第2話 出会いはこんな風に
この世界に来てから、僕がまず第一にしたことといえば、情報収拾である。常識も文化も違うこの世界で生きていくために、溶け込むために最低限の情報は必要だと思ったのだ。
そのために手っ取り早いのが、早くこの店を開いてお客さんと接することだった。だって、外に出るの怖すぎたし。
だから、何よりも開店準備を急いでメニューを決めコーヒーのブレンドを決めて店を開けた。
しかし、そこで一つ計算外なことが起きた。
それはというとーーー、お客さんが、来なかったのだ。
まあ、そりゃ店名もないし、コーヒーはこの世界ではただの苦い汁扱いだし、店主は接客不慣れで常識外れだしで、全くお客さんが来なかった。
この世界では喫茶店、という形態は珍しいようだったし、物珍しさでなんとかなるかと思っていた自分の甘さを呪って、日々を過ごしていた。
後から知ったのだが、物珍しさと怪しさは紙一重らしく、僕の店は怪しさ側に傾いていたらしい。
そんなある日のことである。僕はカウンターに片肘をつきながら、ぼーっと外を眺めて足早な人々を見送って過ごしていた。
仕事をしろって?仕事がないのだ。グラスとかコーヒーカップはピカピカだし、店内もピカピカだし、僕も接客ピカピカの一年生である。
あまりにもすることがないので、僕は店の隅に設置されたアップライトピアノを適当に弾くことにした。
実は僕は子供の頃から、地元ではちょっと有名になれるくらいのピアノ少年だったので、楽譜も何もないこの世界でも簡単な曲なら平気な顔で弾くことができる。
「でも、楽譜忘れたら困るよな…時間あるし思い出せるの全部書き残しとこうかな…」
あまりに暇なので、本気で実行してやろうかと思いながら、ゆったり鍵盤蓋を開き椅子に腰を下ろす。
ここのところ僕は客足の音沙汰のなさに、気分が沈みっぱなしだったので何か元気の出る曲を弾くことにした。
やはり、元気に出る曲といったら一つしかない。青い猫型ロボットの曲だ。ドドドドするのでも、シャラララする方でもなくて元祖の方。
ストレスも、不安感も、全部吹き飛ばすつもりで強く鍵盤を叩く。
ああ、やっぱり元気が出るなあ、僕も助けてよ、どら○もーん。なんてふざけたことを思いつつ、曲が二番に突入したところで、ドアベルの音がなった。
久しぶりの来店客に接客スマイルじゃなくて、本物の笑顔が浮かぶ。急いで鍵盤蓋を閉めてカウンターに向かう。
ああ、やっぱり異世界にも救いのロボットはいたんだ!
「いらっしゃいませ」
カウンターの中に入り、どんな人が来たのだろうと閉まる寸前のドアの前の人物を見やる。
肩くらいまでの濃紺の髪を白いリボンでちょこんと一つ結びにし、髪と同色の瞳はクリクリと丸く愛らしい。
ほっそりとした肢体を制服らしきものに包み、店内をキョロキョロと見回している。
「ここはなに?」
店内に彷徨わせていた視線を僕に合わせた少女は、心底不思議そうに丸い目をさらに丸くして訪ねてきた。
何しろ可愛い女の子に免疫なんてあるわけがないので、少し上ずった声でなんとかこう言った。
「喫茶店です」
「きっさてん…」
「そう、喫茶店」
その問いに対する僕からの返答は一つしかない。だってそうとしか言えないんだもの。
「…って何?」
「うーん、お茶やお菓子を、ゆっくりとした雰囲気で味わってもらう、憩いの場所ということでどう?オススメはコーヒーだ」
「どうって私に言われても困るけど…そう」
大体のニュアンスで察してくれたのか、それ以上の問答が面倒だったのかはわからないが「そのコーヒー?ってやつを一つ」と一言残して彼女はカウンター席に腰を下ろした。
僕も、会話が終わったのならば本業に精を出さなくてはいけない。素早くコーヒーを抽出する準備に入る。
手早くヤカンに水を入れお湯を沸かすと同時にミルと豆、そしてフィルターをセットしたドリッパーを準備する。
ちなみに、この世界では魔石と呼ばれる不思議アイテムのおかげで、火を起こすのも、冷蔵も簡単だ。そこだけは本当に助かっている。
保存容器から豆を一人分取り出し、ミルに入れる。そうすればやることはあと一つだ。ただ無心に一定のスピードでミルのハンドルを回す。
コリコリコリコリと、小気味いい音が店内に響く。音が気になったのか、少女も頬杖をつきながらぼーっとこちらを見ている。本番はここからだぜ…
ミルに投入した豆を挽き終えると、見計らったかのように、お湯が沸騰し始める。火を消して、ヤカンを持ち上げると細口のケトルにお湯を移し替える。
これは、お湯を少し冷ますためだ。沸騰したままのお湯でコーヒーを淹れると苦味とかえぐみが出てしまう。
ケトルの蓋を閉めて、挽いた豆をフィルターにセットして、少し表面を平らにしてやれば準備は万端だ。
ケトルを手にし、豆の中心に向かってお湯を注ぐ。くるくると円を広げるように全体にお湯をかけていき、円が広がりきったところで一旦お湯を注ぐのをやめた。
コーヒー豆を蒸らし、ふやかすために、一旦こういった工程を入れなければいけない。豆が少し膨らんで、焦げたような香りが空間に広がっていく。
今まで嗅いだことのない香りだったのか、ぼーっと見ていただけの少女が椅子から腰を浮かせ、フィルターを覗いている。
蒸らすこと一分ほど、再び少しずつ真ん中にお湯を注ぎ始める。少しずつ注ぐお湯の量を増やしていくと、綺麗に豆が膨らんでいく。
それが不思議な光景に映ったのか、少女が「わわっ」と声を上げている。なんだか可愛い女の子にちやほやされてる気がして、いい気分だ。
豆が全体的に膨らんだら、小さな円を意識してお湯を注ぐ。今朝焙煎したばかりだから、膨らむ膨らむ。
抽出し終えると、少しコーヒーをかき混ぜてやり、コーヒーカップに注ぐ。
途中から、興味津々といった雰囲気で覗き込んでいた少女に座るように促し、カウンターテーブルにそっとコーヒーカップを置く。
すると彼女は訝しげにコーヒーカップを持ち上げ、匂いを嗅ぐと、恐る恐るといった雰囲気で聞いてきた。
「この黒いの…飲めるの?」
「飲めるよ?」
「どんな味?」
「苦くて、ちょっと酸っぱいかな?」
「明らかに体からの危険信号の味覚二つだと思うんだけど…」
「これは大丈夫なやつだから」
「黒くて苦くて酸っぱいのに?」
疑いながらも好奇心が勝ったのか最後にそんな言葉を残して彼女はコーヒーカップに口をつけた。
黒々とした液体が微量に口に含まれ、舌に届いた瞬間、彼女はとても眉間ににしわを寄せて形容しがたい表情をして、それから少し考え込むような顔に変わり、それから行き着いた表情はというと。
ーーーキョトンとした顔で彼女はこう言った。
「あれ?意外と美味しい?」
「えっ!?」
「いや、そっちが驚くの!?」
だって、今まで一人残らず吐き出したんだもん…もうやだこの世界…
今後長い付き合いになるこの少女、ティアラとの出会いはまあ、こんな感じであった。
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