第8話 名工アイーシャ
苦もなくオーガを撃退したために、今日はまだ猶予が残されている。資材はそこそこある。何か施設でも建てようという話になったので、エマが工房はどうかと言う。木材6に石材2と、現在の備蓄の半数以上を消費してしまうのだが、その価値は十分にあると太鼓判を押す。
「工房があれば、武器防具だけでなく、作業道具まで作成できるようになります。もちろん、製作のたびに資材を求められますが」
「うーん、そうだなぁ。そろそろ武器のひとつも欲しいと思ってたし、建ててみようか」
「承知しました。ではそのように」
エマが指揮棒(タクト)を振るうと、掘っ建て小屋の脇に大きな建物が建設された。縦長で他施設の2軒分、造りも頑丈そうに見える。それが粗末な藁葺き屋根と並ぶのだから、分かっていてもどちらが本拠か迷いそうだ。
「さてと。今回はどんな人が来るかなっと」
辺りの様子を観察しながら来訪者を待つと、その人物はやって来た。大きな金槌を肩に背負った1人の女性である。歩き方は一歩一歩踏み固めるようであり、随分と勇ましいものだ。
短く切り揃えられた髪は燃えるような赤で、鋭く尖った印象を受ける。引き締まった体はシルエットが直線的で、角ばった形が中性的な雰囲気を醸し出す。それらの立ち振舞いや容貌が、彼女という人物像を如実に物語っている事を、一同はその耳目にて知る事となる。
「おっす。アタシはアイーシャってんだ。上等なモンが欲しいってんなら、あの工房をアタシに寄越しな」
ざっくばらんな挨拶である。良く言えば肝の据わった、悪く言えば尊大な物言いだ。このいかにも扱いにくそうな人物を、すんなりと受け入れるべきかは少々悩ましい。
「ええと、オレが責任者のタケルだ。アイーシャは鍛冶師なのか?」
「アン? 言わなきゃわかんねぇの? アンタにはコイツが玩具にでも見えてんのかい」
そう言うとアイーシャは、自慢の鎚を振るってみせた。その大きさは人間の子供に近しい程で、不気味な風切り音からも、その重たさが十二分に伝わって来る。しかし腕力の素晴らしさが分かっても、肝心の腕前については未知数である。
「工房を任せるかについては、技量次第だよ。実際にやってみせてくれ」
「あいあい。そんで、どんなのが良いんだよ?」
「うーん、そうだなぁ」
頭に去来するのは武器やら工具類だった。もしツルハシがあったなら、採集もグッと捗るに違いないし、鉄材だって採れるようになるかもしれない。しかし、それよりも武器を優先させた。資材は敵から奪うのが効率的だと学んだばかりである。
「よし、じゃあ武器を……」
「そんなら鎌を……」
「燭台を頼みてぇんだが……」
「……えっ?」
タケルだけではない。3人がほぼ同時に要求した。ミノリとマイキーも、ここぞとばかりに欲しいものを押し出したのである。
「婆さん、鎌って何だよ?」
「だってよぉ、鎌がありゃあコムネ刈るのが楽になんべ。アタスの武器にもなるし、一石二鳥だっぺよ」
鎌を与える行為はミノリの強化に当たる。平時は作業効率が向上することで、日に2面の畑を扱えるようになる。さらに戦闘時には、より強大な敵との交戦も可能となるのだ。悪い選択肢ではない。
「マイキー。燭台って何に使うんだよ」
「そりゃよお、薪の温存に決まってんだろ。野ざらしで焚き火するより、燭台でも作ってもらった方が安上がりなんだよ」
初期段階では石の燭台となるのだが、こちらに大きなメリットは無い。もし今が越冬段階であれば、篝火(かがりび)以外に暖をとる必要があるので、木材は大量に消費されていく。そこで燭台を導入すると、燃料の損耗を抑える事が出来るのだ。
しかし今はまだ温暖だ。必要性はかなり薄いと言える。さらには戦闘でも目立った効果は見られないので、後回しが妥当だ。実の所、マイキーがわざわざ提案したのも、彼の好みでしかなかった。
「2人とも却下! ここはリーダー特権を使わせて貰うからな!」
「なんだっぺ。年寄りは大事にするもんだべよ」
「待て大将、冷静に考えろって。燭台さえあれば幸福な暮らしが約束されたようなもんでな……」
「あいあいあい。とりあえず武器作るって事で良いのね。資材はどうすんの?」
「石材が1、木材がそこそこ。これで何が作れそうだ?」
「んーー。石と木を1ずつもらうよ」
アイーシャはそう言うと、平たい石の板と向き合い、表面に触れ始めた。それから胸元から金属棒を取り出し、細かな線を刻んでいく。そうしてアタリを付けると、鎚を振るった。
辺りに石の欠片が激しく飛び散る。肌に当たるとそこそこ痛いのだが、アイーシャは意に介さず没頭している。そして石材を程よいサイズにまで削ぎ落とすと、今度は石床で擦り始めた。形状はみるみるうちに鋭くなり、一目で刃だと分かる程にまで磨きあげられた。
木材も持ちやすくなるよう削り、細長い棒が作られた。滑り止めとして動物の皮も巻かれる。
柄と刃。その両者を組み合わせて出来たのが石の槍である。鋭い切っ先が陽の光を眩く跳ね返す。まるで大理石のような光沢が、その切れ味を保証するかのように眩しかった。
「あいよ、磨製の槍ね。まずまずの出来だわ」
「これでも満点じゃねぇのかよ、上手く出来たらどうなってたんだ?」
「黒曜石の槍なら上等、スゲェ上手くいったらジルコニウムとか」
「超絶強そう。そんでもって斬れそう」
「うちの親父なんかヤベェよ。今の材料で金剛石の槍とか作った事あるかんな」
