第64話 喫する敗北
色との攻防戦に、雷光は飽きを感じたのだろう。
それは一瞬のことであった。
「はぁん!」
ふざけた掛け声と共に放たれた一撃。それはトライスコーピオの副腕を木端微塵に破壊した。
まず基礎的な膂力が違う。
打ち込んでも手応えがない。人工筋肉と圧力ジャッキの補助を受けてなお歯が立たない。
敵の目的は本殿の制圧。撤退するにしても、簡易結界を用いて本殿の保護を行わなければならない。だが、奴に背を向けて無事で居られるとは思えなかった。
ここから逃げ出して、本殿に結界を張る。とはいえそれも十時間――日の出までの時間を稼ぐぐらいにしか使えない。明日の晩――更に力の増す新月の夜――にはこいつを滅する必要があった。
無茶だ。
「一騎当千、って知ってるか? たった一騎で千人に当てても戦えるって意味だ」
「それが、どうした……」
縮地。眼前に迫った男は、遂に刀すらも使わなくなった。至近距離から正拳が叩き込まれる。
「それがこの俺、
色は咄嗟に両腕をクロスさせた。ミシミシと軋む腕部装甲。人工筋肉が断裂し、各部のシリンダーから油やエアーが漏れる。
「そいや!」
受けきれない!
両足が宙に浮く。踏ん張りがきかない。吹き飛ばされた色は、狛犬に激突し諸共崩れ落ちた。
ゲホゲホと激しく咳き込み、強打した背中をさする。制御系統は無事だが、外装のダメージが甚大だ。
甲高いアラートは速やかな撤退を指示している。それができれば苦労はしない。
「そんなんじゃあ歩くのも辛いんじゃねえのか?」
ヒトヨロイの状況を見抜いているらしい。雷光と名乗った男はゆっくりとこちらに近づく。わざとらしい、緩慢な歩みだ。
色は負けじと銃口を向ける。だが、引き金を引くよりも早くバレルを握り潰された。逃げ場を失った弾薬が、撃鉄側から燃え上がり噴き出す。
「危ねえなあ」
乱暴に蹴り上げられると、色の体が宙を舞った。ひび割れた胸部装甲が悲鳴を上げる。姿勢制御もままならず、拝殿の屋根に衝突。そのままゴロゴロと地面まで転がり落ちた。
「さて、それじゃあ仕上げといくか」
身動きのとれない色から興味を失ったらしい。雷光は脱力し、本殿へと歩みを進める。
「クソッ……」
苦虫を噛み潰したように、悪態をつく。
痛みで体が動かない。
次はどうする? なにもできない。
脚の震えが止まらなかった。
「なんの騒ぎですか!?」
女性の声。
振り返ると、そこには巫女装束の女性――上山まひるが立ち尽くしていた。
「ひ、ひどい……こんな、どうして……」
雷光もまた彼女に気づき、ゆっくりと首を回す。
「あーあ、見られちまった」
刀を抜き、一歩踏み出す。
「なら殺すしかねえよなぁ……」
太い首をコキコキと鳴らし、雷光は気だるげに構える。本気だ。
「やめろ! この……っ、やめてくれ!!」
重たい体に鞭を打ち、這いずりながら色は叫んだ。無駄だとわかっていても、なにもできないとわかっていても。声が枯れるほどに、叫んだ。
「やめろ!!」
「やめない」
縮地。
「あ、あなたは、一体……」
不可思議な現象に怯えるまひる。その細い体を、雷光は――
「新しい神サマだ」
たったひと突きで。
「そ、んな……」
殺した。
「貴様……っ! クソッ!」
心臓を的確に貫いた雷光は、崩折れたまひるの体を蹴り飛ばす。
「危ないところに近づくなって、パパに教わらなかったんかね」
無造作に転がった死体を一別し、雷光は再び本殿へ向かう。
「こんな……こんな……!」
生気の失せた横顔を見て、色の理性は決壊した。
「うああああああああああああああ!!」
情けなく叫ぶ。
怖い。恐ろしい。なにが? 助けられなかった。見殺しにした。あんなに親切にしてもらったのに。なんのためにここまで来たんだ。
「っせえなあ……」
雷光がぼやく。
あいつは異常だ。狂ってる。
理解の外の存在を、色は激しく拒絶した。
「うぁ……く、来るな!」
「言われなくても行かねえよ……」
雷光は色から興味を失っている。
気づけば、夢中で逃げ出していた。
なぜ逃げたのかはわからない。あれだけ重かった足が我武者羅に動いている。
とにかく遠くへ行きたくて、茂みだろうがなんだろうが構わず突き進んだ。途中、重くて邪魔なヒトヨロイは脱ぎ捨てたが、不安だったので予備兵装だけは持ち去った。最後に残った職業病だったのかもしれない。
※
語り終えた色は、自嘲するように溜め息をつく。
「俺は結局、何に怯えていたのかもわからないまま、全部捨てて逃げ出したんだ」
その姿に、かつての面影はない。
「だから、衰えてしまったんですね。宿敵の存在にも気づかないぐらい」
「ああそうだ。もっとも、あいつは俺のことなんか覚えちゃいないだろうがな」
掃儀屋の名義で予約を入れても、色はこちらに接触してこなかった。それはつまり、こちら側から完全に足を洗ったという心の現れだ。
故に、光はもうひとつの疑問を打ち明けた。
「先輩がもうこちらに関わりたくないというのであれば、それは構いません。私からも上にはとりなしておきます」
彼が関わらないというのなら。
「ですが」
問い質すべきことがある。
それは、光の個人的な感情……例えば、恩師への憧れだとか失望だとか、そんなものは一切関係ない。
この社会の歯車たる大人の一人として、これだけはハッキリさせておかなければならない。
「先輩は、旭くんがこの件に関わっていることをご存知ですか?」
色の顔から血の気が引いていくのを、光は見逃さなかった。
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