ゴズさん!!
並白 スズネ
サンマ
私は牛頭鬼のゴズ・サンタモニカ、牛頭鬼を知らない方に説明すると体は人身、頭は牛の生き物です。私の性別は男。年齢は人間年齢だと三十代に相当します。独身で恋愛経験もそれほど多くは無いけれど結婚願望は一応あります。
私は八大地獄の第一地獄等活地獄の罪人受付部というところで働いています。等活地獄とは地獄に八つあるメインの地獄の内の一つです。そこで閻魔宮から流されてきた罪人と面会し、生前の罪を詳細に記録した後、罪の応じて各十六小地獄へと受け渡す橋渡し的な業務をしています。
私は今の職場をとても気に入っています。なぜなら、毎日閻魔法に則った勤務時間だけ働いて残業は滅多になく、週休2日で有給を使っても白い目をされません。何より水より罪人たちの血の方が多いとされる地獄で血を見ることがありません。地獄にいるながらおかしなことですが、天国のような職場です。ただ一つ不満があるとすれば給料が少ないことくらいです。
そんな私は今日もスーツに身を包み、会社に向かうため始発の電車に乗る。明朝の駅のホームは青色の小型鬼火が灯っているだけで仄暗い。
なぜ始発なのかというと通勤ラッシュ時の鬼混み、あやかし混みが苦手だからです。学生の頃、中年の肥満体型の大鬼二匹に挟まれ、ドアに押し付けられたまま通学したというトラウマがあり、今でも脇から香る食べ物が腐敗したような汗の臭いは忘れられない。
電車が駅に着くと同時に地平線から地獄全体を照らす大輪入道が昇り始める(ある罪人が大輪入道が昇る様子を見て、太陽みたいだと言っていた)。大輪入道の正体は謎に包まれていて、さまざな噂が蔓延している。その中にはこの地獄を統括する閻魔大王様が変化した姿だなんてものもある。まぁ、しかし、嘘だと思うんですけれど。
炎に包まれている車輪は真っ赤に燃えており、中央にある男の顔は満面の笑みを浮かべている。私はその姿を見て今日も調子が良さそうだと思った。
私はガラガラの電車に乗り込むや否や定位置の席に座り、カバンの中から本を取り出して読み始めた。これが私のモーニングルーティーン。読書は長い通勤時間を埋めてくれるのにちょうど良いし、何より読書という行為をすることによって知的な紳士を演出できる。あぁ、素晴らしい。
さらに私は車両に誰もいないことを確認してから、おもむろに足を組んで文庫本を片手に持った。背後の窓から差し込む大輪入道の光が活字を照らし出す。
-あぁ、ここに純白のティーカップに入ったブラックコーヒーがあれば最高なんですけど。
「おーす、サンタモニカ」
聞き馴染みにある声が耳に入り、私はすぐさま組んだ足を元に戻して、文庫本を背後にそっと隠した。
「お前にしては早いなぁ、ジャビット」
「実は昨日やり残したことがあってよぉ、朝一にやらなきゃいかんのよ」
隣の車両からやって来た同期で馬頭鬼のメズ・ジャビットは隣にドカっと座った。そして、顔の汗をハンカチで必死で拭った。ジャビットは十六小地獄刀輪処の奴で仕事場が全く違うので滅多に会わないのだが、たまたまジャビットが等活地獄へ来たときに案内してさらに昼食、夕食に行ったことをきっかけにして、知らぬ間に仲良くなっていた。
外を見ると大輪入道はすっかり地平線から顔を出し、車両は私の他に数人乗車していた。どうやら悦に浸っているうちに二、三駅過ぎていたらしかった。
私は昨日の夜見たテレビや晩御飯など他愛もない話をした。それから、早過ぎる出勤の理由を尋ねた。
「誰か切り残した罪人でもいたのか?」
「そんなことより、もっと重要なことだ」
ジャビットは両膝に両肘を立てて両手で口元を隠して俯く—以前罪人が言っていた人間界のアニメの総司令官みたいな—ポーズをとった。険しい眼差しはあらゆる物を拒絶するようだった。お気楽バカ調子者のジャビットからは考えられない重々しい空気に私は思わず唾をゴクリと飲んだ。そして、自分の中でスイッチが切り替わる音がした。
空気が張り詰める中しばしの沈黙、そしてジャビットはゆっくりと振り向き、口を開いた。
「サンタモニカお前……
……
……
……
……
サンマって知ってるか?」
—サンマ……
「いや、初めて耳にする言葉だ。そのサンマというのはなんなんだ」
「サンマというのは、人間どもが恐れる超生物の一種らしい」
「!?」
説明しておくと地獄と人間界は生態系や文化など様々な点で類似している。そのため、罪人たちは地獄へ来てもまだ生きていると錯覚してしまう。罪人たちが口々に言う凄惨な処刑の光景は何世紀も前の話である。
しかし、全てが全て人間界と一致しているわけではない。人間界にもそこにしか生息しない生物や特有の文化が存在する。その中でもとりわけ危険で人間の生活を脅かす生物のことをジャビットは超生物と呼んでいる。
私が聞いたサルという超生物は言葉も話せない、私たち地獄の者や人間たちよりも下等で野蛮な生物だが、その身体能力を活かして地上や樹上はたまた予想もしないところから現れては人間どもの食料を奪う手練れの略奪者らしい。それに人間どもが反撃に打って出ようするならば、気の起こりを察知して深追いはしないと言う。
