第2話 助言軽視は厳禁
タケルは小屋で立ち尽くした。醒めると思われた夢は終わるどころか、やり直しを迫られてしまったのである。これはそもそも夢なのか、自分は何をさせられているのかすらも分からなくなる。
頬をつねると痛い。息を止めれば苦しい。それなのに世界はファンタジー。この時ほど相談相手を欲した経験は無かった。唯一の頼りは記憶に残る文明の手触り。それだけが此処を異質な世界だと断言する。ただし、打開策まではもたらしてくれなかった。
「どなたかいらっしゃいませんか! 助けてください!」
思索に耽る間も事態は悪化の一途を辿った。ドサリという落下音が聞こえると共に、悲鳴もいよいよ真に迫る。顔を知っている相手なだけに、聞き流す事が身を切るように痛い。ましてや惚れた相手だ。今回は恐怖よりも慕う気持ちが勝り、覚束ない足取りで表へと飛び出した。
戦場へ駆けつけると、彼女はまさに拐われようとする真っ最中だった。2人組のゴブリンが方や足首、方や脇の下を持ち、重い麻袋を運ぶ要領で犯行に及んでいた。
「かっ、彼女を離せぇ!」
喉のひきつりから声が裏返る。どうにも締まらない登場シーンだ。それでも窮地のエマにとっては救世主そのものであり、藁にすがり付くような顔で叫んだ。
「お願いします! 助けてください!」
「任せてくれ!」
唐突な加勢に慌てふためくゴブリンたち。両手を離してエマを放り捨てると、腰に差した棍棒を手に取ろうとする。だが時既に遅し。身構える前に、猛然と突進したタケルが、目と鼻の先で拳を振りかぶっていたのである。
一匹は鼻っ柱をへし折られて吹き飛び、その身を消失させた。もう一匹も腹に痛烈な蹴りを食らい、同じ末路を辿る。これにて前哨戦は終了だ。
「危ういところを助けていただき、ありがとうござ……」
エマがたおやかに頭を下げようとするのを、その肩を掴むことで制した。持ち上がる顔に困惑の色を帯び始める。
「話なんか後だ。ともかく逃げよう」
「逃げるとは、果たしてどちらに……」
「そんなもん何処だって良いんだよ!」
オーガが押し寄せるまでどれ程の猶予があるだろうか。こうして会話を重ねる暇すら惜しい。訝しむエマの腕を強引に掴み、この場から離れようとした。だが、それすらも思い通りとはならなかった。
「痛いっ!」
「どうした? もしかして、足が?」
「はい。落ちた拍子に挫いてしまったようで……」
エマが擦る足首は赤みを帯び、腫れ上がる気配をみせていた。ならば乗ってきた馬に乗せようと思うが、その姿はおろか蹄の音さえ聞こえない。これにはタケルも思わず歯噛みをしてしまう。
「随分と薄情なヤツだ。主を置いてきぼりにするなんて!」
「あの子は、さるお方から借り受けただけです。あまり悪く仰らないでください」
「仕方ねぇな。ちょっと我慢してもらうぞ」
「な、何を……。キャアアッ!」
披露したのは伝家の宝刀『姫抱っこ』である。怪我人は安静に運ばれ、従事者は肌感を楽しめるという、幸福しか生みださない技が炸裂したのだ。もちろん、死の恐怖におののくタケルは下心など持たない。掌がしきりに伝えるフトモモの柔っこい感触に、思わず頬を緩める事はあったとしても、健全なる逃避行は一歩一歩と進められていく。
ただしその歩みは、気を遣ってしまう程度には遅い。
「あの、やはり降りましょうか?」
「大丈夫、大丈夫」
「ご無理をなさらないでください。全く歩けない訳でも無いのですから」
「へーき、へーき、大丈夫」
エマは想定よりも重かった。こんな事なら鍛えておくべきだった、などと後悔しても後の祭りだ。酔っ払いにも等しい足取りのまま草地を進み、やがて掘っ立て小屋の脇を通りすぎたのだが、そうして逃げおおせたのもそこまでだった。
背後から迫る地響きに足を取られ、エマを抱えたままで膝を着いてしまう。揺れの間隔が短いのは、オーガが脚力にものを言わせ、猛然と駆け寄ろうとする為であった。
「やべぇ、もう来やがった!」
巨体である分歩幅も大きく、瞬く間に距離が縮められてしまう。そしてオーガは掘っ立て小屋を体当たりで粉砕すると、傍で震えるタケルに向かって腕を伸ばした。
「こ、殺される……」
脳が痺れるほどの恐怖が、先刻の痛みを鮮明に蘇らせた。鼓動は早鐘を打ち、呼吸も喘ぐまでに荒くなる。視界を埋め尽くすほどの巨大な手。それは武骨にあつらえた死神の鎌だ。
(嫌だ、死にたくない!)
