つるのおんがえし

乃生一路

「こんばんは。明日助けていただく予定のツルです」


 腰まであろう白髪の、見目麗しい少女だった。髪色に勝るとも劣らないほどに真白の着物に身を包み、粛々とした様子で戸口に立っている。

 山奥にある寂れた小屋で孤独に暮らす男──零字れいじは一目で目の前の少女に心を奪われた自身を実感した。ポケットの中で握りしめている手に、微かに汗が滲んだ。


 ──ただ、だ。

 今日は雪の日、外は吹雪いている。

 そんな中、このような少女が一人、こんな辺鄙なところにまでやって来るだろうか? そう考えて、零字は怪訝に思った。この子は何者なのか、という疑問だった。


「……今、来られましても」


 けれども一応、零字はそう応える。明日助けてもらうというのなら明日出逢えばよいじゃないか、と言外に含んだ物言いだった。

 

「確かに」


 自身をツルだと言う得体の知れない少女が得心した風に頷く。零字は目の前の少女の正気を若干疑い始めた。できれば早急にお帰り願いたい──しかし、外は吹雪だ。


「どうやって来たのですか?」

「この二本の脚で、歩いてまいりました」


 歩いてきたようだ。


「その割には、あなたの身体に雪が積もっていないようですが」


 事実、少女の身体には一切の雪がなかった。外はあんなにも吹雪き、白く煙っているというのに。


「バリアを張っておりますので」

「ほう、バリアを……バリア?」

「ええ。バリアを。詳細を申し上げますと、私から半径三十センチメートルほどのバリアです」

 

 バリアを張っているのならまあ、と零字は納得……「いや、バリアとは何なのですか」しなかった。


「バリアはバリアです。まさか、ご存じない……?」

「いや、知ってます。知ってますとも」

「ならば良いでしょう」


 そう言うやいなや、少女はぐいと土間に履物を脱ぎ、上がり框に足を乗せた。


「ま、待って。待ってください。なぜ上がろうとしているのですか」

「お待ちくださいまし!」


 ぐいぐい上がろうとしてくる少女を抑えようと手を伸ばした零字は、そう叫ばれ、逆に少女に制止される形となった。


「な……」

「今、私はバリアを張っております。ゆえにあなた様がお触れになりますと、最悪破裂いたします」

「最悪、破裂……」


 危うく死ぬところだった……、と零字は安堵のため息を漏らす。

 くらり、と視界が揺れた。一仕事を終えたばかりで、零字は疲労していたのだった。


「お疲れなのですか?」

「え、ええ。少し。一仕事を終えたばかりですから」

「ほほーう……」


 探るような目で少女に見つめられ、零字はあははと苦笑い。

 上体を少し斜めに傾け、少女は零字の奥にある光景を見、くすりと一笑い。

 

「大変なお仕事のようですね」


 そう言った。


「ははは。まあ、それなりに」


 少女の平静さに、零字は少女の出自を信じ始めていた。少なくとも、見た通りの存在ではないと、理解していた。


「どうされるおつもりですか」

「どうするもなにも、いつも通りに暮らすだけですよ」

「けれど私には、あなた様に恩がございます──そこでこんなアイテムをご用意いたしましたっ」

「あ、アイテムを……?」


 ツル少女のテンションが急に上がったものだから、零字は少々面食らった。意外とこの少女は、ツルを装う通販の人なのかもしれない。辻通販とか、そういうのなのだろう。零字は自らの思考に苦笑した。だいぶ、疲れてしまっているようだ。


