2話 モブキャラ
曇天の空。古びれた校舎の四階。早朝の校舎にひと気はない。
階段を登り終え右に曲がり廊下を進むこと十メートルほど。一組の教室の先にある二組の教室。そこが俺の教室。
まだ午前七時半前といったところ。
まだ教室には誰もいないだろう。
朝誰もいない教室で読書をするのが趣味だから早く来ているだけで、本来ならばホームルームが始まる八時半までに登校すればいい。
何か邪な目的があるとか、そういうのは全く無く、基本的には人畜無害な一般人A。モブというやつだ。
なんの変化も望まず、同じような日々の繰り返しに特別不満も抱かない。
朝、学校でのんびり読書する。モブなりのささやかな青春の思い出つくりである。
そんな、しょーもない一日が、今日も昨日と全く同じように始まる。今日もいつも通り教室の扉を開けて皆が登校し始めるまで静かに読書にふける――はずだった。
――はずだった。
つまりは、イレギュラーが起こった。
教室の扉に手をかける──その瞬間だった。
誰もないないはずの教室からガシャンッ! と大きな物音が聞こえ、その後一人の呻き声のような小さな声が聞こえた。
「ひぇっ……」
ビビってそんな情けない声を出し、扉にかけた手を離してしまった。
扉の奥でなにかが起きた。
左右を一度確認して誰にも見られていなかったことに安堵すると変な正義感のようなものに駆られて俺は、再び扉に手をかけて恐る恐る開く。
正確にいうと怖くてほんの少しだけ。一センチとかそんぐらい。
隙間から教室を除くと教室の後ろにガタイのいい男とその足元でうずくまる小柄な男子がいた。
そしてすぐ横には、椅子が転がっていた。
さっきの音は、ガタイのいい方の男がもう一人に投げつけたのだと察した。明らかにうずくまっている男子生徒は苦痛に耐えるように顔を歪ませていた。
さらに、よく見ればガタイのいい男の後ろには三人ほど机に腰掛ける同じような男の姿。まぁチャラい系って感じの奴らだった。
ああ、これが所謂いじめというやつだろう。
まさかこの学校にもこういったものが存在していたとは思わなかった。
現在俺は高校二年生。
まだ四月とは言え一年この学校に通っている。
しかしながらこうしたいじめに遭遇するのは初めてだった。
次の瞬間うずくまっていた小柄な男子と目があった。
「……っ」
心拍数が上がったのを感じる。
苦しそうな表情で、目尻には涙を浮かべ助けを求めるように俺を見てくる。
こんな状況で俺にどうしろと?
しかし、俺の脳内に校内のいたる掲示板にペタペタと貼られているとあるポスターに書かれた文言が浮かぶ。
『見ているだけもいじめ』
A3サイズのラミネート加工されたポスターにそう意味もなく達筆に書かれたその文章。
そしてその下には、名前も知らない専門家(笑)の「傍観者もいじめに加担している!」と自信満々な文章でつらつらと妄言が書き連ねられている冊子もオマケで置かれていて。
んじゃあ助けに行くのが正解か。
──なんて納得できる訳がない。嫌だ。
こんなところを助けに行くなんて絶対に嫌だ。
当たり前じゃないか。だってこんなところで俺が出ていってもやられて被害者が増えるだけ。俺を屠るなんて彼らにかかれば秒だ、秒。
だったら本意ではないけど小柄な彼に全て背負ってもらった方がいい。
ここで助けに行くなんてバカだ。
学校はそんな危険でアホらしいことを強要するのか? じゃあ、誰が俺の身の安全を保証してくれるのか?
