第4話 慣れてしまえば
リヴィルディア戦記とは、リアルタイムで進行する戦略ゲームだ。魑魅魍魎なる魔物の軍勢を撃退する傍らで資源を集め、施設を建築して村を大いに発展させていく。そうして村人や勇士の力を結集し、最終的にラスボスである「魔人王」を討伐したならゲームクリアだ。
ただし、妙に難易度が高い事も手伝い、プレイヤーの多くはメインストーリーを放置しがちだ。課金勢すら寄せ付けない難所に皆が閉口したためである。その結果ユーザーは、揃いも揃って週替わりのイベントを勤しむというスタイルを貫いており、タケルもその例に漏れない。そしてゲームクリアを誰一人成し遂げていないという珍事を引き起こしているのだが、ともかくそういった趣旨の物語である。
「まずは食料が無くてはなりません。手始めに田畑を作られてみては?」
エマが小屋の側に広がる草原を指差した。その提案に異論は無いものの、手元には農具はおろか苗さえも無い。この状態からどう動き出せと言うのか、タケルは呆れたような気分となる。
ちなみにゲームプレイ時では、魔物を倒せば木材や石材といった何らかの資材が手に入ったものだ。しかし、付近を見回してみてもそれらしき物は見当たらない。
「エマ。何かを建てるにしても、道具やら材料を用意しないと無理だろ」
「その点はご心配なく。魔物の遺した武器をいただいても?」
「棍棒の事か? それだったら好きにして良いよ」
「ありがとうございます。では、早速使わせていただきますね」
そう言って取り出されたのは指揮棒(タクト)にも似た、細く短い棒だった。素材は木製で、持ち手の部分には細かな模様が刻まれている。それが一体何の役に立つのか。傍目からは見当もつかないが、これよりエマの真骨頂ともいえる妙技がお披露目されるのだ。
「天地を隷する精霊神よ、封者の末たるエマが乞う。清廉なる約定に基づき、今ここに奇跡の光を恵み給う」
呟きに呼応するかのようにタクトが輝きを帯び始め、辺りは不思議な気配で満ちた。姿の見えぬ何者かが集まったような錯覚に、タケルは思わず狼狽(うろた)えてしまう。その気配がいよいよ強くなると、エマが魔法を唱えることで、奇跡は実現のものとなった。
「還元(リダクション)」
輝くタクトがひと振りされると、宿された光が細かい粒子となり、地に転がる棍棒へと降り注いだ。その禍々しくも原始的な武器は色を無くし、霞んだかと思うと跡形もなく消えてしまった。その様子にタケルが驚きの目を向けた。さらには突如として資材が掘っ立て小屋の裏手に出現したのだから、なお驚かされてしまう。
ゴブリンの棍棒2本とオーガの棍棒が1本で、木材と石材が積み上げられたのだ。ゲーム中には気づかなかったが、彼女の働きによって必要素材に変換されていたのだと知った瞬間である。
「木材2と石材1が手に入りました。これを元に施設を建てましょう」
「お、おうよ。でも資材だけあってもさ、まだ足りないものばかりだろ。工具とか設計図なんかも用意しないと」
「そちらについてもお任せください」
タクトが木材にかざされると、積み上げた半分が煌めきながら消失し、光の粒に変換された。石材も全てが同じように姿を変えてしまう。やがて2つの光は、杖が動かされるままに誘導され、草原の一角へと落ちた。最後にエマが『建造(ビルド)』と唱える事で、辺りには小旋風が生じて砂埃が舞い上げられた。
ひとしきり風が吹くと、驚くべき事に、そこには立派な畑が出来上がっていた。しかも雑草の一本すらない、手入れの行き届いた状態である。
「すげぇ、何だ今の!?」
「これらは創造魔法と呼ばれるものです。大変珍しいものですので、驚かれるのも無理はありません」
「施設ってこんな風に造ってたのか……知らなかった」