「ダイヤモンドだと!? マジかよ!」
「出来る出来る。金槌をトントントーンからの、ドンって感じ。娘から見てもアイツは化物だよ」
つくづくタケルにとって不条理とも思える世界観だった。金槌ごときでなぜダイヤモンドを武器として加工できるのか、そもそも石材でダイヤ製となるのか。ここに科学の入り込む余地は皆無である。
それはともかく、腕前は確かだった。叶うなら父親の方を招聘したい所だが、武者修行の旅に出て不在との事なので、次点となる彼女を雇う事に決めた。
「さてと、お次はどうすっかなぁ」
「タケル様。間もなく陽が暮れますので、本日はこの辺りになされては?」
「あぁホントだ。そろそろ寝る頃合いだな」
この会話を切っ掛けに村は活動を止めた。村人たちは自身の施設に、タケルたちも本拠へと戻ってきた。
「と言っても、オレはまだまだ眠れないんだけどな」
これからタケルが同化法の修練に励むのは、先日と変わらない。勤勉というよりは半強制的であり、疲れきって気絶する事を主目的としている。ゆえに容赦ない。効率の欠片も無い乱発が、今宵も発動されようとしたのだが。
「キャァァアーーッ!」
突如として絹を裂くような叫び声が響いた。タケルとエマが同時に跳ね起き、互いの顔を見合わせた。そして目配せの後、夕闇に沈んだ村へと飛び出した。
声の主は方角から言って、声質からみても工房以外あり得なかった。閉めきられたドアを開き、中へと突入する。
「どうした! 何かあったのか!?」
入り口から差しこむ焚き火の灯りで、室内が薄らと照らされる。広い工房の片隅では、アイーシャが頭を抱えて倒れ込んでいた。これは敵襲なのか。それにしてはエマの警告が無いのが不審である。
タケルが警戒して視線をさまよわせると、エマが部屋の奥へ向かって駆けた。そして、今も震えたままのアイーシャの側に寄り、優し気な仕草で抱き締めたのだ。だが恐怖の色が濃すぎる為に、せっかくの抱擁を振り払った上に、再び金切り声を撒き散らしてしまう。
「キャァァア! やだやだ助けてよパパァ!」
「落ち着いてください。ここには貴女を害しようとする者は……」
「居るもん! 今そこに居るもん!」
アイーシャは俯きながらも鋭く指を差した。その先にはタケルの姿がある。
「オレかよ! 何もしてねぇだろうがッ!」
「違う! その隣!」
「隣だぁ……?」
苛立ち半分に左右を見渡した。するとドア枠に佇む、何とも見慣れぬ生き物が目に映った。
サイズは拳大。黒と茶の縞模様は暗がりでもそこそこ目立つ。角があればカブトムシにも見える甲虫だが、先端はツルリと丸い。そんな生き物が襲いかかる気配も無く、辺りをモチモチと這いずり回るだけだ。見たところ人畜無害そうである。
「大将、なんかあったのかよ?」
遅れてやってきたマイキーに、タケルは甲虫を指差してみせた。
「なんかよ、コレが怖いっつうんだ」
「ムンムゥじゃねぇか。こんな所でも見かけんだなぁ」
「何だムンムゥって?」
「いや、虫の名前だよ。コイツの鳴き声がもう……」
「むんんむぅ。むんんんむぅ」
「あぁ、まんまだな」
「ギィヤァァーー! 鳴ーーいーーたぁーーッ!」
いよいよ収拾がつかなくなる。タケルはもう面倒のあまり、甲虫を摘まみ出そうとしたのだが、それはマイキーに止められた。
「おっと、素手で触らん方が良い。かぶれてメチャクチャ痒くなるぞ」
「マジかよ。でも追い出さねぇとさ」
「ちょっと待ってな。良い手があるぞ」
マイキーはそう言うと、近場の焚き火から赤々と燃える枝を一本手に取った。そして再び室内へ戻ると、甲虫に炎を近づけた。
「ホラホラ。ここに居ると半狂乱の姉ちゃんに殺されちゃうかもしんないぞ」
「むんんんむぅ……」
甲虫はどこか寂しげな鳴き声だけを残し、いずこかへと去っていった。後はアイーシャのケアだが、そちらは必要なかった。泣きつかれたのか気絶したかは定かでないが、ともかく夢の世界へと旅だった様子である。
タケルはエマと苦笑いを交換し、静かに部屋から退室した。マイキーは大あくびと共に薪割り小屋へと帰っていった。
「エマもお疲れさん。早いところ戻ろうぜ」
「えぇ……」
「どうかした。何か気になる事でも?」
「アイーシャさん。昼間とは様子が別人のようでした。もしかすると、先ほど見せた姿が本来の彼女なのかもしれない……そう思いまして」
確かにそれはタケルも感じたことだ。取り乱しているとはいえ、妙に幼い印象を受けたのだ。
「うーん。背伸びしてるっつうか、無理してるかもしれないって?」
「はい。それは時として、心に深い傷を負いかねません。素直になれなかったが為に、失うものだってあるのですから」
「まぁ、心配になるのは分かるけどさ、今は様子を見ておこう。知り合ったばかりだし、あんまり踏み込むのも不自然だろ」
「そう、ですね。もし相談を持ちかけられたら、それとなく話してみます」
「その方が良い」
その言葉を最後に、再び本拠で肩を並べて眠る。タケルは今の言葉を反芻(はんすう)させながら、溢れる想いをひとつだけ浮かべた。
(オレの性欲(すなおさ)についても、気にかけてくんないかな)
それは呟きにすらならず、思考の海へと溶け込んでいく。切実な願いは形を得ないままに消えた。それからは日々の訓練が始められ、やがて意識すらも遠退いていった。
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