第31話 今宵、新月の空に至りて
山場である大宴会を無事に終え、宿全体に張り詰めていた緊張感がほんの少しだけ和らぐ。つかの間の休息にほっと一息つく者たち。
そんな中で、しかし未だ緊張の渦中にある者が居た。
決戦を目前に控えた男、上山旭だ。
空き部屋の家族風呂を掃除ついでに使わせてもらう。従業員及び家事手伝いの特権だ。ぬるめのお湯に浸かりながら、月のない夜空を見上げる。
少しでも気を紛らわせないかと、こうして長風呂しているわけだが……効き目が全く感じられない。
テスト前日程度の緊張になら、効果てきめんなのだが。
「入るぞ」
女性の声と同時に、背後で戸が開かれる。反射的に振り返った旭は、その目に飛び込んできたモノを認識した途端にビクリと体を震わせた。
「るっ、ルディさん!?」
膨大な情報量が視界に飛び込み、思わず顔をそむける。もっとよく見たい。が、これ以上見たらなにかを失ってしまう気がする。見開いた目で水面を見つめ、深呼吸を繰り返した。
そんな旭の様子を見て、ルディはケタケタと笑う。
「荒療治だ。緊張も解けたろ?」
確かに先程までの嫌な緊張感は雲散霧消したが、今は別の理由で心臓がバクバクと高鳴っている。今にも破裂してしまいそうな胸を押さえ、旭は俯いた。
「あ、ありがとうございます……うぅ……」
じゃぶじゃぶと音を立て、なにかが近づいてくる。大きな波だ。これは――
「邪魔するぞ」
あろうことか、ルディは旭のすぐ隣に腰掛けたではないか。にごり湯から覗く白い肩に、視線が吸い寄せられていく。
俯いていると見えてしまいそうなので、反対方向へ視線を逸らした。苔むした庭石の凹みを数え、平常心を手繰り寄せる。
旭の葛藤などどこ吹く風。混乱の大本であるルディは、夜空を見上げて語るのだ。
「星がよく見えるな」
「ま、まあ……街明かりが少ないですからね」
「……私の故郷も、星だけは綺麗だった。なにもない土地だったが、空だけは綺麗だったんだ」
「はあ……」
急に郷愁に浸り始めたものだから、旭は生返事を漏らした。一体彼女はなんの話をしに来たのだろうか? まったく意図が読めず、旭はただただ混乱する。ぬるま湯でなければのぼせていたことだろう。
「月並みな話だがな。まあ、立地が良かったんだ」
「そうなんですか」
彼女も会話がしたいわけではなかったらしい。適当な相槌に機嫌を損ねることもなく、ただただ取り留めのない話を続ける。
延々と、体が暖まるまで。
「……さて、私はそろそろ上がる。くれぐれものぼせるなよ」
そうして彼女は去っていった。唐突に。現れた時と同じように。
旭は思った。やっぱりあの人ヤバいんじゃないか、と。
美人だし、こちらを陥れるような意図がないことはわかる。旭のことを……人間性のようなものを信頼していくれているし、嫌悪感が湧くようなタイプでもない。それに美人だ。
だが、マトモな感性を持っているとはとうてい思えなかった。
いくら超常的な能力を持っているからと言って、普通は男子中学生の入浴中に全裸で突撃なんてしないだろう。
確かに彼女は旭が逆立ちしても敵わないような相手だ。これまで築いてきた信頼を裏切って旭が凶行に及んだとしても、指一本触れさせてくれないだろう。暴行に対する恐怖心など、彼女は抱いていない。
あるいは、力量以前の、旭の人間性を信頼して、なにもしてこないだろうと踏んでいるのかもしれない。実際、旭が今回なにもしなかったのは良心……というか、それ以前に自分の抱えた常識からの判断だ。
彼女は、旭に襲われ被害を受けるという事態を想定していない。
だがしかし、それ以前の問題ではないだろうか。
マトモな人間は他人の、それも異性の入浴中に突撃してきたりなんてしない。
元々ズレた部分のある人だとは思っていたが、まさかこれほどとは。
(それにしても……)
ほんの一瞬目にした光景を思い返す。
(すごい身体してたな……エロ漫画のヒロインみたいな体型だった……)
それからコッソリなんやかんやして少し冷静になった。
※
街には結界が張られていた。
いつかの落ち武者の時と同じものだ。あの日の
そして――零時ぴったり、彼は現れた。
「逃げずに来たみてえだな。こんなミエミエの罠に……褒めてやったほうがいいか?」
星明りに照らされて、ド派手に煌めく紋付羽織袴。夜闇に馴染むつもりが欠片も感じられないこの男は、しかし紛れもない夜の住人。妖人同盟の主――源雷光。
傍らには、見上げるほどに巨大な人骨。あれは――ガシャドクロだろうか。それが……十五体。質で負けているとは思えないが、それ故に数を出してきた。厄介な相手だ。
「言ってろよ。僕は逃げも隠れもしない」
しかし旭は啖呵を切る。怯んだら押し負けてしまいそうだからだ。情勢もそうだが――なにより、この男の圧が強い。
「そうだよな。必殺技があるんだもんな?」
茶化すような言い方が癪に障る。しかし旭が腹を立てるよりも先に、ルディが指を鳴らした。
「御託はいいだろ。始めるぞ」
それと同時に姿を現すヴィルデザイア。背負う刀は妖刀――『旭日』だ。どんな怪異も一刀両断。必殺技でこそないが、しかし必勝の威力はある。その気を感じ取ったのか、ガシャドクロ達は皆一様に震え上がった。
しかし、雷光だけは楽しげに口笛を吹く。
「ヒトヨロイなら俺も持ってるぜ」
――背後の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
虚空が徐々に輪郭を描き出し、人の形を結んでいく。つるりとした、のっぺらぼうを思わせる純然たるヒトガタ。
「か~ら~の~、ウェーイクアップ!!」
黒く塗りつぶされたシルエットに、雷光の一声で炎が宿る。漆黒の機体を彩る、青い炎の武者鎧。その姿は――まさに武士そのもの。
遂に全貌を表したその機体を見上げ、ルディは呟く。
「……
うまく聞き取れなかった。
「でーつ……なんて?」
「なんでもない」
「そうですか……」
巨人の足を自慢気に叩き、雷光は言う。
「いいだろ、お前がブン回してるの見て思い出したんだ。祠の底で埃かぶってたのを引っ張り出してきたぜ」
なにが面白いのかガハハと笑う雷光。その余裕が気に食わない。衝動のままに旭はヴィルデザイアへと乗り込む。
「よくわかんないけど、そんなぽっと出のロボットなんかには絶対に負けない!」
なんのためにこの数日間死ぬほど苦労したと思っている。早くも抜刀した旭は、そのまま構えて突撃した。
「せぇい!!」
脳天唐竹割り――しかし、武者鎧がそれを脇差で防ぐ。
「戦のマナーがなってない。俺が乗るまで待ってろよ!」
武者鎧に蹴飛ばされ、ゴロゴロと転がるヴィルデザイア。その間に、雷光は悠々と自機に乗り込んだ。
水晶の瞳が、妖しく光る。
「俺が戦のイロハを叩き込んでやる! 行くぜ、
主の言葉に応えるように、その機体は唸りを上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます