第107話 純情

 旭と気まずい。

 あんなことがあったのだから致し方ない。少しばかりは頭が冷えたと思っていたのだが、まだまだ沸騰していたようだ。

 真彩の部屋の隅、隠れるようにスマホをいじる旭。その小さな背中からは、体躯に似合わぬ近寄りがたいオーラを放っている。自分の部屋であるにも関わらず、肩身が狭い。

 暁火もルディも不在というのが、不幸中の幸いだろうか。

 とはいえ、これはよくない。非常によくない。あまりにも気まずくて居辛いので、仲直りを図ることにした。

 警戒されないように、ゆっくりと距離を詰める。肩越しにちらと振り返る旭に向かって、真彩は両手を合わせて頭を下げた。

「……ごめん、旭くん! あたしどうかしてた!」

「ほんとですよ……あんな、急に……」

 ぶつぶつと呟く彼は、再び真彩から視線を逸らす。下手を打ったかとも思ったが、存外そうでもないようだ。

「……誰にでも、あんなことしてるんですか」

「そんなことないって! ええと――」

 思わぬ返しに狼狽える真彩。咄嗟に否定したものの、続く言葉が思いつかない。

 なぜあんなことをしたのか。旭はそれが知りたいのだ。

 どう答える?

 ――「君が相手だからだよ」……というのはマズい。事実だが、あらぬ誤解を生む可能性が非常に高い。

 では、「あの女への当てつけだよ」というのはどうか。いや、これも事実だが、これではただの性格の悪い女だ。

 であれば……仕方がない。これも、決して上策ではないのだが。

「旭くん……からかったら面白そうだと思って」

「へえ」

 旭は拗ねた。とはいえ、先程のような拒絶の意志は感じられない。険悪なムードも、とうにどこかへ消え去っていた。

 ほっと一息ついたところで、思い至る。

 なぜ彼は、誰にでもあんなことをしているのかと訊ねたのか。

 とどのつまり、彼は真彩がふしだらな女であることを疑っていたのだ。誰にでも裸身を曝け出すような売女であることを危惧し、否定したかったのだろう。

 なぜそんな心配をしていたのか。

 少年のささやかな独占欲、女性への憧れを垣間見て、真彩は微笑ましい気分になった。

(いやつめ……)

 なかなか可愛気があるじゃあないか。真彩が和んでいると、不意に背後から視線を感じた。

 振り返れば奴が居る。

「……取り込み中だったか」

 立ち去るルディ。あらぬ誤解をされた気がする。面倒だが、いらぬ嫌疑をかけられたままなのも気に食わない。真彩は立ち上がり、彼女の後を追った。

 縁側の端。トイレの前で、彼女を待つこと数十秒。

 扉を開けてすぐに真彩の顔を目にしたルディは、いかにも不機嫌そうに眉をひそめた。

「なんの用だ」

「いやね、誤解を解こうと思って」

「誤解?」

 お互いに要領を得ない会話の結果、真彩は言葉に詰まってしまう。

「だから、その……さっきの……」

 そんな真彩の様子を見て、ルディは大きなため息を吐いた。

「お前……一体なにをした? 昨日から様子がおかしいぞ」

 おっと。

 昨日から、と来た。

 自覚症状はなかったが、確かに実家に帰ってきてから調子が悪い。それを、よりによってこの女に看破されていたということか。

 あるいは、カマをかけられている可能性もある。異世界から来たこの魔女は、平気でそういうことをするのだ。

 どう答えるのが正解か、真彩は少しばかり思案した。長考したところで、あまり良い結果には転ばないだろう。であれば、一か八かの賭けに出るのも悪くはない。

 ――冷静なようでいて、まだまだ心が乱れていた。

 故に、こう口にする。

「もし……もしもの話、なんだけどさ」

 もったいぶった前置きは、複雑に編み込まれた有刺鉄線が如き強靭な予防線だ。あくまでもこれは仮定の話に過ぎないと、自分にも彼女にも言い聞かせる。

 準備完了。

 胸の奥で渦巻いていた仄暗い感情を、真彩はようやく口にする。

「もし、あたしと旭くんが付き合ったら……どう思う?」

 ルディは露骨に嫌そうな顔をした。

「くだらない、そんなことを……」

 苦虫を噛み潰したように口元を歪ませ、瞑目しながら何度も呟く。

「私に隠れて、お前ら二人が? くだらない……」

 なにやら勝手にショックを受けているらしい。想像するだけで傷つくようなシチュエーションだったのだろうか。

 やがて彼女は頭を押さえ、俯きながらこう言った。

「勝手にしろ。私はなにも干渉しない」

 どうやらまた新たな誤解を生んでしまっていたようだ。

「や、フリとかじゃなくて……ほんとにただの仮定だから」

 真彩の態度に真実を見出したのか、ようやく彼女は顔を上げる。それでも、顔色は悪いままだった。

「……狙いはなんだ」

 狙いと言えるようなものは、ない。

「別に。ただ気になっただけ。好奇心だよ」

「悪趣味な……」

 どうとでも言え。

 すっかり自棄になった真彩は、グイグイ押して答えを急かす。

「で、どう思うの? さっきの反応だと……やっぱり、嫌?」

「だったらなんだと?」

 苛立ちも顕にルディは言う。いつものペースを取り戻しつつある真彩は、おちょくるようにこう返した。

「いや、なんかさ……あんたから旭くんとったらどうなるのか、想像つかないな……と、思って?」

 ルディはそれを鼻で笑う。

「馬鹿め。なにを企んでいるのかと思えば……フン。お前は、この私が、泣いて許しを請うとでも思ったか? 旭を返してくれだとか、そんな情けない言葉を連ねて、泣きっ面でも晒すと思ったか?」

 別に、そこまでは思っていないが。

 しかしそれでも、続く彼女の言葉は意外なものに違いなかった。

「別に、私の人生はあいつだけじゃない」

 沈黙。

 真彩は無言で先を促す。

「確かに、あいつが居なかったら、私の人生はドン底のままだったかもしれない。でもな、だからどうした。駄目だったら駄目だったで、また別のことを考えるさ」

「なんか趣味でもあったっけ?」

「そんなもの、これから探せばいいだろう」

 そこまで言われて、ようやく気づいた。

 この女は遥か先、未来のことを見据えている。過去の呪縛を断ち切って、今を未来に進めようとしているのだ。

 そうであるならば。

 真彩など、その足元にも及んでいなかった。

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