第47話 ラムルーデ
しかしチョコバナナは買えなかった。
「売り切れちゃったか……残念」
トイレから戻ってきた暁火達に適当な言い訳を述べる。それがあまり上手く行かなかったのか、なにかに勘付いたらしいルディが旭の肩を小突いた。
「話は後で聞く」
裏返せば、ここでは仔細を話すなということだ。旭が小さく頷くと、なにか勘違いした暁火がニヤニヤしながらルディを見やる。
「え~、ルディさんそんなにチョコバナナ食べたかったんですか~? 意外に甘党だったんですねえ」
暁火のウザ絡みに眉をひそめたルディは、まるでしつこく迫るなにかを振り払うかのように片手を振った。
「ああ。もうそういうことにしておいてやる」
本当に鬱陶しそうだ。思えば彼女がいの一番に鯛焼きを買いに行った時にも暁火は似たような反応をしていた。
そこで旭は違和感を覚える。
思ったよりルディの反応がヌルい。もしも真彩に同じことを言われていたら、たちまちこの場でキレ散らかしていたことだろう。
旭や暁火に甘いだけなのか、はたまた真彩に厳しいだけなのか。不躾にもこんなことを訊ねれば機嫌を悪くすること請け合いなので、そっと心にしまっておく。
「甘いの好きなら向こうに大判焼きあったよ」
真彩が背後を指差すと、ルディの視線もそちらに向かった。それを見た真彩は鼻で笑う。
「やっぱ好きなんじゃん」
急に喧嘩を仕掛けるな。
「……黙れ。お前は嫌いだ」
売り言葉に買い言葉。この二人の仲が良くなる日は、きっと訪れないのだろう。
口喧嘩に巻き込まれないよう、なんとか軌道修正を試みる。
「あれ、そういえば花火って何時からでしたっけ?」
夏祭りと言えば花火だ。花火が嫌いな人間は居ない。
「もう少し後じゃなかったっけ?」
時計を見ながら真彩が言う。その通り。今日は早くに来ているので、フィナーレまではもうしばらく時間がかかる。
わかりきっていたことだが、しかし今回の目的は話を逸らすこと。目論見は見事に成功し、二人の口喧嘩はフェードアウトした。
かに思われた。
「……花火ってなんだ?」
疑問符を浮かべ首を傾げるルディ。そんな彼女の発言に、旭達三人はギョッとした。
旭は彼女の出身地を知らない。花火という文化が存在しない国から来た可能性も、十二分にあるだろう。しかし三人はその可能性を完全に失念していたのだ。なぜなら――
「え、知らないの? そんなに日本語ペラペラなのに?」
真彩が無遠慮に指摘する。
そう。彼女は日本語を完璧に使いこなしているのだ。
そんな人間が花火を知らないわけがないと、旭達は当然のように思い込んでいた。花火は日本の心なので。
「悪いか」
真彩の態度に再び機嫌を悪くしたらしい。露骨に声のトーンが落ちた。
「いや、別に悪くないけど……っていうか、あんたどこ出身なのよ」
それは旭も気になるところだ。しかし真彩の質問だからか、ルディは言葉を濁す。
「……どこだっていいだろう」
いつもならここで曖昧にして終わるところだが、今回ばかりは旭も興味があったので追随する。
「僕も気になります」
「……」
それでも答えるつもりはないようだ。口角を下げて鬱陶しそうに旭を見やる。切れ長の目が、鋭く細められた。
「知りたいか? そんなの」
「僕は……ルディさんのこと、なにも知らないので……」
ポロリと気持ち悪い本音が漏れる。自分で言っていてどうかと思ったが、しかし彼女は特別リアクションを返そうとはしなかった。
その代わり、暁火に肩を叩かれる。ちらと横目で見やると、小声で耳打ちされた。
「そっとしといた方がいいかもね」
そうだね。
それから彼女はルディに振り向く。ことごとく空気の入れ替えに失敗している旭に代わってか、新たな話題を切り出した。
「花火は見ればわかるんで、それまで違うことやってませんか? 射的とか」