タケルは前述したように、ゲームそのものには興味を抱いてなかった。もっぱら女性キャラの、特にエマの微エロなアバターを得る事に全精力を注いでいたのだ。なので物語はスキップモード、建設も金に物を言わせて有料にてスキップそしてスキップ。そんな訳で彼は、経験者とは思えない程に世界観を知らず、初歩的な内容でさえ感嘆の息を漏らしてしまう。
「おめでとうございます。これにて記念すべき施設の第1号が完成いたしました」
「おめでとう、でもオレは何もしてない。エマのおかげだよ」
「いえ、私こそ大した働きをしていません。全てはこちらのタクトのおかげと言えましょう」
「気になってたんだけど、これは何?」
「神木の枝より作られし魔法の杖です。創造魔法を円滑に作用させるのに欠かせないものですよ」
「なるほどねぇ。ちょっと貸して」
「ああっ、お待ちください!」
止めるのも聞かずに手に取ると、腕に凄まじい力が加わった。何十キロあるとも分からぬ重量は、とても片手で支えきれるものではない。タクトはそのまま掌から滑り落ち、地面で渇いた音を立てた。
「タケル様、お怪我はありませんか?」
「う、うん。どこも痛めてないよ。それにしてもビックリした……」
「こちらは契約者以外には扱えぬようになっています。相当に重たかったのでは?」
「めっちゃ重たかったよ、うん」
ここでタケルはようやく納得がいった。以前エマを抱きかかえたとき、異常なほどに重たかった事についてだ。彼女本来の重みだけでなく、タクトの力も加わっていたのだと知って安心もした。自分の非力さを恥じる必要が無くなったからだ。
そんなささやかな心境の変化まで省みられる事は無く、エマはタクトを再び手に取って腰帯に差すと、話題が次のものへと移った。
「畑ができた事で、じきに誰かがやってくる事でしょう。その時は暖かく迎え入れてくださいね」
タケルはそれを聞いてゲームの仕様を思い出した。施設には特定のキャラクターが紐付けられており、建設完了を機に村へと参入するようになるのだ。
どこか逆説的と思わなくもない。シンプルに考えれば、相応のスキルを持った人を抱えているからこそ施設を建てるのである。鍛冶師が居るから鍛冶場を、教師が居るから学校を建てるように。タケルはそんな事を考えつつ、耕されたばかりの畑を眺めていた。
「早速ですが、どなたかいらっしゃった様ですね」
「マジか。随分と早いな」
それは1人の老婆だった。右手のクワを杖代わりにし、地面を漕ぐような仕草で歩く様から、かなりの高齢である事は間違いない。ゆるやかでも登り坂は辛いらしく、姿が中々大きくならない。そうやって冗長に登場すると、年相応のしわがれた声によって話しかけられた。
「アンタがここの領主様け?」
訛りがひどい。イントネーションも全体的に尻上がりだ。
「うん。そんな大袈裟なものじゃないけど、責任者っぽい立場だよ」
「初めますて。アタスはミノリっつう婆だべ。土いじりが得意なんだけんども、ここの畑さ任してくんねぇけ?」
聞き取る事にそこそこの労力を必要とした。それでも人の良さそうな笑みが警戒心を削ぎ、むしろ好感すら抱かせた。顔に刻まれたシワも熟練度を代弁するようで、悪くない人選のようにも思えてくる。
「じゃあアンタに頼むよ。どうか上手い事やってくれないか」
「ヒッヒッヒ。ありがとうよ。立派に育てて、アンタらをコロッコロに太らせてやっかんな」
「まぁ。頼もしいお言葉ですわね」
前評判通り頼れるかは、実際にやらせてみなければ判らない。タケルはお手並み拝見とばかりに腕を組み、その隣ではエマが微笑みを湛えながら成り行きを見守った。
「ほーんじゃ、チャチャッとやっちまうべー!」
ミノリがクワを道端に置くと、服の袂から小さな袋を取り出した。中から1つまみ、2つまみの粉を掴み出すと、辺りに勢い良く蒔き始めた。するとどうだろう。先ほどまで何も無かった畑に芽が飛び出し、瞬く間に背が高くなったではないか。そして穂先まで美しい金色に染まると、豊かな実りを証明するように茎が大きく曲がった。その驚異的な成長速度は、おとぎ話と遜色ないものである。
