満月の夜
第66話 シラフで酔える人
その日は朝から土砂降りだった。
「これでは外に出られんな……」
朝七時、窓の外を見てルディがぼやく。窓を打ち付ける雨粒の大合唱。跳ね上がる飛沫のせいで、周囲の景色が白く見える。
「おっかしいなあ。天気予報だとしばらく晴れてるはずなんだけど」
スマホを眺め、首をひねる真彩。
「山の天気は変わりやすいですからね」
旭は自分にも言い聞かせるつもりでそう言った。とはいえ、この調子だと予定も狂う。
ざんざん降りの雨の中、ましてや湿地なんかを探索できるわけがない。四人は宿での足踏みを余儀なくされた。
「旅先でこんな暇を持て余すことになるとは思わなかったなあ……」
朝食を終え、暁火が嘆く。そもそも調査のために来ているので、遊び道具などほとんど持ってきていないのだ。唯一あるのは、真彩の旅行鞄に紛れていたトランプのみ。仕方がないのでこれで遊ぶ。
ルディがあまり詳しくないので、大抵のゲームはルール説明から始まった。
「久々にやると面白いもんだね」
真彩がそんなことを言っていた気がする。
いろいろ試したが、結局四時間で全部飽きた。四人全員判断が早いので、ゲームが爆速で終わってしまうのだ。
一番盛り上がったのは、大富豪のローカルルールをすり合わせた時のことだったと思う。旭と暁火ですら相違があるのだから面白い。
時刻は十二時前。他にやることもないので、とりあえず早めのお昼にする。
誰も彼もが外出を断念したのだろう。空きがちな昼間の食堂には、すでにそこそこの先客が居た。
「そう言えば、ずっと気になってたんですけど」
人混みを見て、旭は思い出す。
「老狼って神様だったんですよね? 封印されちゃってたのにこの辺には悪影響なさそうですよね」
神格が力を失えばその土地に悪影響が出る。能売川温泉街で見られた症状だ。
が、どうやら事情が違うらしい。
「あれは土地神とは違うからな。形式上は神格扱いだが、実態は
「なるほど……」
神様にもいろいろあるようだ。
気を取り直して周囲を確認。どうやら食券制のようだ。
食券機の横には、多種多様な酒やジュースを満載した冷蔵庫があった。それを見るなり、真彩が唸る。
「う~わ凄いよ。いろいろあんじゃん」
それから旭達に振り返り、胸の前で手を合わせながらこう言った。
「ね、ねえ……ちょっと呑んでもいいかな……」
「別にいいですけど……」
チラリと横目で暁火を見やる。彼女もまた、呆れ混じりに頷いていた。
「別に今日は運転もしないですからね」
「やった! ありがと~ふたりとも~」
「私は許可を出していないが……」
ルディがわざとらしく水を差す。あらぬ横槍に、真彩は露骨に不機嫌になった。
「意地の悪い人……」
まるで子供のような声を出し、ルディに抗議の視線を向ける。そんな真彩が可哀想に思えてきたので、旭は彼女の側に回ることにした。
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか」
「嫌だ。こいつ酔うと絡んでくるんだ。わけのわからんことを言いながら!」
宴会の日を思い出す。それは確かにそうだ。が、しかし。
「いいじゃん別にこんな時ぐらいさ~」
「うるさい。絡まれる側からしたら大迷惑だ」
「ちょびっと。ほんのちょびっとだけだから……」
そもそも真彩はシラフだろうが構わずウザ絡みをする。特にルディに対しては、お互いに嫌っているはずなのに積極的に話しかけるのだ。
長い黒髪を揺らし、真彩はぶりっ子じみた仕草で頭を下げる。
「ねぇ~お願い。後生だからさあ」
「生憎だが、私は輪廻転生なんか信用していない」
「あ、これそういう意味なんだ」
「こいつ……!」
ルディをおちょくることにかけて、彼女の右に出る者は居ないだろう。特に煽るような言動をしていないにも関わらず、ルディのボルテージを着実に引き上げていく。
「お前、そもそもそんなに酒好きだったか!?」
「いいや別に。でもまあ、なんかたまーに無性に呑みたくなるのよ。こういう旅先とかだと特にね……旭くんもそう思わない?」
待て。
「いや僕未成年ですけど……」
「あ、そっかー。なーんかたまに忘れちゃうんだよねえ」
大人っぽく見えるということだろうか? 彼女の軽口を真に受けていても仕方がないので、旭は軽く流すことにした。
「でも旅先でいつもと違うことしたいっていうのはわかります」
「だよねだよね! だからいいでしょ!」
「よくない」
あまりにもルディが嫌がるので、遂に真彩が諦める。
「ちぇっ、そこまで嫌なら仕方ないか……」
諦めの言葉を引き出したルディは、平穏を勝ち取ったとばかりに晴れやかな表情をしていた。あえて言葉にしなかったのは、真彩に付け入る隙を与えないためだろう。
しかし旭は見逃さなかった。
真彩もまた、顔を伏せながらその影で牙を研いでいたことを。その相貌に、不敵な笑みを貼り付けていたことを。
※
ルディの心に平穏が訪れることはなかった。
「ねえなんでチェックインの時の名前『ルディ・上山』って書いたの?」
急に仕掛けられたルディは、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。勢いよく啜っていたうどんで咽せたらしい。
「なんだ、急に……」
「いや不思議だなって思ってね。だってなんか変じゃん? あたしだけ他人っぽくなるし」
「……別にいいだろ」
「あー誤魔化した! なになになにが狙いなの? まさか既成事実とか?」
楽しそうに語る真彩は、アルコールを一滴も入れていない。ルディは完全に忘れていたようだが、真彩はシラフだろうがいくらでも騒げるのだ。
一本取られたルディは、苛立ちを露わに爪で机を叩く。
旭も疑問に感じたので、便乗させてもらうことにした。
「僕も気になります。自分の名前で良かったですよね?」
ラムルーデ・ガリア・ドラクリア・マジータ・グドラクと、彼女には立派な名前がある。が、本人からしたら誇るようなものでもないらしい。
「お前は知ってるだろ……長いからだ……」
それもそうだ。略しどころもわからないし。疑問が氷解した旭は食事に戻る。このゲソ煮込み、具材のひとつひとつに味が染み渡っていて非常に美味しい。ベースの味付けが同じであるが故に、素材の味と食感が引き立つのだ。
旭はてっきりそこで話が終わるものだと思っていた。だが、意外なことに暁火が食いつく。
「えっ旭、知ってるってなにを? まさか、ルディさんのフルネームとか?」
おっとこれは。
「……いつの間に?」
暁火は真っ直ぐに旭を見つめる。斜向かいから向けられる、なんの感情も込められていない視線。目は口ほどに物を言う……はずなのだが、全く意図が読めないのがかえって恐ろしい。
「これはこれは二人だけの秘密ってやつかな? ひーお熱いこと! 妬けちゃうなあ!」
真彩は騒げればなんでもいいのだろう。都合よく隣に居た旭の肩に手を回し、ぐいっと引き寄せケラケラと笑った。
「こりゃ旭くんも隅に置けないなあ。既成事実っていうのもあながち間違いじゃなかったりして」
ヒートアップする真彩と、徐々に熱を失っていく暁火からの視線。板挟みに喘ぎながらルディに視線で助けを求める。
「自分でなんとかしろ」
見事に見捨てられた模様。
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