第26話 はろうぃん

 木枯らし荒ぶ、秋も深まる頃。ティアラは、少し肌寒さを感じながら、自分の職場の『喫茶店』へ向かっていた。


 学院の授業が、思いの外伸びてしまったため、少し早歩きで、もはや慣れた道を進んでいく。


 紅く色づき始めた世界樹の方向へ、文化区を歩く。そうすれば、いつものようにお店が見えてきて…


「ん?」


 店の前まで辿り着いて、私は思わず疑問符を浮かべた。見慣れたドアに、何か張り紙がしてるのだ。


「なになに…?本日『はろうぃん』合言葉の『とりっくおあとりーと』を店主に伝えると、デザートが一品無料です…?」


 何やら、よくわからない文言が並んではいるが、要するに、合言葉を伝えればデザートが一品無料の日なのだろう。

 そんな話は聞いていないんだけど、と溜め息を吐きながら店のドアを開けると、私は飛び込んで来た光景に絶句した。


「あ、ティアラ。ハッピーハロウィン!」


「………」


 今、私の口はあんぐりと空いている事だろう。そのぐらいに、店内の状況が想像だにしない風景だったのだ。


「ティ、ティアラ?」


 私が固まっているのを見て、訝しそうな声でナギが名前を呼んでくるが、訝しがりたいのはこっちの方だ。

 ようやく、衝撃から立ち直り、冷静になれたので、私は率直に尋ねた。


「ナギ、一つ聞くわ」


「う、うん?」


「その格好、なに?」


 そうなのだ。なぜか今日のナギは、いつもの白シャツにエプロン姿ではなく、白シャツの上にマントを羽織り、蝶ネクタイを締め、極め付けには、頭に犬の耳がついている。


 そして、お客さんもお客さんで、店内にいる数人のお客さんの格好が、軒並み奇妙だ。


 最近父親になったという、ラルフさんは何故か頭にかぼちゃらしきものを模した帽子をかぶりながら、平然とコーヒーをすすっている。


 そして、席を一つ空けた隣では、顔を包帯でぐるぐる巻きにした人が、呑気に頭に熊の耳らしきものをつけて、顔に何やらペイントがされている女の人と会話をしている人がいる。

 あれは…常連のウォルツさんの秘書さんよね?ってことはあの包帯の人って…


 心の底から、深い溜め息が出そうになる。あの…あなた、うちの学院の…


 言っても仕方ないし、ここでは、外に出ればどんな偉い人だったり、どんな噂がある人でも、平等に一人のお客さんというのがナギの信条だ。

 なので、心の中だけになんとか嘆息を留めると、もう一度ナギに尋ねる。


「皆の格好、なに?」


「今日は、はろうぃんだから、皆に仮装をして貰ってるんだよ」


 その、答えにならない答えに、頭痛をこらえながら、詳しく問い詰めると、どうやらこういう事らしい。


 今日はナギの故郷では『はろうぃん』と呼ばれるイベントの日らしい。仮装をして、子供達が合言葉とともに、かぼちゃを顔の形にくり抜いたオブジェが置かれた街を駆け回り、お菓子をもらいに行ったりする、そんな日。