「まぁ素晴らしい。とても立派に実りましたよ」
「ここいらは精霊さんの加護がすげぇんだべ。感謝感謝だなぁ」
その日に収穫が出来ようとは。タケルは、ご都合主義と呆れる想いになった。かと言って、変にリアル路線に走った挙げ句、半年一年と待たされるよりはマシである。もし仮にそのような仕様となってしまえば一大事で、場合によっては餓えるリスクまで背負わなくてはならない。ただでさえ死と隣り合わせの彼にしてみれば、これは歓迎すべき事態なのである。
「さぁさぁ良いのが獲れたべぇ。綺麗な色してっぺよ」
「本当ですね。眩しくなるほどの金色です」
収穫物は小麦とも稲とも判別つかないものだった。この未知なる穀物をどう扱うべきか、タケルは判断に迷う。ゲームプレイ時は、収穫が完了した時点で飢えから解放されたものだが、実際にどのようにして調理されるかは想像もできなかった。
「そんじゃまぁ、飯にすんべか」
「では精霊のお力に感謝して、いただきます」
「えっ、いただきます!?」
タケルはそこで信じられないものを見た。2人が何の迷いも見せず、穂に齧(かじ)り付いたのである。両名ともに顔を綻ばせながら、ゴリゴリと固い音を響かせては嚥下(えんか)した。脱穀だ精米だのといった中継地点は皆無。もぎたてのリンゴを皮付きで食べるような、しかし野性味において遥かに上回る食事風景を見せつけられたのである。
「うんめぇなぁ。ここの土地は加護の按配が段違いだっぺよ」
「大変美味しいですね。コクがあって、ほんのり甘くて」
「おんや、領主さまは食わねえのけ? 腹の調子でも悪いだか?」
「い、いや。そんな事は無い。いただくよ」
2人の視線に後押しされるようにして、タケルも穂先に歯を立てた。食感はやはりというか固い。それでも噛みきれない程ではなく、味も想像以上に良いものだった。例えるなら、炒ったアーモンドを少し甘くしたようなもの。香ばしさに加え、穀物特有の甘味が口内に広がるのだ。
初手の戸惑いなど無かったかのように、夢中で食べ進めていく。そしてあっという間に平らげてしまった。もちろん、味について文句など無い。
「いやぁ美味かった。これは食事が楽しみになるなぁ」
「コムネは栄養価も高いですからね。主食に向いている食品ですよ」
名称は小麦と稲を足したようなものだった。どんな名であれ、味が良ければどうでも良いと思う。
「もちっと土が良けりゃあ違うもん作れんだけんども。オオムネはまだ難しいっぺなぁ」
「今は贅沢を申せません。ゆとりが出来次第に、土壌改良も視野に入れてみましょうか」
タケルは大胸と聞こえてロマンを膨らませた。何を差し置いてでも栽培したい、いや栽培すべきなのだと心に誓いたくなる。たとえどれほどの代償を払ったとしても手に入れるだけの価値があると、知りもしない作物に多大な期待を寄せた。もちろん、後に落胆を味わう事になるのだが、今は知る由もない。
「さてと、残りのコムネも収穫しちまうかねぇ」
ミノリが重たい腰をあげようとした。だがそれは、エマの真剣みを帯びた声によって押し留められた。
「敵が来ます。態勢を整えてください」
「クソ! また戦闘かよ!」
「ゴブリンが1、2、3……。先程よりも多勢です」
「敵はオレが片付けてくる。エマは婆さんとここでジッとしていてくれ」
「承知しました。どうかご武運を」
タケルは2人を小屋の中へ匿うと、手始めに辺りの様子を窺った。すると、遠くからゴブリン達が駆け寄ってくるのが見えた。総勢で3匹。さすがに苦戦する事もないだろうと思う。しかし、戦局は彼が考えるほど楽なものではなかった。
「やべっ。逆側からも攻めて来やがった!」
先発のゴブリンとは真逆の方向から迫る敵があった。そちらも同じくゴブリンで、数は2匹。挟み撃ちである。
「これって割とピンチなんじゃねぇか!?」