迫り来る手に向けて、デタラメに攻撃を加えた。拳で殴り、足蹴りを浴びせる。あらんかぎりの力で必死に抵抗してみせたのだ。しかし、運命を変える程の力は持たず、巨大すぎる暴力に屈する事となる。
首にザラりとした肌触り。ついで強烈な痛みが走り、意識は遠退いた。耳の奥に重たく残る、骨の折れる生々しい音だけを残して。
(まただ。また呆気なく死んじまった)
魂は同じように輪廻する。吸われ、眩しさに襲われる最中で、脳内に響き渡るワンポイントアドバイス。
ーー本拠地を陥とされると、士気まで落ちて凄く不利になるぞ。戦局を見極めながら戦おう!
全く歯が立たない敵を相手に、戦局を見ることに意味があるのだろうか。文句が言えたなら大いに反論したい所である。だが、そんな気持ちを汲み取られる事はない。最後にガラスの割れる音を聞き流すと、やがて身体の自由を取り戻した。
「何なんだよ……オレにどうしろって言うんだ!」
避けられぬ処刑、落命する程の激痛。絶望に染められた運命が重たくのしかかり、タケルは膝を抱えて座り込んでしまう。彼の実態は歴戦の兵でも救世主でもない。極々平凡に生まれ育った少年なのである。勇ましく戦おうとする覇気など、もはや微塵も残されてはいなかった。
「誰か、誰か助けてください!」
悲鳴が聞こえるなり、両手で耳を塞いだ。もちろん小屋からは一歩たりとも出ない。とうとうエマを見捨てる事にしたのだ。無情であることは重々承知の上、保身に走らざるを得なかったのである。
「ごめんなさい、オレには無理なんだ、ごめんなさい……!」
謝罪と自己弁護を交互に織り混ぜた独り言が、延々と吐き出される。口を閉じていられないのは静寂が堪えがたいからだ。今もエマの悲鳴が、まるで鼓膜に刻み付けられたかのように、耳の奥で鳴り続けて止まない。
「もっと強い人、それでいて親切な人に助けてもらって! 頼む!」
無宗教のタケルが祈った。この世界の神について知る由も無いが、とにかく拝み倒して祈り続けた。
やがて微かに聞こえた喧騒は止み、地を這うような独り言だけが残された。彼自身はその変化に気付かず、ひたすらに祈る、祈る。
「なんだ、あれ……」
合掌する指の先に凶々しいものを見た。青空にポツリと漂う暗雲が、どうにも脈絡も無く不釣り合いで、そこから目が離せなくなる。そうしている間にも雲は膨張を続け、やがて空の一角を覆いだした。彼の知る物理法則など嘲笑うかのように、不可解極まる現象を披露してみせたのである。
それが単なる悪天候でないことは直に分かる。みるみるうちに空は濁り、太陽は隠され、日蝕にも似た闇が訪れた。今にも土砂降りに見舞われそうな空模様だが、雨は一滴も落ちてこない。その代わりなのか、何者かの声が頭上の彼方から降ってくる。重苦しい光景に反して、口調は興奮と悦びに歪められており、さながら愉悦の境地といった様子だった。
『素晴らしい 素晴らしい
今日という日を どれほど待ちわびた事か
忌まわしき封者の小娘も
既に欠片もこの世に亡い
主を縛りし憎き楔は
砂塵の如く消え失せた
さぁさぁ魔の者共よ 祝え祝え
我らの王が帰還する
幾夜も唄え 踊り愉しめ
我ら魔族の世が来たぞ 旧時代の夜が空けたぞ』
空に雷鳴が幾筋も轟く。それに呼応するように地が揺さぶられ、ただの稲光で無い事を確信させた。我らが王とは誰か、叫んでいるのは何者か。それを推察する前に、次なる異変がタケルを襲った。
足元に重みを感じて目を向けると、下半身が氷に包まれていた。その疾さは凄まじく、冷たいと感じる間も無い。そのまま全身の至る所が凍りつき、物言わぬ氷像となるまでに大した時間を要さなかった。
「地を這いつくばる人間どもよ、畏れおののけ。これが新時代の支配者たる魔人王様の御力ぞ。今に全てが根絶やしにされよう!」
最後に聞こえた声もやはり狂乱染みていた。
そして訪れる輪廻。一体どうすりゃ良いんだと、タケルは頭を抱えたくなる想いだ。今ばかりは両手どころか頭の所在すら不明だが、気持ちの上ではそのようにしている。
(あんな化け物相手に勝てる訳がない! 戦っても歯が立たないし、逃げたとしても追い付かれる。その上やり過ごすのもダメだってんなら、もう打つ手無しじゃねぇか!)
