求め愛
べー
第1話 ごめんね
唇にほのかな温もりを感じる。
いつも感じていた温もりとは少し違う温もり。
違和感を覚えながらも、ゆっくりとその温もりに溺れていった。
.........
朝、いつもと変わらないアラームで目が覚める。
むくんだ目をこすりながら準備をした。
そして、いつものように出社して、いつものように仕事をする。
いつものように酒を買って帰宅する。
いつものようにスマートフォンを開きSNSにいそしむ。
いつものように、いつものように…
いつもそこにいたのに、今日も彼女からのLINEはない。
TwitterやInstagramの投稿も消えてしまった。
そりゃそうだ。自分で消したんだから。
あおいとは付き合って4年10ヶ月、もうすぐ5年を迎えようとしていた。
名古屋と東京での遠距離だったが、何事もなく1年が過ぎ、心配していた距離の弊害も大丈夫だった。仕事で東京行きも決まり、同棲もスタートできる。
そう、俺だけが勝手に思っていた。
「もしもし、だいすけ。今、電話大丈夫?」
いつも電話なんてしないのに珍しい。
「大丈夫やで。どうした?」
「いきなりでごめんやけど、もう別れよう」
唐突すぎて全く理解が追い付かなかった。
「え…?ごめん、何が言いたいんか全然わからん」
「もう私たち恋人じゃないんやと思う。だいすけが仕事で東京に来るって言ったときも全然嬉しさとか感じなかった」
何が言いたいんだ。
「どういう…こと」
「ごめんね。だいすけは、本当にいつも私のわがまま全部聞いてくれて、優しくて、ほんまに最高の性格なんやけど、もう気持ちが冷めちゃったみたい」
やめろ、冷めたなんて嘘だ。
「あおい…それ、いつから」
「去年の10月くらいからかな。最初は会いに来てくれることがすごく嬉しくて、感動があった。でも、今はもうない。会わないのが普通になっちゃった」
そんなのまた会えば変わる…はず。
「半年も前から…でも、俺が会う回数を増やせばええやろ?これからは東京で一緒に住むことだってできる」
「この1週間、いろんな人に相談して、真剣に悩んで出した答えなの。会うことに感動もないし、東京で一緒に住みたいとも感じない。嫌いになったわけじゃないけど、もう好きじゃないんだよ。ごめんね。このまま付き合っててもお互い良くないと思う」
いやだ。心が痛い…張り裂けそうだ。
「なんで…言ってくれれば…なんでだよ」
「ごめん、だいすけが悪いわけじゃないんだよ。ただ、私の中で…ごめん、ごめんね…」
俺が悪くなかったら何なんだ。なんで謝るんだよ。
もうあれから1週間が経つ。
あおいの気持ちに気付けなかった自分の情けなさと電話で話した内容が頭の中をぐるぐると回り続けていた。
築き上げた4年と10ヶ月の歳月は、十数分の電話でなかったものになった。
「ごめん」という言葉が嫌いだ。
ごめんには確実に悲しみや不快が付きまとう。
それでいて、快を手に入れようとする貪欲さが陰に隠れている。
終わりはいつも「ごめん」で解決されてしまう。解決された気になってしまう。
自分も例外なく「ごめん」に屈したのだ。
何も解決しちゃいないのに。何も納得できていないのに。
この1週間のうちに飲んだお酒は、なんだかみんなしょっぱい味がする。
スマートフォンの着信音が鳴る。誰かからのLINEのようだ。
「昨日はごめんね」
もう見たくない「ごめん」を送ってきたのはひかりだった。
大学時代の友達の嫁が気を利かせて紹介をしてくれた女性だ。
ただ、ひかりも好きだった先輩と連絡がつかなくなり傷心中だった。
相当好きだったらしく、自分と同じくらい落ち込んでいるようにも見えた。
そんなひかりと昨日、初めて会って酒を飲んだ。
お互いつらい胸中を吐露すると、記憶が飛ぶくらい酒を飲んだ。
正直、自分でも何が起こったのかよく覚えてない。
唯一、覚えているとしたら、お互いが寂しさを埋めるため、別に体を重ねたくもない相手に、本気で体を重ねたかった相手を投影して、違和感を覚えながらもその温もりに溺れていったということだ。
もともとそうなってしまったのは、ひかりからの行動がきっかけで、それに罪悪感を抱き、謝罪の連絡をしたということらしい。
「こちらこそ。ごめんな」
あれだけ「ごめん」が嫌いだと言いながら、結局自分も使っている。
人間は「ごめん」という言葉の操り人形だ。
自分で放った「ごめん」は、惨めな自分からの謝罪だったのかもしれない。
一瞬の温もりを求めたが、突然ぽっかり空いた穴が大きすぎて、温もりを求めた自分がより惨めであることを認識させた。
5年近くも一緒に過ごしながら、相手を何らわかっていなかった。そんな惨めな自分からの自分への謝罪。
それぞれ違う形の潰れた缶が床に転がる。
体内に取り込んだアルコールの水分量と、頬を伝って体外に流れ出た水分量のどちらが多いのかもわからない。
明日はもう少し甘い味の酒を買おう。
無駄に広く感じるベッドにもぐりこんだ。
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