貧弱な人間たちがどのようにそれらに打ち勝っているか分からないが、人間界には他にも超生物がごまんといるらしい。
「それで今回はどんな超生物なんだ」
「あぁ、今回のはとびきり恐ろしいやつだ」
「ふむ、それで」
「サンマは短剣のような形、大きさをしており、尋常ではない速度で海を駆け巡るらしい」
「なんだと!具体的にどのくらいの速度なんだ」
「分からん。ただ、ツネアキが言うにはサンマは群れをなして行動するらしい」
「サンマという超生物というのは時に巨大な鉾となり、時に無数の刃の嵐になる超生物なのか」
「……そうらしい」
私はその言葉を聞いて、背筋が凍った。
「それに、やつらの恐ろしさはこんなものじゃない!!」
ジャビットは声を荒げた。乗客たちの視線がこちらに集まる。
「落ち着けジャビット!」
「あぁ、悪い」
「それでどういうことなんだよ、まだ他にも恐ろしさがあるのか」
「どうやら、サンマは体内にも凶器を隠し持っているらしい」
「!?」
「それは小骨だ」
「小骨なんかがそんなに危険なのか」
「俺も最初はそう思った。だが、ツネアキが言うには下手にサンマに斬りかかると喉に刺さるらしい」
私はサンマの体の内から針のような小骨が自分の喉めがけて飛んでくることを想像した。想像しただけで体が震え上がった。
「ツネアキというのは誰だ」
「サンマについて情報提供してくれた新米の罪人だ」
「そうか。しかし、そんな全身凶器みたいな超生物を人間どもはどう対処しているんだ?」
「詳しいことはツネアキは言わなかったが、一部は教えてくれた」
「それは何だ」
私は周りの乗客の顔を見て怪しい者がいないかを確認してからジャビットに顔を近づけ、囁き声で話した。私の意図を察したジャビットは顔を近づけ、蚊の羽音のようなか細い声で話した。
「まず、サンマの横っ腹を一文字に割く。この時、重要なのは胴体だけを割くことらしい。次に上半分の身を丁寧に細く剥いでいくんだ。同じように下半分の身もやる。下半分は小骨が多いから警戒しないといけないらしい。そして、次が鬼門の作業で反対側の身を傷つけないように俺たちの背骨にあたる中骨を引っぺがす。あとは同じように上下の身を剥ぐ。これがサンマの殺し方らしい」
—なんて細かく決められた殺し方なんだろう。そうまでしないと倒せない超生物なのか……
頭の中には壮絶な戦闘風景が思い浮かんだ。
武装した人間たちにサンマの群れが襲いかかる。サンマの攻撃は突進という単純なものだが、尋常ではない速度と複雑な陣形、さらに海という不慣れな環境に人間たちは苦戦を強いられる。なんとか、反撃に打って出たところで少しでも手元が狂えばサンマは道連れにするかの如く体内から小骨を射出し、殺す。
「とんでもない超生物だな」
私は湧き上がるサンマという凶悪な超生物を知ってしまった不安感、絶対に襲われることないと分かっているのに拭えない恐怖を溜息に乗せて吐き出した。向こうで楽しそうに騒ぐ鬼の親子を見てなんて気楽なんだろうと思った。
「それでだ、俺はこのサンマに勝てるように修行しようと思っている」
「えっ」
「わかってる。サンマはこの地獄にはいないし人間界から襲撃してくることもない。だけど、俺の知る限りサンマは一番凶悪で恐ろしい。サンマを仮想敵として倒せるようになればあの地獄一武闘会にも出られるかもしれない」
「お、おう」
ジャビットの目はギラギラと光り、喋りは次第に熱を帯びていく。私はその熱量に圧倒されて適当な相槌しか打てない。
「それで昨日から修行を始めたんだが、そのノルマが終わらなかった。だから早朝仕事が始まる前に終わらそうと思ってな」
その時、処刑部の仕事場の最寄り駅を知らせるアラームが鳴った。
「おっ、もう着いたか。じゃあな、今日も仕事頑張ろうぜ」
そう言ってジャビットは自動扉が開くの同時に勢いよく飛び出し、駅のホームで全力で駆けていった。
私はジャビットが駅構内にフェードアウトするまで見た後、瞼を閉じて深呼吸を三回してから、自分の中で再びスイッチの切り替わる音がした。
外の様子、車内の様子を確認して
「よし、ここは現実、現実、現実」
と暗示をかけるように繰り返し三回言った。そして、私は隠してあった文庫本を再び読み始めた。
—後日談—
サンマのことが気になった私はその日の業務で罪人に聞いてみました。そしたら、凶悪な超生物なんかではなく焼いて食べると美味しい魚ということが判りました。ジャビットが殺し方と言っていたのはサンマを綺麗に食べる手順でした。私は食べ方にまで美しさを求める人間には感心しました。
そうそう、あの後ジャビットは仕事場の備品である刀剣三本を壊して、上司にこっぴどく怒られたそうです。
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