第3話 入った時はお客様、出る時は


「え、本当に美味しいの?」


「なんで提供した側がそこに疑問を抱いてるのよ…」


 いや、僕自身は大好きな味なんだが、ギリギリ二桁きてくれたお客さん全員に勧めて、全員に吐き出されてるからさ…流石に自信なくなるよ…


「いや、普通に美味しいわよ」


「ホントのホントに…?」


「ホントのホントに」


 僕のあまりのしつこさにため息を吐きながらも、どうやらその言葉は本当のようで今もなんら表情を動かすことなくコーヒーの苦味を楽しんでいる。

 やっぱり世界は違えどコーヒーの魅力は共通のようだ。安心した。


「不思議な場所ね、ここ」


 コーヒーをすすりながら、少女はそんなことを言ってきた。


「外から見たら厳しいのに、中は意外と落ち着くのね…静かだし」


 おい、今静かだしを店を見回してから付け加えた理由を聞かせてもらおうか。というか外から見ると厳しい?まじで?


「え?この店入りにくかったりする?」


「するわよ。だって、外から見ると何するお店かわからないんだもの」


「えっ…」


 そんなわけ、この店の外観は喫茶店以外の何物でもないはず…って、ん?ああ、そっか…この世界、喫茶店って概念浸透してないんだった…

 最初荷物を運んできてくれたお兄さんに「ここなんのお店開くの?喫茶店?聞いたことないけど頑張って」って言われた時は愕然としたものだが…


「私もピアノの音がしなかったら入らなかったと思うし」


「ああ、外まで聞こえてた?」


「うん、少しね」


 どうやら、お客さんの来ない鬱憤ばらしに鍵盤をデタラメなタッチで叩いていたせいで音が漏れ出していたらしい。夜とかは気をつけないと。


「聞いたこともない曲が聞こえてきたから思わず入っちゃった」


「好きなの?ピアノ」


 僕のその質問にコーヒーカップを口に運ぶ動きが止まる。その奥ではキョトンとした大きな瞳がこちらを窺っている。


「…制服見たらわかるでしょ?」


「いいや?全く?」


「面白い冗談ね?」


「残念ながら冗談でもなんでもないんだけどなあ…」


「店も不思議なら、店主も不思議なのね…」


 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら、少女はため息をひとつ。コーヒーカップが空になっているので、もう一度お湯を沸かそう。久しぶりにコーヒーの味がわかってくれる同志に出会えたのだからサービスだ。


 それから、もう一度コーヒーを淹れる間、僕は彼女の話を聞いた。久しぶりのお客さんで舞い上がっていたのもあるだろう。まだ彼女と会話をしていたかった。

 この街の芸術学校である、アルスター芸術学院の高等部一年生であること、そこで音楽を学んでいて、二年生から選択できる専攻はピアノにしたいこと。


「ピアノを専攻するのに、人数制限があるの?」


「そ、ピアノって高価じゃない?それに、そんなにホイホイ作れるものでもないから授業に使う台数にも限りがあるの」


 僕はドリッパーにお湯を注ぎながら尋ねる。そうか、この世界ピアノを量産とかできないか…


「ちなみにどのくらい?」


「専攻できるのは五人ね」


「そんなに少ないの!?」


 さっき聞いた話だと、一学年に生徒が三百人もいるという話だったからそこから五人となると、全員が志願するわけでないとしても、相当な倍率になるだろう。

 

「ちなみに去年の志願者は?」


「百人ちょっとだったって聞いてるわ」


「それは…」


 倍率が単純計算で二十倍だ。並大抵なものではない。


「ちなみにその五人ってどうやって選ぶの?」


「専攻選択権は学科の点数、あと内申と、実技の点数ね。ピアノの実技は、もうすぐ発表される課題曲を今年の末に先生たちが採点するんだって」


「へー…ちなみに学科の点数は?」


「学年一位よ」


「…内申点はいかがなもんで?」


「中等部から学校に入って、遅刻、居眠りはもちろん、先生からの叱咤も受けた覚えはないけれど」


「じゃあ実技は?」


「……」


 急に黙り込んだのを不思議に思い、ほぼ出来上がったコーヒーをかき混ぜながら彼女の方を見ると、彼女の目は店の奥のアップライトピアノに向けられていた。


「さっきのピアノ、あなたが弾いてたのよね?」


「そうだけど?」


「じゃあ、ピアノ、弾けるのよね」


「得意だと自負してるよ」


「じゃあさ…そのね…」


 先ほどまで歯切れの良かった彼女の言葉が詰まったのを見て「サービス」とだけ呟いて、彼女の前にコーヒーを置く。

 コーヒーはいいものだ。喉の奥に詰まった苦い言葉なんかよりも苦いから、感覚を麻痺させてくれる。

 要するに、言葉を出やすくしてくれるのだ。だって、落ち着くし。勝手な持論だけど。


 お客さんの歯切れが悪そうな時の気遣い。これぞ、マスターの真髄なのでは…と勝手に悦に浸っていると、彼女は、ぽかんとしながらも、数秒黒々とした水面に目を落としたあと、ゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。

