ壊して帰るぞ」


「せっかちすぎるやろ。もうちょい待ちーや。ユウジ以外にも帰る子がおるんやから、どうせなら一緒に外でてや。鍵の開け閉めがめんどいんやからな」


「しゃーねぇな。すぐに来るみたいだから、待ってやるよ」


 ユウジはエレベーターに視線を向けていた。つられるように隼人も視線を移動させる。デジタル表示を見る限りだと、一階にエレベーターは降りている最中だ。

 ほどなくして開いたエレベーターには、総江とコトリが乗っていた。


「ちょっと、コトリちゃん。なんでお嬢にしがみついとるん?」


「いや、だって。エレベーター内に変な血があるし、くさいにおいで気分悪いし」


 ユウジがモスマンをボコボコにした空間が、エレベーター内部だった。モスマンの体液と血に、コトリは不快感を覚えたようだ。


「ああ、そういうことか。どんどん可愛いところを見せてくれるようになってくれて、おねーさんは嬉しいで」


 里菜の微笑みに対して、コトリは苦笑いを浮かべるのがやっとの様子だ。


「ガキが震えてるじゃねぇかよ。トラウマ作ってやんな。レズババアが」


「誰が、ババアや。知っとんやで、大陸であんたが二四歳になったってこと。いまは、あんたのほうが年上になっとるんやからな!」


「大声出すんだったら、レズを否定しろ」


「アホかユウジ。性的なもんが本人の事実っちゅうほど重要視されることはないねん。せやけど、女は若いかどうかをいつも真剣に考えとかんとアカンねん」


 ユウジと里菜が話している脇で、総江が扉近くの端末を操作しはじめている。なにをしているのだろうかと思ったが、隼人の閉じたままの口は開かない。


「沖田さん? なにしてるの?」


「里菜のおしゃべりの邪魔をするほど、私も野暮じゃないからね」


 コトリの質問に答えるよりはやく、風除室に繋がる扉の鍵は解除された。


「あー! すんません、お嬢。お手間をとらせてもーて。こっからは、うちが仕切りますから」


 話しながら、里菜は手を叩く。運動部のコーチが部員に激を入れるような動きだ。


「はいはい、チンタラすなや。お帰りの皆様方は風除室までこいや」


 里菜を先頭に、ユウジもあとに続く。

 隼人が立ち止まったままでいるせいで、コトリも動かなかった。


「どうした? ハルのところに行って、押し倒すんだろ」


「押し倒す? 無理に決まってるだろ」


 売り言葉に買い言葉を返せるのは、相手がコトリだったからだ。


「なんだよ。ちょっとの間に、決意が鈍ったのか?」


「それもあるな。着信拒否されてるし、メール送ったら、アドレスを確認しろって返信がある始末だからな」


「はぁ? なんで、そうなってるんだ」


「知るかよ」


「じゃあ、どうしてか訊きにいけよ。こんなところでへこんでても意味ないだろ」


「否定された相手に、なんて訊けばいいんだよ?」


「そんなもん、ストレートに質問しろ。それがいやなら、まどろっこしくなるけど、こういうのはどうだ『僕のこと嫌いになったの?』ってのは?」


「ふざけんなよ、コトリ。悪いけどよ。どんな答えが遥から返ってきても、耐えられる自信がねぇよ。こわいんだよ」


 隼人のあまりの情けなさに、コトリは言葉を失っているようだ。


「だとしても、会いにいくべきよ」


 総江も背中を押してくる。


「私の『計算』だと、このままなにもしなければ、遥ちゃんは学校から移動する。そうなると『獣の烙印』を刻まれた隼人がどうなるかは、もうわかってるはずよね?」


「脅しですか? 拒否られてる相手をつけまわせってことですもんね。根本的な解決にはならないけど、生き残るために。んなの、つらすぎる」


 文句を総江にぶつけながらも、隼人はわかっていた。他に方法はないのだ。

 仕方がないと自らを納得させて、隼人は歩き出す。

 一歩踏み出したとき、ユウジと目があった。待ちくたびれているようで、風除室の壁にもたれている。


「じゃあ、根本的な解決策をいまから見出せばいいのね。わかったわ――ユウジさん、頼みがあります」

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