3.5章 文化祭準備編

67話 垂乳根のママ


 人間には防衛機制なるものがあるという。

 防衛機制とは、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理メカニズムである──らしい。


 まぁ簡単にいえば、無意識的に自分を嫌なことから守るものだ。


 例えば、過去の嫌な記憶を忘れたり、勉強をやりたくないから別のことに没頭したり、等々色々とある。


 基本的には、無自覚だがふと我にかえると自分のやっていることの幼稚さに気づき嘆くこともママある、いやままある。


 人生というものは辛いことが多いし、そういった現実逃避的なことをしていないと心が持たない。


 現に今の俺もそんな防衛機制に頼ろうとしているのだろう。なんとなく自覚はあるが認めたくない。


 ただそれもしょうがないのだ。だってここ数日は俺の人生を省みても例を見ない忙しさ。

 そりゃ多少現実逃避しなきゃ身が持たない。


 俺の身に現在起こっていることは、防衛機制でいうところの退行と呼ばれるものであろう。


 よく兄弟が生まれると、生まれたばかりの幼児のように赤ちゃん返りをしてしまうアレだ。


 別に我が家に新しい家族が増えたわけではない。

 ただ最近ここの生徒会室にいることが多いし、実質ここが我が家みたいなもんだし、そしてその我が家にイレギュラーがいるのだからその例えが全て間違っているというわけでもないだろう。


 アットホームな雰囲気っていいよね。

 でも求人広告でのそれら宣伝文句は、職場が家になるってことを暗に伝えてるなんて話を聞くから気をつける必要がある。


 まあでも、ここは高校の生徒会だし、そういうのはないと思うじゃん?

 アットホームな雰囲気なら人間関係もうまく行きそうだし、いいことずくめだと思うじゃん?


 でもまさかアットホームの意味、それが子守をすることだなんて普通思わないよね。



「おんぎゃぁぁ〜〜」


「ふえええええん」


 現在ここ生徒会室では、二人の泣き声が響いていた。


※   ※   ※


「ごめんなさい。いきなり子守なんてさせちゃって」


「だ、大丈夫ですよ。ただ、あまり子供が得意でないことがわかりました」


 俺の横では、一、二歳くらいの小さい男の子がしゃかしゃか音が鳴るおもちゃではしゃいでいる。彼は、月宮先輩の甥っ子だ。今日は休日。本来ならば学校に来る必要はなかったが文化祭の準備がやばいということで急遽休日出勤と相成った。しかしながら、先輩は生徒会長をやめると考えていたため甥っ子の世話を一日見るという予定を入れてしまっていた。そのため学校にまで連れてくるということになってしまった。


 最初先輩が子供を連れてきたときは脳みそが壊れる音がしたが、どうやら年の離れた姉の子供らしい。まだこんなに小さい子を家族といえ他人に任せるとは……と言いたいところだが共働きも増えているこの時代、そうも言ってられないのだろう。それに今日は休日、彼の親も俺と同じ休日出勤の仲間だ。


 ただそれにしたって学校に連れてくるとはなかなか大胆。それを許可する学校もなかなか融通がきく。まあそもそも生徒に休日まで登校させる程の仕事を押し付けないでほしいのだが。根本的解決を図らず、小手先のテクでごまかすあたり余計ブラック感があるのも否めない。


 先程俺が一人で子守していたのは、先輩が文化祭のしおりなどの製本を頼む業者と会議をしていたからだ。俺のお節介で生徒会長を引き留めたのだし、協力しないのは責任逃れのような気がして引き受けたのだが、それにしたってこんなに子守が面倒なものだとは思わなかった。それも他人の子供。子連れの女性との再婚を嫌がる人の気持ちの一片が垣間見れた気がした。これじゃあ都合のいい男すぎる。このままでは先行きが暗い。なんてまだ結婚すらできない年齢だけどさ。


「いてっ」


 突如背中に痛みが走った。


「ちょっとゆー君。お兄さんをおもちゃで殴ったらダメでしょ」


 どうやらおもちゃで殴られたらしかった。あんな小さい体のどこにこんな力が。


「ごめんなさい、加藤君。いつも家でもこんなで」

 

「いえ、子供は元気が一番ですよ」


 上手に笑えているか自信がない。気づけばゆー君と呼ばれる子供は先輩の膝の上に座っていた。羨ましい。手には俺が必死に書いたメモをもってびりびりに破いてきゃっきゃと笑っている。子供じゃなかったら殴ってた。ホント可愛いってずるいわ。


「あ、もしかして羨ましいって思ってます?」


 先輩はいじわるをするような声音でそう言ってくる。子供を膝にのせているせいでいつもよりも大人びて見えた。要するにエロかった。


「い、いや別に。それに先輩、僕はそういった趣味はないので」


「ほんとかなぁ……」


「ほんとですよ」


「そ、じゃあ早速仕事を再開しましょうか」


 し、仕事ォ!? やだ、仕事したくないよぉぉぉ。


「先輩」


 俺は、真剣な顔をして先輩にそう言うと


「僕も先輩に甘やかされたいです」


 正々堂々と言ってやった。都合のいい男になどなってやるか。俺は、セクハラジジィ路線を行ってやる。


 俺はこの出来事を一生後悔することとなった。

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