どうすべきか迷う。しかし、苦慮する間も状況は悪化の一途を辿り、包囲の幅も狭められていく。判断の遅れが窮地を招くことは火を見るよりも明らかだ。
舌打ちとともにタケルは飛び出した。向かうは2匹のグループ。まずは敵の戦略を潰すことを第一としたのである。西側の小高い丘を頂までかけ登り、そして傾斜による『逆落とし』の力を味方に付けて、全力による攻撃を仕掛けた。先手を譲らぬタケルの攻撃が炸裂し、拳が敵を難なく葬り去る。だが、そこで彼は小さくない違和感を覚えた。
「な、何だコイツら?」
先程の戦闘に比べて、あまりにも手応えに欠けるのである。次いで繰り出した蹴りも、ゴブリンの体をゴムボールのようにフッ飛ばし、じきに霧散させた。
果たして敵は弱体化したのか。その真相は全くの逆である。村に施設を建設した事で、タケルには永続的な強化という恩恵がもたらされたのだ。畑によるボーナスは腕力、すなわち打撃力の向上。こうなれば、もはやゴブリンなどに遅れを取ることは無い。
「そっか、オレが強くなってたんだ」
ようやくゲームシステムを思い出したタケルは、つい掌に眼を向ける。何の変哲もない腕があるばかりだが、着実に強くなってはいた。
そうして佇む彼を呼び戻したのは悲鳴である。東から寄せる3体が掘っ立て小屋の目前へと迫っていたのだ。タケルは慌てて地を蹴り、そちらへと急行したのだが……。
「こんの悪タレどもめ! オラが畑に触んじゃね!」
大音声とともにクワが躍り狂った。小気味良い風切り音が鳴る度に、ゴブリンが1匹、また1匹と打ち倒されていく。その頼もしき加勢はミノリだ。彼女は湾曲した背筋をものともせず、巧みに農具を振るう事で押し寄せる敵を撃退してみせたのだ。
タケルはその一部始終に驚きながらも、遠くから跳躍。最後に残された敵に目掛けて飛び蹴りを食らわせ、葬り去った。これにて眼前の脅威は取り払われたのである。
「なんだ、ミノリ婆さんも戦えんじゃん」
率直な感想を述べると、ミノリは高らかに笑った。小鬼が怖くて土いじりは出来ないと言うのだ。その屈託の無い笑顔に、タケルも心が綻ぶような想いになる。
「タケル様、ご無事にございましょうか」
小屋から姿を現したエマが、タケルの様子を気遣った。そして一切の手傷が無いことを知るなり、安堵の笑みを浮かべた。そこから視線を下に向ければ、ニカリと微笑むミノリの姿もある。
「しかしまぁ領主様も強ぇんだべ。小鬼相手とはいえあっちゅう間に、しかも素手で倒しちまうんだもんなぁ」
「このお方はですね、かの高名なる精霊師様なのですよ。人の理(ことわり)に縛られるような存在ではありません」
「へぇぇ、こんな若ぇのに大したもんだっぺよ!」
ミノリが眼を丸くして驚くが、戦闘中はタケルだって引けを取らないほどに驚かされたものだ。
「婆さんだって強いじゃん。鋭い打ち込みだったぞ」
「アタスは小鬼退治なんて慣れたもんだかんな。それこそ娘っ子の頃から、婆様に引っ付いて相手にしてっから」
「ふぅん。習うより慣れろってヤツなのかねぇ」
「そんじゃまぁ、残りのコムネも刈っちまうべよ」
「そうですね。日が暮れる前にもうひと仕事してしまいましょう」
勝利の余韻は長く続かなかった。この切り替えの早さは、間断なく攻め寄せる魔物に慣れきったが故であり、一喜一憂していられないという実情があるからだ。もう少し話し込みたいタケルを余所に、2人は黙々と作業に勤しむ。その姿は彼に『慣れ』を迫るかのようにも見え、最終的には手伝う事にした。
そして、間もなく夜が訪れる。そこでも再び『慣れ』を強要されるのだが、こちらは一筋縄ではいかず、屍の山を築く事となった。まさか単純な休息が難所になろうとは、露ほども想定出来なかったのである。
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