第108話 レプリカ

 月の裏側にはナチス・ドイツの基地がある。

 そんな与太話に端を発したこの映画は、時間つぶしには丁度いいB級のアクション映画だった。

「まあまあ面白かったね」

 暁火の感想に首肯を返し、旭は関連作品として表示された映画を見やる。

 地表からは観測できない地点である、月の裏側。見えないことがかえって都合がいいらしく、フィクション作品ではしばしば巨悪の根城や陰謀の起点として便利に使われている。

 火星人が潜んでいたり、超ロボット生命体が地球よりも先に訪れていたり、だとか。

 関連作品のトップに表示されているこの映画なんかは、先程の映画のナチス・ドイツ要素がそのまま旧日本軍に置き換わっている。クリエイターというのは、これほどまでに妄想たくましくないとやっていけないのだろうか

 それでもある程度収斂していくことから、使題材が存在することが窺えた。

「あ、そろそろお昼ごはんかな?」

 暁火が時計にチラリと目をやる。時刻はちょうどお昼過ぎ。昼食を食べて少し休んだら、昨日の竹林で掃儀屋と合流する約束になっている。

 別に遊んでいてもいいと言われたのだが、途中で放り投げる気にはなれなかった。

 そんなわけで昼食を終え、午後。

 一休みしてさて出かけるかとなったところで、不意に真彩がこう言った。

「ごめん。気分悪いから……あたしはパスでいいかな」

 旭がなにかを言う前に、ルディが冷たくこう告げる。

「勝手にしろ」

 彼女からしたら、真彩が居ない方が都合がいいのだろう。

 それに、体調が悪いのであれば無理強いするべきではない。彼女を残して、三人は竹林へと向かった。



 工房へと足を運んだのは、完全に無意識による行動だった。

 鈍く熱された空気の中、鋼を叩く音が響く。極めて規則正しいこの音は、間違いなく未央のものだ。

 未央には鉄の言葉がわかる。

 もちろん比喩表現だが、しかし彼女の指先には神が宿っていると言っても過言ではない。

 火箸や鎚を握る手に跳ね返る振動。そこから鉄のコンディションを読み取るというのは、鍛冶屋の人間であれば大なり小なり日常的にこなしている。だが、彼女はそれを受け止めるための触覚が人並み外れているのだ。

 それだけではない。

 聴覚は金属音。視覚は鉄の色や微細な変化。嗅覚は鉄の匂いを知り、味覚で空気の味を測る。

 五感のすべてが、生まれながらに鍛冶屋として極まっていた。

 それが下田未央という女だ。

 来訪者の気配を敏感に察知し、未央は作業を中断する。

「あ、お姉ちゃん。こんなところでどうしたの?」

「いやあ、別に……なにかしに来たってわけじゃあ、ないんだけど……」

 自分がどうしてここへ来たのか、本当にわからない。答えに窮した真彩は、なにも言えずにじわじわと後退る。

「なんだ、よくわかんないの」

 未央は落胆し、続いて背後の倉庫を指差す。

「じゃあ、最近あたしが打ったやつ見てってよ。まだ売れるレベルじゃないって言われてるけど、自信作なんだから」

 促されるまま、真彩は彼女のに目をやった。磨き抜かれた刀身に、自らの顔が反射する。

 思わず、見とれていた。

 刀に写る表情から、否が応でも理解させられる。暴力的な完成度に、真彩は言葉すら失い見入っていたのだ。

 この世に存在する、究極の一振り。そのうちのいくつかが、ここに存在していた。

 それから真彩は、視界の隅に鎮座する一振りの刀に気づく。悪くはないが、しかしこの場所には不似合いな刀だ。

 その一振りがなんなのか、真彩はよく知っていた。それこそ、世界で一番。

 なぜなら、これを打ったのが真彩だからだ。

 見比べていると嫌になる。真彩が倉庫を出ると、ちょうど未央も作業を終えたところだった。

「今日はこれぐらいかなあ」

「そろそろお茶にしよっか」

「いいね! あ、じゃあ今日はあたしが入れるよ」

 未央がそう言って聞かないので、彼女に任せてみる。

 ……結果、後悔した。

 お湯はこぼすしお茶は薄いしおせんべいは割る。急須の持ち方なんか危なっかしくて見ていられない。結局、真彩が無理やり交代して事なきを得た。

「やっぱりお姉ちゃんには敵わないなあ……」

「あんたが下手なだけでしょ」

 刀鍛冶以外の全てにおいて、未央が真彩に勝るようなものは何一つとして存在しない。この女が義務教育を満了して高校を無事に卒業できたのは、奇跡と言ってもいいだろう。

 真彩や家族の助けがなければ、この女は三日で死ぬ。

 世渡りの天才である真彩とは正反対。下田未央とは、そのような人間だ。

 真彩と未央を比較して、生まれ変わるならどちらがいいか。百人に訊けば、百人が真彩になりたいと答えるだろう。生きていく上で必要な全てを、真彩は兼ね備えている。

 だが、それでも。

 真彩は未央が羨ましかった。

 真彩が初めて鉄を打たせてもらったのは、中学に上がってからのことだ。最初はほんの小さな短刀から。それなりの才覚を発揮した真彩は、父にも筋が良いと褒められていた。日を追うごとに、少しずつ成長していく。それが嬉しくてたまらなかった。

 それから半年後。まだ小学生だった未央が、父に無理を言って鉄を打たせてもらった。なんでも、お姉ちゃんとお揃いがいいのだとか。

 手を豆だらけにしながら、小さな体が鎚を振るう。

 その姿を見て、父も真彩も驚愕した。

 一月かけて仕上げた短刀は、真彩の作品を遥かに凌駕する出来栄えだった。

 未央に特技があったのだと、両親は泣いて喜んだ。それまで、彼女は何をやらせてもてんで駄目だと両親を困らせていた。だから、彼女の隠れた才能を発見して、ようやく安堵したのだろう。

 それから真彩に慰めの言葉を投げかけた。「お前も十分筋がいい」だとか、あるいは「あの子にはこれしかないけど、お前はなんでもできる。だから気を落とすな」だとか、そんなことを言われた気がする。

 真彩は愛想笑いを浮かべ、未央の才能を褒め称えた。

 それが嬉しかったようで、未央は更に鍛冶に励んだ。毎日毎日、学校から帰ってきてからすぐに工房へ向かっていた。達人の域に達するまで、さほど時間はかかっていなかったはずだ。

 真彩の足は、日を追うごとに工房から遠のいていた。

 恐らく両親は、真彩が他の趣味を見つけたものだと思ったのだろう。特になにか口を挟むようなことはしなかった。

 事実、当時の真彩は他にもいくつか趣味を見つけている。

 だが、趣味はどこまで行っても趣味のままだ。

 工房と、そこで育まれる未央の才能から離れるために、実家からも距離をとった。それはそれで有意義な経験だったと思う。そのおかげでいろいろな体験ができたし、今でも続く趣味もできた。

 対する未央の人生は、何年経っても壊滅的。刀鍛冶以外になにもないのは、見ていればよくわかる。一応趣味はあるようだが、それも下手の横好きらしい。

 だが、それでも。

 真彩は未央が羨ましかった。

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