 そして、息をひとつ吐くと、僕にこう言った。


「私をここで雇ってくれない?」


 お断りします。


 そんな内心が顔に目一杯出ていたのだろう。マスターの真髄とか調子乗ってたらこの有様だ。目の前の顔が、すごい落胆する。

 

 ええ…だってさ…お客さん来ないから僕ですら仕事有り余るのに、従業員とか…ねえ。せめて有り余るならロマンスにしてほしい。

 というか、そもそもなんでそんな話に。

 

「ごめん、ちょっと厳しいかも。見てわかる通りお客さん、あんまいないから。お給料もちゃんと払えるかわからないし」


「それでいいわ」


「ん?」


「それでいいって言ってるのよ。私が望むのは、それじゃない」


 どういうこっちゃ。


「えっと、なんというか。私、同年代の子と比べると、ピアノが下手なの」


 なるほど、わからん。目で話の続きを促す。


「私、ただの平民なの。だから、学校にも学科の特待生で学費免除で行ってるくらいだし、貴族と違って家にピアノなんてないから家で練習なんてできない」


 貴族なんているのかと思いながらもそこを突っ込むと、また話がややこしくなるので黙って合図地を打つ。


「当然、学校で基礎は習ってるし、普通にはできるんだけど。そこ止まり。ピアノの台数のせいで放課後毎日は練習はできないし」


「だから最初から、ピアノを持ってない平民なんて元々ピアノ専攻なんてほぼ無理なんだけどね」


 そう自重するように呟いた彼女は、目に真剣さを宿して僕の目を射抜く。 


「だから、ここで働く代わりにピアノを貸して欲しいの。お客さんがいない時とか、お店が閉まったあとちょっこっとだけでいいの」


 ふむ…別に僕にとって悪いことは一つもない。でも、なんだか人を無賃金で働かせるのはなあ…なんか釣り合いが取れてない気がする。

 でも、せっかく出会ったコーヒーの味がわかる子だし、なんとかしてあげたい気持ちもある。

 どうしたもんだろうか。


「確かに、出会って間もない相手が何言ってんだって感じかもしれないけれど、どうしても私はピアノを専攻したいの」


 僕の心中の迷いを察したのか、彼女は両の手を合わせて懇願してくる。


 報いたい、とは思う。僕もピアノをしてた身だしなあ…

 

 だから決め手として、彼女の真剣さ度合いが知りたかった。いや、違う。真剣さの種類か。


「なんのためにピアノを練習したいの?」


 僕のその問いに、彼女は顎に手を当て、少し空中に視線を彷徨わせたあと。僕の目を見てこう言った。


「自分の夢に行くのに、自分の生まれとか、練習不足を言い訳にしたくないわ」


 その目と言葉で頬が緩むのを感じた。なんとなく元の世界でお世話になった人を思い出したのだ。

 仕方ないかあ…


「…わかった、いいよ」


「ほんと!?」


「でも、条件がある」


「まず、一つ。ちゃんと給料は払う」


「え?」


 条件が予想外だったのか、彼女は訝しげにこちらを見てくる。だって、なんか人を無賃金で雇うの嫌なんだもん。


「二つ目、働くからにはこのお店にお客さんがくるようにアイデアを出すこと」


 目の前の首がブンブンと縦に揺れる。二つ目も問題ない。


「三つ目、学校の子に積極的にこの店のことを言ってほしいかな。いやらしくならない程度に」


 これは完全に売り上げアップの宣伝狙いだ。だって、給料払うって言ったからにはこうでもしないとね。


「あと最後、ピアノを使うのは店を閉めてから近所に迷惑にならない時間帯までね」


 このお店は八時には閉めるから二時間弱は練習できるだろう。ピアノの練習に十分かと言われると怪しいけれど、ここは我慢してほしい。


「わかった。なんとか質でカバーする」


「よし、話は決まり。働く日にちとか、細かい話はまた後日。それまでに僕も細かいこと考えとく」


「あ、わかった」


「そういえば、自己紹介がまだだったね、僕はナギ。天沢凪」


「アマサワ ナギ…じゃあナギね」


「もしくはマスターでm…」


「ナギね」


「あ、はい」


 やっぱりまだ色々足りないのかなあ…主に威厳とか客足…


「そういえば君は?」


「私は、ティアラ。ただのティアラ」


「ティアラね。今日からよろしく」


「よろしく、ナギ。」


 上機嫌に背中を翻し店から出ていったティアラを見送り、ドアベルの反響を聴きながら僕は複雑な気分だった。

 こうして僕は可愛い女の子を雇うことになったわけだけれど、どうなるんだろう…カッコつけた感が否めない。


 まあ、きっとなんとかなるだろうと思って、僕は再び鍵盤蓋を開いて、青いロボットへの祈りの音楽を弾き始めた。

 さっきよりも力を込めて。

 

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