「ええ。アイテムを」


 にこやかに少女が懐から取り出すは、外に吹雪く雪のように真っ白な、一本の立派な羽根だった。


「ツルの羽根です。私の身体の一部を毟り取り、あなた様に進呈いたそうというのです」

「それはまあ、ありがたいのかもしれませんが……」


 零字は困惑した。正直いらなかった。


「……うう」


 するとそんな零字の反応を見、少女は不満そうに眉をひそめ、怨むように上目に零字を見上げる。小さな口をつぐみ、拗ねた子供のような反応だった。


「私、今、エスパーのスキゥに開花したかもしれません」

「は、はあ。エスパーですか……」

「あなた様は、私のこの羽根を心底要らないとお考えになっている──当たりでしょう? どうせ、当たりに決まっております……」


 少女は拗ねている。そんな少女を前に──「ああ! 正直これ要らないんだよこれっぽっちもね!」と言ってのけるほど零字は鬼ではない。真っ当な倫理感は持ち合わせている、と零字は自身を顧みる。あくまで零字の主観だが。

 またひとつ、くらりと零字の視界が回った。


「たいそう、お疲れのようです」


 少女は心配そうに零字を見つめる。


「ああ……少し風邪を引いてしまったかもしれない。もしや、きみ、きみが自身から毟り取ったそのツルの羽根、煎じて飲めば万病に効いたりしないかい?」

「あなた様の容態はひどいのですね、熱に浮かされております……ツルの羽根にそのような効能があるわけないでしょう?」


 ドのつく正論を返され、零字は苦笑するほかなかった。


「ならば私が、恩返しの先取りを致します」


 少女はそう言うと、ペロリと舌なめずりをした。

 零字はその艶やかとすらとれる少女の表情に、微かな恐怖と、確かな高揚を覚えた。


「機でも織ってくれるのですか」

「織ってもよいですが……自慢ではありませんけれど──私は、生来の不器用ですよ?」


 どやあ、だった。本当に自慢ではない。


「それではお任せします」


 零字も分かっているのか、少女に微笑むと、「覗いたりはいたしません」と上がり框に腰を下ろし、吹雪き続ける外を眺め始めた。


「お心遣い、感謝いたします──少々、はしたないかもしれませんから」


    ◇


 昨日の吹雪が嘘のように快晴だった。

 小屋から出て、零字は山道を散歩していた。すると──


「……」


 道中で、罠にかかりバサバサと翼をばたつかせる一羽のツルを見つけた。バサバサと必死に翼をはためかせている。よくよく見ると、罠となるトラバサミの刃の部分から微妙に足が抜けていた。それでもツルはさも必死そうに翼をばたつかせている。演技派のツルだな、と零字は感心した。

 ツルの眼は零字を見つめて──いや、もはやガン見だ──いる。助けろ、ほら早く助けろという幻聴が、零字には聞こえるほどだった。


「……分かったよ。分かった分かった」


 零字はツルの罠を外してやった。するとツルは、ケーンとひと声鳴くと、大きな翼をはためかせ、大空の彼方へと飛び去って行った。


「…………キジじゃないか」


 零字の呟きが、場の静寂に掻き消えた。 

 いつまでもいつまでも、零字はツルの後姿を見つめていた。


    ◆


 最後に一応、申し上げておきます。


 山の麓の家にて、ある一家の惨殺事件があったそうです。

 しかし不思議なことに四名住んでいたと思われる現場には死体がなかったと聞きます。骨の一本、肉の一欠けらすらなく、血痕だけが惨状を物語っていたようです。

 そしてその一家──さる神聖な何某かの血筋であるらしく、代々、納屋に何かとんでもないものを封印している、という噂がたっておりました。けれど人々は二の句にはもう、そんな化け物とかではなく、とびきりの金塊やら金目のものに違いない、と笑っておりました。納屋の扉には一枚のお札が貼ってあったはずなのですが、皆、そんなものは見えてないように金銀財宝があるだのどうのこうのああだこうだと言っておりました。

 けれどある日、ついに金に困った一人の貧乏青年が、お札を剥がしてしまったのです。その青年がいったいどのような恐ろしい眼に遭ったのか、私には分かりません。


 むかしむかしの、お話です。

 ああ……なんという、恐ろしい話なのでしょうか。


 え、ケーンと鳴くのはキジなのですか? し、仕方ないでしょうっ。私は長らく引きこもり生活でしたし……。

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