「いいね射的」
旭もそれに同調する。射的がしたいお年頃なので。
「射的か? まあ、構わんが……」
「真彩さんはどうですか?」
「いいよ。いこっか」
満場一致で射的と相成った。真彩はこういう時に口を挟まないでいてくれるのがありがたい。彼女としても、好き好んでルディと喧嘩しているわけではないのだろう。
「負けたら奢りね」
「一人でやってろ」
そうでもなかった。
※
真彩と暁火が射的にドハマリしてしまった。
「あっれえ……ぜんっぜん倒れないなあ……」
「もう少し上の方に当ててみるとかどうですか?」
「どうかな……真正面に当てたほうがいい気もするけど」
倒れない景品を前に、ああでもないこうでもないと首を捻る。そんな二人の後ろ姿を、旭とルディはなにをするでもなくぼんやりと眺めていた。
「ああまで倒れんと楽しさがわからん……」
倒れない景品の多さに、ルディは辟易しているようだ。旭もまた、早々に萎えてしまったクチである。
「豪華な景品っていうのをアピールしたいんでしょうね……ちゃんと倒れたのはお菓子の袋だけでしたが」
とはいえ縁日ではよくあること。多少のボッタクリは祭りの華だ。むしろ引き際を見極めることこそが腕の見せ所と言える。
……が、真彩も暁火も一向に引こうとしなかった。
「いつまでやってるんだ、あの二人」
「倒れるか、お金がなくなるまで、ですかね……」
短い列を何度も何度も並び直し、同じ景品に何度も弾を当て続ける。いい加減に諦めてしまえばいいものを、彼女達は何度も何度も繰り返すのだ。
これ以上は時間とお金の無駄だろう。熱中する二人に撤退を提案しようかと思った矢先、ルディがポツリと呟いた。
「ラムルーデ」
「え?」
「ラムルーデ・ガリア・ドラクリア・マジータ・グドラク。……それが私のフルネームだ」
「え、でもルディさんはルディさんじゃ」
まさか偽名だとでも言うのだろうか?
旭の疑問に、彼女は目を伏せながら答える。
「愛称……要するにニックネームだ。私の国ではポピュラーで……。フルネームで名乗っても、発音するには長いし、そもそもここまで長く関わるつもりでもなかった。だから……隠していたわけじゃない」
言い訳じみた、たどたどしい言葉選び。彼女にしては珍しい、しおらしいものだった。
「それをどうして、今?」
「……さあな。自分のことを話したがらない奴だと思われるのが、嫌だったのかもしれん」
多分、いつものように気まぐれを起こしたのだろう。
それでも、旭は嬉しかった。彼女のことをひとつ知れたこと。それを彼女の口から聞けたこと。それがなにより嬉しかった。
それに答えるように、旭も勇気を振り絞る。
「……ラムルーデさん」
いつもと違う呼び方は、口にするだけで精一杯のものだった。
しかしそれは、口にされる側も似たようなものだったらしい。
「あー……、なんだ。むず痒いな。呼び名は変えるな」
それと、と彼女は付け足す。
「あいつにはバラすな。気に食わん」
どれだけ真彩が嫌いなのだろうか。しかし、同時に優越感を覚えたのもまた事実だ。思わず余計なことを口走ってしまう。
「わかりました、じゃあ……」
待て。果たして、こんな恥ずかしいことを口にしていいのだろうか? 気持ち悪くないだろうか?
……少し考えたが、しかし吐いた唾は呑めない。もうここまで言ってしまったのだから、今更取り繕った所で手遅れだ。
「僕とルディさんだけの秘密ってことで」
「……そうだな」
――ラムルーデ・ガリア・ドラクリア・マジータ・グドラク。
この街でその神秘的なフルネームを知っているのは、旭ただ一人だけだった。
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