「なのに、なんで大人たちも全員仮装しているの?」


「いや、それが最近は風潮が変わってさ、年齢関係なく仮装して騒ぐ日なんだよね」


「めちゃくちゃじゃない!」


 なんだその日は。ナギに何故仮装をするのかとか、何故お菓子を配るのかとか聞いても「そういえばなんでなんだろう」と、逆に考え込む始末。


「はあ…それで、お客さんにも仮装させて?」


「いや、最初はみんな戸惑うかなあと思ったんだけど、常連さんたち思いの外ノリノリで。初めてのお客さんも、それを見て、なんか受け入れちゃって、今に至ります」


 私は、再びやってきた頭痛を堪えるようにこめかみを抑える。そうだった、この店の常連さんって、ちょっと変なんだった。


「いやあ、そんな感じだったから、最初ティアラが何に驚いてるのか、一瞬わからなかったよ」


「重症ね」


「まあ、そういう訳で、今日はティアラの制服はこれです」


「えっ?」


 そうやって、渡されたのは…


「ねえ、ナギ」


「なんだい、ティアラさんや」


「これ、ナギもだけど、なんの仮装なの?」


「えっと…獣人さん?」


「じゃあ、このマントは?」


「…すいません。それっぽいのをテキトーに合わせてみただけです」


「どんなイメージなのよ、はろうぃん!」


 私が渡されたのは、フリルがついた黒いマントと、淡い色の蝶ネクタイ。それはまだいいのだ。今、私の頭の上には、猫耳がついている。


「本当に、ナギの故郷って何を考えてるの?」


「いや、猫耳とか、犬耳とか女の子につけるのが好きな地域だったんだ…いや、でも、ティアラも猫大好きでしょ?」


「前半に聞こえた、恐ろしいことは聞き流すとして、確かに好きよ?猫耳。でも、猫になりたいと言ったことはないの」


「あとで、スイーツとコーヒー出すから、今日一日だけ…」


 私が、どうも乗り気ではないのを見て、ナギはカウンターの端に置かれたものを指差す。


「ケーキ…?」


「そう、カボチャが有名な催しだからさ、ケーキを作ってみたんだ」


「うぅ…」


 正直、ケーキは食べたい。私は女の子なので、例に漏れず甘いものは大好きだし、ナギの作るものの美味しさを誰よりも知っているからこそ、どうしてもと言っても過言ではないぐらい食べたい。

 でも、それ以上に恥ずかしいのだ。猫耳で接客…


 私の葛藤を見て、もう一押しだと思ったのか、ナギがボソッとこんなことを呟く。


「今なら、店を閉めた後、パンプキンスープと、パンプキンパンも追加できます」


 相変わらず、ナギは卑怯だ。美味しいものを人質にして!私はそんな誘惑には…!


********************************************


「大変な目にあったわ…」


 私は見事に、食事の誘惑に乗ってしまい、あの格好のまま接客をした。そうしたら、衣装全面協力だという、フリーダさんが訪れて「最高に似合うわあ!!!」と猫可愛がりされて、危うく次の衣装を着せられかけるわ、同級生であるクルト君がやってきてこの姿を見られるわ、散々だったのだ。


 今はひたすらに、明日に私が猫耳をつけていたという噂が学院に広がっていないことを祈るのみである。


 なぜか、クルト君は、私の姿を見た後、蒸気を噴いたようなリアクションをして倒れたのだけれど、大丈夫かしら。その後、ナギが起こすと、記憶を失ったみたいに疑問符を浮かべながら帰っていったので、思い出さないでくれると非常に助かる。


「はい、ティアラ。パンプキンケーキ」


 だが、そうまでした甲斐はあった。目の前に置かれた、かぼちゃのケーキは見るからに濃厚で、自然と顔が緩んでしまう。


 さて、いざ実食と、フォークを突き刺そうとした時、ヒョイっとケーキがナギの手によって下げられる。


「えっ…?」


 多分私は、すごく悲しそうな顔をしていたのだと思う。


「いや、ごめん。そんな顔をしないで。でも、言う言葉を忘れてるよ」


 そう言ってナギは、ドアに貼られた紙を指差す。今日聞き飽きた、合言葉。


「ナギ、とりっくおあとりーと」


「はい、ティアラ。ハッピーハロウィン!」


 その後のことは、私だけのものなので詳しくは言わない。でも、私の帰り道がとてもご機嫌なものだったことは、ここに記しておく。


 そして、はろうぃんとやらは終わったはずなのだけれど、どこから噂が回ったのか、喫茶店は、店の人間全員仮装している変な場所として、また妙な形で有名になるのだった。



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