第27話 炎の刀鍛冶
あまり綺麗な部屋ではなかった。
不潔、という意味ではない。少なくとも、目に見える範囲の清掃は行き届いているように見える。
しかしながら、布団の周囲に積み上げられた書籍の山やプラモデルの箱など、部屋の主がだらしない人間であるという印象は拭えない。
そんな部屋へ無遠慮にズカズカと入り込んだ真彩は、布団の中央、盛り上がった部分を揺さぶった。
「未央、朝だぞ。起きなよ」
「うう……お姉ちゃあん……」
布団の中から這い出した女性は、真彩の姿をしげしげと眺める。それからちょうど一分後、ビクリと体を震わせた。
「え!? お姉ちゃん!?」
真彩の姿がよほど珍しかったらしい。未央――つまり真彩の妹は、姉の肩を掴んで激しく揺さぶる。
「戻ってくるなら教えてよ~」
ボサボサな髪もそのままに喚き立て、しまいにはその胸に飛び込んだ。甘えているのだろうか。
対する真彩はと言えば、あまり熱のこもっていない視線を妹に向けていた。困ったように眉を傾け、抱きとめることも突き放すこともしない。
そのまましばらく経って気が済んだのか、真彩の胸から顔を離す。それから、部屋の入口に立つ旭達を見て絶句した。
「……未央さん……?」
真彩と同様に、未央とも一応面識がある。ハッキリ言って、かなりイメージと違った。
未央としても、見せたい姿ではなかったらしい。
「あ……あ……」
一瞬で布団を被り直し、声にならない悲鳴を上げた。この布団は心の壁だ。しかし、真彩はそれを無慈悲にも引き剥がす!
「ほらほら。ぐずってないでさっさと起きる!」
「ご無体な~!」
それから旭とルディは部屋を追い出され、たっぷり十五分ほど待たされた。
「さ、準備終わったから。入った入った」
真彩に導かれるまま中へ。再び案内された部屋は、先程とは打って変わって整頓されたものだった。
よく見ると、真彩の息が上がっている。多分、実際に手を動かしていたのは彼女なのだろう。片付けが上手いというイメージはなかったので意外だった。
未央は部屋の中央で学習椅子に腰掛けている。短く切り揃えられた黒髪も整えられていて、姉に甘えていた妹と同一人物だとは思えない。一転してクールな空気をまとった彼女は、コホンと小さく咳払いしてから問う。
「話は聞いたよ。旭くん……と、ルディさん? まあいいや。納期はどれぐらい?」
「八月一日、その晩だ」
「なるほど……ギリギリかな」
間に合えば構わないと、ルディは頷いた。それから、三人の視線が旭に集う。
「え? なんですか?」
これまで旭はほとんど蚊帳の外だった。実際に戦っているのも、ここで仕入れた得物を使うのも間違いなく旭なのだが、実際に今から何をどうするのかを理解していない。専門家だけで話を回していたせいで、なんの説明も受けていないのだ。
故に、有り体に言ってしまえば何もわからなかった。
だからこうして注目されてしまうと、ただただ困惑する他無い。何もわからないのだから。
説明を省いた張本人、ルディは旭にこう言った。
「お前にもやってもらう事がある」
「雑用……とかですか?」
「いいや、違う。刀にお前の銘を刻むんだ。お前自身の手でな」
「え?」
そもそも全容を理解していないので、彼女の要求が何を意味しているのかもよくわからない。なので旭は説明を求める。
「いや、急に言われても全然わかんないですよ。ちゃんと説明してください」
「それはあたしから話そうか」
真彩が一歩前に出る。
「名は体を表す。妖刀の基本はこれで、例えば榧鼠は全てを喰らい尽くす事で妖魔を消し去る」
「え、それじゃあなんで消えちゃうんですか?」
「ネズミだからね。小さな体で食べすぎるから死んじゃうの」
納得できるような、できないような。怪異自体が理不尽な存在なので、それを挫くモノがまた理不尽であることも、道理と言えば道理かもしれないが。
しかし、肝心要の部分がわからない。
「それじゃあなんで僕の名前をつけるんですか?」
ネズミというのはありふれた存在であり、だからこそ多くの逸話に登場する。故に、強い力を持つ……というのは、なんとなく理解していた。
しかし、対する旭はただの一個人だ。物理的にはネズミよりも強いかもしれないが、それが妖刀の力になるとも思えない。
「そこは運が良かったって感じかな」
「運?」
「そう、運。運が良すぎて、運命じみたものを感じるぐらい」
彼女は続ける。
「旭くん、君の名前は素晴らしいよ。いい名前をつけてもらったね」
今は亡き母に貰ったこの名前、好きか嫌いかで言えば、好きだ。音の響きがいいし、何より書きやすい。
「旭、あさひ、旭日。要するに日の出のことなんだけどね。怪異っていうのは基本的には闇、夜の世界の住人。だから、朝が来ることを恐れる」
「そして、朝は必ずやってくる。いつでも、何度でも。だから繰り返し使える」
黙っているのに飽きたのか、未央が説明を引き継いだ。横入りされた真彩は、妹に恨めしげな視線を向ける。
「加えて、願掛けは重ねることで効果が高まる。自分の名前を自分で打った刀に刻み、自分で振るうのが理想だが……出来合いのものを使う以上、そこは妥協するしか無い」
終いにはルディまでもが彼女の立場を奪った。真彩のプライドはボロボロだ。
「……とまあ、そういうわけで。呪印は未央が刻むけど名前は君にがやるんだよ」
辛うじてトリを飾り、面目は保った。
閑話休題。
旭は困惑した。何のスキルもないのに、急に刀に名前を掘れと言われたのだ。できるわけがない。そんな不安が、旭の思考を締め付ける。
「できるよ。あたしがサポートするから」
未央が胸を張って言う。
「こう見えてあたしは現役鍛冶屋の中でも五指に入る腕前らしいからね。大船に乗ったつもりで一緒に頑張ろ!」
どのみちそれ以外に手立てもないのだ。旭は覚悟を決める。
「わかりました。やりましょう!」
わずかに空元気が出てしまった。姉の暁火には簡単に見抜かれてしまうが、果たして。
「その意気や良し! それじゃあお姉さんが準備しておくから、明日また来なね」
この場の誰にもバレずに済んだ。いらぬ心配を掛けたくなかったので、内心でほっと一息つく。
こうして、旭の新たなる挑戦が始まるのだった。
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