第79話 マザー・コンプレックス

 過酷な訓練が始まった。

 広いホールのド真ん中。メライア教官(王妃)の他に、三人の女性が並び立つ。

 一人はマジータ。ただし彼女はルディのトレーニングを行うらしい。

「そういうわけで、私はラムルーデをしばくからよろしくね」

 ルディは明らかに不服そうだ。怪訝顔で母親を睨み、首を傾げる。

「どういうわけだ」

 マジータはそんな娘の感情を無視し、腕を掴んでどこかへ連れ去ってしまった。そんな二人を見送ってから、メライアは手を叩く。

「さて、じゃあまずは講師を紹介しよう」

 二人の女性が前に出た。はじめに名乗ったのは、中性的な容姿の――昨日、ガリアに連絡を入れた女性だ。短めの頭髪が片目にかかっていて、表情を読みにくい。

「俺はギルエラ。この国で騎士をやっている」

 次に名乗ったのは、ギラギラと眩しい金髪を縦に巻いた、綺羅びやかな女性だ。

「わたくしはマリエッタ。同じく騎士をしていましてよ」

 非常に失礼な話だが、メライアよりも彼女の方がよほど王妃らしい外見をしている。ここで会った女性は誰もが見目麗しい容姿をしているが、しかしこのマリエッタに関しては纏うオーラに一段と差があるのだ。

 だが、しかし。

 そんなやんごとなき容姿とは裏腹に、彼女が最も苛烈な指導官であった。

「それでは、早速小手調べと行きましょうか」

 エメラルドを彷彿とさせる瞳が、ギラついた眼差しを旭に向ける。

「お覚悟はよろしくて?」

「……はい」

 そう言って頷いた次の瞬間、旭の視界には厳かな装飾が広がっていた。それが天井面に施されたものだと気づいたのは、背中を床に打ち付けてからのことだ。

 寝転がったまま混乱する旭。そのまま三人の女性に取り囲まれ、口々に評される。

「素人だな」

「素人だ」

「素人ですわね」

 はい、素人です……。

 それから三人は今後の方針について会議を始める。そこに旭の意思が介在する余地はない。

「ここはわたくしが基礎から鍛えたいところですわね」

 マリエッタの言葉に、ギルエラが難色を示す。

「いや、こんなズブの素人じゃあ基礎だけで何年もかかるぞ。流石にそんな期間こっちで預かってたら、向こうに戻った時に怪しまれる」

「ああ、そうでしたわね……感覚が麻痺していました」

「気をつけろよ。お前みたいに年単位で山ごもりとかできないんだから」

 例に漏れず、彼女らも不老不死の吸血鬼なのだろう。語る時間のスケール感が違う。

「ですが、指導するにしてもここまで基礎がなっていないと教えようがありませんわ。なにをするにも筋力は必要ですもの」

 二人が頭を悩ませていると、メライアがこう提案した。

「ガリアが言っていたが、彼は吸血甲冑でしか戦わないらしい。それなら生身じゃなくてそっちで鍛えればいいんじゃないか?」

「なるほど、その手があったか」

 広場に面した休憩所に通され、待つこと数十分。その間にマジータがやって来た。

「ラムルーデがへばっちゃってね。魔力も切れちゃったし今日はもうおしまい」

 余裕の表情。疲れが全く見えていない。ルディがギブアップしてもなお、彼女は息切れすらしていないのだ。

「すごい体力……お若いですね」

「老けるっていうのは凡人の発想だからね」

 胸を張ってそう言った彼女は、少し離れた草原(よく見るとルディが大の字で転がっている)を見てこう続ける。

「まあでも、ラムルーデだって別にそんなに若くないんだよ」

「そうなんですか?」

 確かに二十代後半は若くないかもしれないが……。

「うん。二百歳超えてるし」

「へっ!?」

 言われてみれば、彼女の年齢を確認したことはない。外見で勝手に判断していただけだ。

 草原を見やる。鮮やかな緑はところどころが焼け焦げていて、ひときわ大きな焦げ跡の中心にルディが転がっていた。ぜえはあと全身で呼吸をする彼女は、やはり二十代にしか見えない。

「さて、私はもう行くね。君も頑張って」

 そう言って、彼女はどこかへ去っていった。



 ようやく立って歩ける程度に回復したルディは、ベンチに腰掛け、近くの広場で殴り合う四機のヴァンパイアメイルをぼんやりと眺めていた。

「お、やってるやってる」

 そう言いながら近寄ってきたのは真彩だ。ルディの隣に無遠慮に腰掛けた彼女は、広場の光景に感嘆を漏らす。

「あの囲まれてるのが旭くん? 達人三人が相手でアレってやっぱり凄いよね」

「どうだかな」

 見た限り、三人はまだまだ本気を出していない。機体のスペックが変わらない以上、彼女達が実力を十全に発揮した場合、旭機は三秒で木端微塵になってしまうだろう。

「それで、あんたはお母さんにしごかれてたんだ」

「少しも頼んじゃいないがな」

「まあまあ、お母さんなりにあんたを心配してくれてるんでしょ」

「さあな」

 ぶっきらぼうに返すと、真彩はじっとルディを見る。なにか感じるものがあったのか、首を傾げてこう訊ねて来た。

「お母さん嫌いなの?」

 ルディの逆鱗スレスレを掠めていく、不躾な質問だ。いつもいつも、わざとやっているのだろうか?

「それがどうした」

「いや、理由が気になってさ。マジータさん、いい人じゃん」

 ルディは一瞬で機嫌を損ねた。この女は常にこうだ。わざとやっているとしか思えない。

「お前が嫌いな理由と変わらん」

 厭味ったらしく返してやると、彼女は興味津々でこう言った。

「へえなになに? 知りたいんだけど」

 なら教えてやろう。

「平気で嘘を吐くからだ」

 彼女の抱える二面性が、母のそれを想起させて気に食わない。いつも笑顔なようでいて、すぐに平気で毒を吐く。それが自らを偽っているようで、どうにも腹が立つ。

「へえ……そうなんだ」

 すると彼女はこう言った。

「いや、でもさ……あんたも十分大嘘吐きじゃん」

 それは否定のしようもない、他でもないルディ自身が再三直面してきた問題だ。だからルディは、その問いに対する明確な答えを持っている。

「だから私は私が嫌いだ」

 そこまで言ったルディは、とある留意事項を思い出す。

「……いや」

 その答えは少し古い。アップデートが必要だ。

「私は私が嫌いだった」

「……あっ、そう」

 心底どうでも良さそうに呟いた彼女は、ベンチから立ち上がりこう言った。

「それでも、どうせあたしのことは嫌いなまんまなんでしょ」

「まあな」

 疑問を差し挟む余地もない。嘘が好きになったわけではないからだ。

 自分を好きになれたのは――

「旭が言ってくれたから……」

 誰にも聞かれないよう、ほんの小さな声で独りごちる。

「え、なんて?」

「知るか。さっさとどこかへ行け」

「……へいへい」

 不満げに立ち去る真彩を見送り、ルディは広場に視線を戻す。

 ボコボコに殴られた旭機は、それでもなお立ち上がった。そろそろ機体の限界だ。もう長くはもたないだろう。

「私も、負けていられないか……」

 明日は、あのべったりと貼り付いた仮面のような笑顔に、冷や汗ぐらいかかせてやろう。

 昨日よりほんの少しだけ前向きになった思考で、明日のことを考えた。

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