第93話 その後

 思いの外あっさりとした幕切れ。肩透かしにも似た感情を、しかし旭は振り払う。

 考えなければならないことは、まだまだいくらでもあった。

「よくやった旭。これで、当面の驚異は去った」

 勝に称賛されても、旭の懸念が消えるわけではない。

「でも、大勢に見られちゃいましたよね……」

 マガツがここまで力をつけたのは、人々から直に恐れられたからだ。マガツを倒したところで、その事実が遡って消えるわけではない。

 山のように大きなあの怨霊は、人々の記憶にしっかりと刻み込まれている。

 だが、勝はこう言った。

「それに関しちゃもう手を打ってある。一○○パーセント大丈夫とまでは言えないが……収束はするはずだ」

 どんな魔法を使ったのだろうか? 旭は疑問符を浮かべる。

「どういうことですか?」

「ざっくり言うと、目撃者全員眠らせたんだ。細かいことは企業秘密だが……起きたらみんな忘れてる。忘れてなくとも、夢か幻覚だと思うだろうよ」

 ルディの光の矢と似たようなものなのだろうか。

 流石はプロ集団……とも言えるし、あまりにも乱暴がすぎるとも言えた。

 どちらにせよ、旭がこの件について頭を悩ませなくても良くなったのは間違いない。

 一息ついた旭は、そこでようやく足元の人影に気づく。

「お疲れ様旭くん。長い戦いだったねえ」

 ここまで来るのに一体何日かかっただろうか。これまでのことを思い出し、しみじみと頷く。

「ええ、本当に……長い戦いでした」

 それを横で聞いていた勝は、なにやら勘違いしたらしい。

「え、俺……そんな長いこと伸びてたか?」

 その神妙な動きから、機体越しにも焦りが伝わってくる。

 実際の所どうだったか。

 気絶していたわりには、わりと早く復帰した……はずだ。旭自身、別の時間軸に長期滞在していたために時間の感覚が狂っている。なにが正しいのかわからない。

 なんにせよ、彼を責めるつもりはない。旭は答えを濁す。

「いや、まあ……そんなでもなかったですよ」

「……そうか」

 声色が暗い。

「その……悪かったな」

 誤解された。

 これ以上いくら取り繕ったところで彼を慰めることはできないだろう。旭は話を変えることにした。

「ところで……このあたり、メチャクチャにしちゃったんですけど大丈夫ですか?」

 山の麓にあるこの平地は、それなりに広い廃村だった。マガツに蹂躙された結果、もはや更地も同然になってしまったが……。

 誰も住んでいないとはいえ、ここまで荒らしてよかったものとも思えない。

 だが、勝はこう言った。

「それは問題ない。能売川に行くのが決まった時点で、県に申請を出してある」

 一体なんの申請をしたと言うのだろうか。大人の世界はわからないことだらけだ。



 雷光の指示で人骨を拾い集めていた。

 草木も眠る丑三つ時。星の灯もない曇り空の下で、懐中電灯を片手に、たった一人で。

 かつて民家だった瓦礫の上に散らばる、痩せ細った人骨。一本たりとも見落とさないように、じっと下を見て歩く。

「……!?」

 背後に気配を感じて、コウガは身震いした。

 振り返ると、なにやら小動物の影が走る。懐中電灯の光に驚いたのだろう。一目散に逃げ出したそれの正体は、四足歩行の獣であること以外は判然としない。

 再び探索に戻る。

 人体の構造に明るくないので詳しくはわからないが、この骨が尋常でないことだけはなんとなくわかった。

 というのも、拾い集めたどれもこれもがあらぬ方向に曲がっているのだ。

 今拾ったこれは恐らく腕か脚の骨なのだが、中央から九十度に折れ曲がっている。

 この人骨は、言わばマガツの残り滓だ。

 ただの怨霊だったマガツは、強大な力を得て半実体化した。それが旭に倒され消滅した結果、こうして歪んだ残滓を生み出したのだ。

 由来が超常存在である以上自然ではないが、ありえないことでもない。

 だから続けるんだ。

 これはお父様に任されたことだから。頼りにされているのだから。そう言い訳して、自分を奮い立たせる。

「……なんだこれ」

 砂礫に埋もれた、お椀のような白い塊。

 拾い上げる。それは真っ二つに割れた頭蓋骨だった。

「ひっ……」

 コウガはそれを取り落とす。

 頭蓋骨が恐ろしかったわけではない。

 表情筋がこそげ落ち、下顎すら失ったはずの骸骨が、叫んでいるように見えたのだ。音にすらもならない声で。

 恐ろしく……そして、おぞましくもある。骨のひとつひとつが呪物になるというのも、頷ける話だ。

 そんな代物が、未だにゴロゴロ転がっている。果てしなく広がる、この荒れ果てた廃村に。

 とても一晩で拾い切れるような状況ではない。

 それでもコウガは逃げ出さなかった。

 なぜか?

 お父様に頼まれたからか?

 それもある。しかし、本質は別のところにあった。

 一人で居ると気が楽なのだ。

 恐怖と孤独に挟まれながら、賽の河原の如き苦行を延々と続ける。そんな地獄のような状況にありながらも、コウガの心には一抹の安らぎが存在していた。

 敬愛する父の前に居る時よりも、よほど肩の力を抜ける。

 そんな奇妙な状況に身を置いているからか、言葉がポロリと漏れてしまう。

「……旭、死ななくて良かったな」

 それからハッと口を押さえる。こんな呟きがもし父の耳にでも入れば、なにをされるかわからない。

 いつの間にやら浅くなっていた呼吸を整え、深呼吸。

 その時だ。

「ねえ――」

 自分以外の声が聞こえ、コウガの足が固まった。聞かれた? 誰に? どうして? なぜここに?

 心臓がバクバクと脈打つ。肺も心臓も破裂してしまいそうなほどに収縮し、生命活動を息苦しいものへと変えていく。

 手を足をガクガクと震わせながら、コウガは恐る恐る振り返る。

 そこに居たのは……どこか気まずそうなお菊だった。

「ごめん……なんか驚かせちゃった?」

 苦笑したお菊にコウガは訊ねる。

「今の……聞いてました……?」

「なんのこと?」

 良かったなにも聞かれていない。徐々に沈静化していく全身の震えを見送りながら、コウガはほっと胸をなでおろす。

「ところで調子はどう? 大変だと思って手伝いに来たんだけど」

 意外な申し出。

「あ……ありがとう、ございます……」

 ちょうど一人では終わらないのではないかと思っていたところだ。思わぬ援軍に、コウガの表情も和らいでいく。

 それから二人で頑張って、夜が明けるまでになんとか集め終えたのだった。

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