十中八九ターゲットは俺に移るだろう。
もちろん、ここで助けに行く以外の選択肢もある。
でも、教師にこの状況を伝えるにしても、どこかから情報が漏れて俺に標的が移るかもしれないし、今から毎日筋トレでもして打倒いじめっ子を目指すにしても無理すぎる。
よって今の俺にできることは何もない。
消極的加担? そんなのクソ食らえ。
理想ばっか掲げてるんじゃねぇ。
いじめの目撃者に精神的苦痛を与えるいじめに積極的に加担してるやつに言われる筋合いはない。
だから俺のやることは一つだった。
俺は、気づかれないように静かに扉を閉めると足音の立たないようにダッシュで階段へ向かった。
傍から見たら最高にダサいが、まぁ現実なんてこんなもんだ。一般人Aに社会とやらは何を期待してんだ。主人公さんは、物語冒頭に猫を助けるらしいが、モブなんて猫どころか人だって助けやしないのだ。
何か被害にあったわけでもないのに、体中冷や汗で制服が蒸れている。
足がもつれて転びそうになりながらも二階ほど階段を降りた。
焦りも相まってもう肩で息をしている。
「ったく。何で……」
朝から嫌な気分だ。
なんでよりにもよってこんな嫌なものを朝から見せつけられなくちゃいけないんだ。
俺は、誰もいないことをいいことに階段に座りこんで壁に寄っかかった。
壁のひんやりとした温度に身体と心共に冷めていくのを感じる。
ようやく落ち着いたみたいだ。
顔を見て気づいたが、そういえばいじめられていた彼とは同じ中学だった。
そこそこ仲も良くて一緒にゲームしたり、遊びに行くこともあった。
途中で疎遠になって高校に入ってからは一言も話していないけれども。
それ故か罪悪感なんてものまで生まれてしまっている。俺はないも悪くないのに。
耳を澄ませばグラウンドからランニングの掛け声やラケットで球を打ち返す音、その他諸々色々と聞こえてくる。
校舎には、そんな活力に溢れた音の他に吹奏楽部の演奏もあり、さながらドラマのワンシーンといった具合。
演奏しているのは多分クラシックだけど曲名は思い出せない。
綺麗な音色で自然とピリピリしていた心が安らぎ、それらの音はいかにもな青春を感じさせる。
朝から元気なことだ。
朝練なんてよくやる気になるよ。
ただ、そんなこと言いつつもそんな青春の音が響く校舎の階段で、自分は何をしているんだと急に虚しくなって来る。羨ましさ……というより妬みみたいな気持ち悪い感情が渦巻く。
旧友がいじめられている様子を見て、それを無視して。
無視しといて一丁前に罪悪感に苛まれて。本当にバカバカしい。
朝練に励んでる奴らは、きっと今いじめられているやつがいるなんて想像もしてないんだろう。
純粋無垢で楽しそうな声が聞こえる。裏側を知っていても尚、そんな風に笑えるなら、俺は一生人を信用できなくなりそうだ。
表向きいくら綺麗に見えても、ああいう裏の事情というのはどこにでもあるのだろう。
こんな綺麗な青春にだって裏はある。
でも、そんな裏にいる奴よりも、俺という人間は何もない。
俺はどこに?
表にも裏にもいない。
輝かしい青春も知らず、ドス黒い青春にも関わっていない。
綺麗なものには近寄れず、汚いものにも当然ながら近寄れず。
行き着く先は何もなくて。ただただタイトルもつかない、中身の無いストーリーの再放送が延々と繰り返される。
考えてみると随分と俺という人間は本当につまらない。空っぽ。しかも、何か魅力、武器になるような「無」ではなく、最大公約数の擬人化みたいな、つまらない「無」。
「はぁ……」
なんて変に考え事でもしていたからか、立とうとしたら足を滑らした。
一瞬浮遊感に包まれる。
──思ったよりたけぇ。
そのまま着地は無事ミスり、すぐに足には激痛が走った。
「ってぇ……」
一人で俺はうずくまる。
思ったより痛かった。ズキン、ズキンと声を出してしまいそうなくらいの痛み。
「くっ……うぅ」
まったく何やってるんだか。
気づくと下からは声が聞こえた。
朝練を早めに切り上げた人が昇って来るっぽい。
このままだとまずい──そう思った頃にはソフトボール部の女子たちが俺の前に現れていた。
「どうしたの加藤君、大丈夫?」
「いや、ちょっと階段で滑っちゃって」
「ははは。ダッサ」
「ひどいなぁ」
「ってゴメンゴメン。……ほんと大丈夫?」
「大丈夫だよ。……それよりそっちは朝練終わり?」
「そう! マジで疲れたよぉ」
「そっかおつかれ」
「うん、明後日大会あるからさ。あっそうだ! 加藤君、明後日応援に来てくれない?」
「応援? いいの? 俺が行っても」
「そりゃいいに決まってんじゃん!」
「じゃあ行こうかな」
「おしっ! そうと決まれば、こっちも下手なところは見せられないから頑張らなくちゃ」
「おう! 頑張れ〇〇さん」
──まぁそんな会話、ないよね。
女子たちは、一瞬俺の方へ不審な目を向けるがすぐに視線を戻すと足早に去っていった。
再びしんとした空気に包まれる。
気づけば足の痛みもどこかへ行き、そこにはどうしようもなく何もない現実がそこにはあった。
俺は、その後いつも入らない二階のトイレの個室に入って、適当にスマホを弄りながらホームルームまでの時間をつぶした。
すぐに戻ってまだお取り込み中だったらまた変な罪悪感が再び生まれてしまいそうだ。
そんなのは、もういらない。
どうせ何もしないのに罪悪感を抱く必要なんてない。
俺は、この世界で物語を作っても主人公はおろか、友人キャラにもイジメられっ子にもイジメっ子にもなれない。
どうしょうもなくモブキャラなのだ。
実は〜みたいな裏設定もなく、陽の方向にも陰の方向にも尖っていない。まぁどちらかといえば陰寄りだけども。
いじめの傍観者は悪くない、と世間に逆張りした捻くれことを言いながらも、全くの罪悪感を抱かないわけでもなく、コミュ障だけど友達の一人や二人はちゃんといて孤高のぼっちというわけでもなく。
キャラの立たないモブ。それが今の俺を表すのに一番適している言葉な気がする。
そんなモブの日常は、今日も変化は起きそうもなかった。
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