解決法を見いだせないままに辺りは白みだす。これはもはや拷問だった。答えを知らない追試を延々受けているようなもので、解けないものは解けない。これがもし学内の一幕であれば物理的に逃げ出す事も可能だが、今はそれすらも叶わなかった。文字通り袋小路の真っ只中なのである。
ーー聖女を敵に奪われてはいけない。拐われそうになったら、すぐに助けだそう!
例によって呑気な声が聞こえ、とうとう怒りを撒き散らしてしまう。心労の限界を迎えたタケルには、聞き流す事さえ出来なくなっていたのである。
(うるせぇ! あんなバケモノ倒せる訳ねぇだろうが!)
口から吐けない代わりに精一杯に念じた。それが音となって響かせた様子は無いのだが、反発せずにはいられなかったのである。誰と向き合っているか、そもそも人が居るのかすらどうでも良い。傍観者然として気楽にコメントをされるのが、自身に降りかかった不可思議すぎる波乱を、まるで嗤われているような気がして許せなかったのだ。
光はみるみるうちに迫り、光量も伴って膨大になる。つまり、また死出の旅路が始まるのだ。輝きはもはや救いではなく、恐怖の対象に成り代わっており、暗澹(あんたん)たる思いで迎え入れた。
(次はどうやって死ぬんだろう)
絶望的な未来をいくつも思い浮かべては消え、浮かべては消える。明るい展望の開けないままに、光だけが大きく膨らんでいくのは皮肉でしかない。
そろそろかと、腹の中で算段を立てていると、不意に静寂が切り裂かれた。
ーーいやさ、精霊の力を使えって言ったでしょ。なんで言う通りにしないの。もしかして縛りプレイの人?
これまでの一本調子な口調とは異なる、情緒豊かな言葉が届いた。呆れるような、どこか苛立っているようであり、声を聞いただけでは心の機微まで読みとる事は難しい。声の主の意図を測りきる前に、何度目かのガラスの割れる音が鳴る。
そうして、また同じように新たな命を得た。これまでと変わらずにだだっ広い原野が見える。
「精霊の力って、どうすりゃ使えんだよ」
タケルが得られたのは方針であり、答えでは無かった。当然のように語られた対処法も、彼にとっては未知なるものだ。使おうにもプロセスどころか、その概念すら把握してはいなかった。
「もしかして、エマなら……?」
その閃きに光明を見た。急ぎ小屋から飛び出し、誰もいない平原で待ち受ける最中、身体中の筋肉を解し始める。
やがて聞こえる馬蹄と悲鳴。言葉を待たずに保護。そして通過儀礼的に2体を屠(ほふ)る。居ずまいを正したエマが頭を下げようとするのを止め、名乗る事すら脇に置いて問いかけた。
「君は精霊の力について知っているか!?」
タケルの気迫が驚かせてしまうが、無言のままで肯首された。
「悪いけど教えてくれないか。できるだけ端的に、かいつまんで!」
「え、ええ。承知しました」
タケルは拳を握り、早くも悦びを噛み締めた。ようやく見えた好転の兆しから、久方ぶりの希望を感じ取ったのである。
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