第6話 用済みの名探偵その6

006


 ――ピンポーン


 僕が引きこもりになって数日後、突然昼に自宅のインターフォンが鳴らされる。


 両親は仕事で留守だったし、礁湖が出るわけもないので仕方なく僕が玄関のドアを開けた。


「やあ、達也! 元気してた?」


「――!?」


 そこに立っていたのは制服姿の僕の幼馴染――湊舞花だった。


「……」


「ねぇ、何か言ってよ?」


 いつもと全く同じ口調で舞花は僕に言う。


「……お前、学校は?」


 僕はようやく口を開いた。


「えへへ、達也に会いたかったから仮病をつかってサボっちゃった」


 舞花は笑顔で僕にそう言って、


「ねぇ、折角だからどこか遊びに行こうよ?」


 と、僕を誘ってきた。


「……」


 僕はまた口を閉ざして何も答えない。


「ほら、まただんまり決め込んでないで何か言ってよ? 行くの? 行かないの?」


「行かないよ」


 僕はようやく答える。


「何で学校すら行っていないのに舞花と遊びに行かなくちゃいけないんだよ」


「えー、せっかく学校早退してきたのにつれないわね? ねぇ、そんな風に意地張ってないでさ、一緒にどこか行こうよ?」


「どこかって……どこに連れて行くつもりなんだよ」


 ここでも『Noと言えない日本人』は健在だった。


「そんなの、歩きながら考えればいいじゃない。せっかくリハビリして松葉杖なしで歩けるようになったんだから外に出なくちゃもったいないよ。ほら、早く部屋に戻って着替えてきなって。ここで待っていてあげるからさ」


「……分かったよ」


 ここでも僕は渋々頷いて、着替えるために部屋に戻った。


 まったく、自分でも情けなくなるくらい何も学習していない。


 着替え終わった後、礁湖の部屋を通るときに、少し立ち止まって、


「ごめん礁湖、ちょっと出かけてくる」


 と言ってまた歩き出した。


「……いってらっしゃい」


 と、部屋の中から小さな声が聞こえた。


 礁湖も僕に対して色々言いたいことや思うところがきっとあるのだろう。


 いつか、この自慢の義妹に僕も何か返したいと、そんなことを思いながら、


「いってきます」


 そう言って僕は玄関を出た。





 一緒に出掛けてみると、本当に舞花はどこに行くかまったく決めていなかったようで、しばらくは二人してひたすら近所を歩いていただけだった。


「まさか本当にノープランだったとは……」


「だって、こんな時間にショッピングモールなんか行ったら絶対補導されちゃうでしょ。そうなるとなかなか選択肢が限られてくるのよ」


「……確かに」


 僕の幼馴染はスポーツ選手なのにとても遊び馴れていた。


 結局、僕たちは近所をぶらぶら歩いた後、


「ねぇ、久しぶりに公園行こうよ?」


 という舞花の発案で、最終的には、小さい頃に二人してよく遊んでいた公園に行くことになった。


「ここに来るのも久しぶりね」


「……そうだな」


 僕はあいまいに返事を返す。


 だって、あの頃、陸上クラブが始まるまで舞花とこの公園で遊んでいた時とは僕の立場や心持ちが全く違っていたから。


「変わらないね」


「――? この公園が?」


 確かにこの公園は小さい頃僕たちが遊んでいた時とはほとんど変わっていなかった。少しブランコが新しくなっていたり、古くなったのであろう遊具が取り外されてはいたけれど、それでも公園全体の雰囲気は昔のままだったが、


「違うよ」


 と、舞花は返す。


「変わってないのは、――達也だよ」


「なんだって?」


 僕はカッとなって舞花を睨み返す。


 そんな僕の様子などどこ吹く風で舞花は新調されて綺麗になったブランコに座って漕いでいた。


 ブランコが独特の金属音を立てながら一定のリズムで揺れる。


「だから、達也のこと。変わってないよ、達也はあの頃から何も」


「そんなわけ……ないだろ」


「そんなわけあるわよ。あなたね、勝手に自分を美化しすぎなのよ。達也はただ怪我をして走れなくなっただけ。たったそれだけよ」


 舞花はブランコを漕ぎながら僕の方を見ずに言った。


「それだけ? それだけだって!? それがなにより重要なんじゃないか! 僕にとって走ることがどれほど大切なことか舞花だって知っているだろ!? 僕は走ることしかできない。走れなくなった僕なんて――そんなのもう僕じゃない!!」


 走れなくなった僕は――少なくとも以前の海野杜達也ではいられない。そう思っていた。


 しかし、舞花は、


「そんなわけないでしょ? 走れなくなっても達也は達也よ。だからあなたは怪我をする前の自分を美化しすぎなのよ。クラスで浮いていたのだって、陸上部内で嫌われていたのだって、コミュ障で人と話せないのだって、他人に興味がないのだって、社会適応能力が皆無なのだって――そんなの今に始まったことじゃないでしょ? あなた、海野杜達也っていう人間は元々そういうダメなやつだったわよ」


 と、そんなことを言う。


「――!?」


 全く反論できなかった。


 確かに、結局僕は昔からそんな風にダメな人間だった。


 走れなくなったからダメな人間になったんじゃない。


 ――走れなくなったことで化けの皮がはがれただけなのだ。


「何を今さら。そんなこと私は今までだって分かってたわ。それでも達也の幼馴染をずっと続けてきたのよ? でもそれは別に達也が走るのが速いからでも、特別な人間だからでもない――」


 舞花はそこまで言って、漕いでいたブランコから飛び降りると、僕の方を向いて




「――あなたが海野杜達也だからずっと一緒にいたの!!」




 と、そう言った。


「……」


 情けないけれど、このとき僕は言葉が出なかった。


 ――だって今口を開くと僕は泣きそうになっていたから。


「それだけは……絶対に忘れないで。達也がどんなになっても、私は変わらず達也のそばにいるわ」


 そう言った舞花の表情は僕以上に歪んでいて、今にも泣きそうになっていた。


「ありがとう、舞花」


「あなたが……達也が陸上を始めたことを後悔しているのは分かってる。でも、私はずっと一緒にいた幼馴染としてあんなに夢中になって走っていた達也の頑張りが無駄になるのは絶対に嫌。だから――」


 舞花はそう言って、


「――これからは私が達也の代わりに走る!!」


 と、そう宣言した。


「……舞花」


「達也の分まで私が速くなって、達也が見たこともない景色だって、私が代わりに見てくる。だから――達也もこれからの私の姿を見ていて」


 そう言った舞花の目には涙が溢れていたけれど、とても決意に満ちていて、僕はどこか遠いところでそれをとてもきれいだと思った。


「舞花、ありがとう」


 僕はそう答えるので精いっぱいだった。


 ――だってこれ以上口を開くとやっぱり僕まで泣いてしまいそうだったから。


 公園内は綺麗な夕暮れに包まれていてオレンジ色に染まっていく中で、僕はもう一度前を向いて生きようと思った。

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