第28話 言った、決めた、誓った
家に帰ると、中居さん達がやけに忙しくしていることに気がついた。
話を聞いてみる。どうやら大規模団体客の来訪が近いらしい。旭にも心当たりのある会社だった。
「デカい会社なのか?」
ルディの問いに、旭は答える。
「県内では上から数えた方が早いですね。毎年何班かに別れて社員旅行をしてるみたいなんですけど、必ず一班はウチに泊まってくれるんですよ」
すると真彩が割り込んできた。
「それがあるから、しばらくあたしは旭くん達を手伝えないんだよね……」
申し訳無さそうに肩をすぼめた彼女に、旭は言う。
「大丈夫ですよ。もともとお父さんはそのために呼んだんだと思いますし」
「ほんとゴメン。また今度埋め合わせするから」
年々客足が減る中で、この大口顧客は瀬織にとって重要な存在だ。何か粗相があっては良くない。真彩には本業に専念してもらいたかった。
(それにしても……もうそんな時期か……)
彼らがやってくるのは、七月の終わりから八月の頭。少し後に繁忙期があるらしく、英気を養いに来るようだ。
もうすぐ七月が終わる。夏休みが短いのはいつものことだが、今年は輪をかけてあっという間だった。原因については……考えるまでもない。
……昨日も同じようなことを考えた気がする。
同じことを何度も考えても無駄なので、違うことに思索を巡らせる。そう言えば、この時期は旭も仕事を手伝っていた。もっとも、雑用に限った話ではあるのだが。
と、いうことは。
今年も手伝いを頼まれるのではないだろうか?
※
頼まれた。それも、雄飛と色というこの旅館のツートップから、直接。今年も雑用を手伝って欲しい、と。
お小遣いが貰えることもあり、旭が手伝いを断ったことはない。だが、今年の夏は話が別だった。
「ごめんなさい……今年はちょっと、やらなきゃいけないことがあって……」
新月、つまり決戦の日はは八月一日。団体客の来訪も、また同じ八月一日。旅館の手伝いをしていては、刀を用意できなくなってしまう。
もちろん、この時期の忙しさは知っている。ただの雑用と言えど、旭の存在も馬鹿にならない。それでも旭は頷けなかった。
俯く旭に、色が言う。
「やらなきゃいけないことっていうのは、学校のことかな? それとも何か約束があるとか?」
「それは……言えない」
色は眉をひそめた。
「旭、我儘言ってお父さんを困らせちゃいけないよ。今は猫の手も借りたい状況なんだ」
いつもは旭の肩を持ってくれる色だが、今回ばかりはそうも行かない。滅多に聞かない厳しい声色で、旭に言い聞かせる。
家の手伝いができず、その理由は言えない。傍から見れば、旭が言っているのはただの我儘だ。彼らを説得する方法が思いつかず、旭は途方に暮れてしまった。
しかし、助け舟は意外なところからやってくる。
「旭。そのやらなきゃいけないことっていうのは、旭にしかできないことなのかい?」
「……うん」
旭は頷いた。
「それは、旭のやりたいことでもあるのかい?」
改めてやりたいことなのかと問われると、すぐに肯定することができない。流された結果であり、自分で考え選び取った道ではないからだ。それでも、旭は頷いた。
ここで頷かなければ雄飛は納得しない。
「うん」
力強く頷いた旭に、雄飛もまた頷きを返す。
「……そうか。なら仕方がないな」
「雄飛さん!?」
「いや、いいんだ。確かに猫の手も借りたい状況だけど、実際に借りないとやってけないわけじゃない」
色にそう言った雄飛は、もう一度旭に視線を向ける。
「その代わり、ひとつだけお父さんと約束して欲しい」
旭の目を見て、父は言った。
「自分でやると決めたからには、絶対に途中で投げ出さないこと」
迷いはしない。説得に成功した喜びと共に、旭は力強く頷いた。
「うん。わかった!」
話を終えて事務室を出る。扉が閉まったことを確認し、旭は深く息を吐いた。
「上手く行ったか?」
外で待っていたルディに、旭は頷き返す。
「ええ、なんとか」
顔には出ていなかったが、彼女なりに不安を抱いていたらしい。旭の報告を受け、ほんの小さく安堵の息を吐いた。
「お前の居ない穴は私が埋めておこう。なに、掃除は得意な方だ。ついでに邪気も祓っておこう」
彼女が真面目に働いていることについては、疑うべくもない。掃除に関して言えば、恐らく旭よりも数倍早いし上手いだろう。手は動かして居ないようだが。
懸案事項は解決した。後は新月までに刀に名前を刻むだけだ。
「待ってろよ雷光……」
お前の野望は必ず打ち砕いてやる。
※
砕けそうなのは指の骨だよ。
金槌を握る手がじんじんと痛む。一度工具を脇に置き、両手を休ませる。
額を流れる汗は何度拭っても湧き出して、鬱陶しいことこの上ない。汗に濡れた衣服は、肌に張り付いて気持ち悪かった。
劣悪な環境。
炎天下を越える猛暑。気温に関しては『暑』の文字を当てるのが正しいのだが、ことこの部屋の環境に関して言えば『熱』の字を使いたくなる。普段からサウナで鍛えていなければ、すぐにでものぼせてしまったことだろう。
それにしたって限界がある。
旭はびしょびしょに濡れたコップを手に取り、氷水を飲み干した。
コップに付着した大量の水滴が、外から内から熱くなった旭の掌を急速に冷やす。
今日も今日とて鉄を打つ。泊まり込みで、朝から晩まで。
やめたいと思った。
そもそも、なぜこんな事をしているのか。貴重な夏休みを使って、親の手伝いも放り出して、こんな鉄の塊をハンマーで叩き続けているのだろうか。
鋼の挙動を学ぶためだと、未央は言っていた。名前を刻むだけでも、必要な感覚なのだと。プロである彼女が言うのだから、これは必要な事なのだろう。
しかし。
そもそも、なぜ旭が刀に文字を刻む必要があるのだろうか?
榧鼠だって旭が刻んだわけではない。この刀の文字だって、威力にさえ目を瞑れば未央が刻んでも問題はないはずだ。
旭は、ただヴィルデザイアに乗って刀を振るっていればいいのではないだろうか?
そもそも、どうしてこんな戦いに身を投じているのだろうか?
全てが嫌になってきた。旭は金鎚を取り落し、猛暑の中で項垂れる。土間には汗が滴り落ち、黒い染みを作っていた。
吸い込まれるような黒。
ルディの纏うドレスの色は、もう少し綺麗だった。
なぜ彼女は旭を選んだのだろうか。
やはり、都合が良かったから?
ぼんやりと、意味のない思考を巡らせる。
――「自分でやると決めたからには、絶対に途中で投げ出さないこと」
父の言葉が脳裏をよぎった。
理由なんてどうでもいい。
旭はやると言ったのだ。戦うと決めたのだ。自分の名前を刀に刻むと、自分の意志で口にしたのだ。
「……やるか」
煤や泥に汚れた金槌を手に取る。
鋼の挙動はまだわからない。
それでも旭は打ち続けた。
その手に伝わる感触を、魂の奥底まで刻みつけるように。
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