27.亡羊の嘆

 その日の夜遅く。

 土御門家全員が眠ったであろうことを確認してから、賽貴さいきは中庭に足を踏み入れた。

 その先には朔羅さくらが立っていて、浅葱あさぎの部屋を遠い目で見ている。


「……お前らしくもない」

「そう? ――なんて、いつも通りに返せるだけなら良かったんだけどね」

「朔羅」

「……これは、あなたにしか明かさない弱音だけど、僕は『一』を務めきれる自信がない」


 賽貴は浅葱の『一の式神』であった。それは五体の首座を意味し、束ねていかねばならない重荷もある。

 朔羅は『二』であったが、現在は『一』を継承している。そのための負担からか、心持ちが若干弱っているようだ。


「僕は誰かを癒すことはできないって、思い知らされたよ。止血は出来ても傷を治せはしない。擦り傷程度だったら舐めれば治るけど、今日みたいな深手だったら……」


 それは、昼間の浅葱のことを指しているのだろう。

 目の前にいながら、歪の妖魔の攻撃を避けることが出来なかった。だがそれは、賽貴がその場に居たとしても守りきれたかどうかは不明瞭でもある。

 白雪が不在であることが、どんなに痛手であるかと、朔羅は痛感しているようだ。


紅子べにこちゃんがいてくれなかったら、どうなっていただろうね。僕は怒りに任せてまた暴走して、もしかしたらあの妖魔たちと変わらない愚行に走っていたかもしれない」

「……自暴自棄になるな。浅葱さまがそれを聞かれたら、悲しむだけだ」

「はぁ……わかってるよ」


 賽貴の指摘に、朔羅は肩を竦めながら返事をした。

 自棄になっていることは自覚しているが、それに浸るほど愚かではない。

 

雪華ゆきはなの回復能力は本当に計り知れない。だからこそ我々は、それに甘えすぎたんだろう」

「……白雪を襲った奴は、これが狙いだったのかな。そういえば、門のほうはどうしてるの?」

「今は完全に閉じている。俺も戻れば、またしばらく先はこちらには来られないだろう」

「ってことは、余計な妖魔の介入は、今のところは心配しなくていいんだね」

「――『奴』の空間移動を除けばな」


 そこで空気がひりついた。

 空間転移――あの『歪の妖魔』が見せた能力である。

 正しくは、妖魔自身の能力ではなく、第三者による強制移動だ。

 それが、今回の雪華の誰かであると、賽貴は踏んでいるのだ。


「学園で調べてきたんだが、高等部二年の男子生徒に、それらしい奴がいる」

「よりにもよって、あの学園の生徒なの? 二年でAクラスなら、たくみさんが把握してたはずだよね?」

「……それが、在籍がCだった。しかも、成績も及ばなく、殆ど登校していない」

「まさか、『落ちこぼれ』を演じてたってこと?」

「そういうことになる」


 浅葱の通う学園には、明確な序列が存在する。

 退魔師を育成するための学園でもあるので、実力次第で振り分けられてしまうのだ。

 ちなみに、Aクラスが『エリート』、Bは『普通科』、Cは『補修組』と呼ばれている。家柄などでAに選出されてしまう場合もあるが、それでも定期考査で成績が悪ければ、BないしCに落とされてしまう生徒も少なくはない。


「……盲点だったな。もしかして、『蘆屋あしや』に関わってたりする?」

「俺の部下の『からす』に探らせてみたが、どうやらそうらしい」

「ああ、彼、こっちにいるんだ」

「若干のルール違反ではあるが、そうでもしなければ、難しい局面でもあるだろう」

「まぁ僕としてもそのほうが助かるけど。……でも、幸徳井……静柯しずかさんとも、本格的に連携を取ったほうがいいのかもしれない」


 二人は静かにそう言葉を交わし続けた。

 思案することが多く、想定外な情報もねじ込まれたこの状況は、確かに難しい局面であると言えるだろう。

 このタイミングで紅子が介入してくれたのは、幸甚であったのかもしれない。


「静柯さんのほうは、僕から挨拶がてらに話に行くよ」

「あぁ、そうだな」

「……ところで賽貴さん。あなたの立場をどうこう言うつもりはないけど、その『印』だけは、最後まで消さずにいてよね」

「気づいていたのか」

「当然でしょ。どれだけ長い時間を一緒に過ごしてきたと思ってるの」


 朔羅がそう言うと、賽貴は困ったようにして笑うのみであった。

 彼の首の後ろにはまだ、浅葱の刻んだ式神の証が残っている。誰にも告げずにいたのだが、やはり朔羅にだけは見透かされてしまったようだ。先ほど、浅葱の部屋で黙っていたのはこの確認のためであったのかもしれない。


 陰陽師との契約は、血と魂を分け合うことと同じ。

 本来であれば彼らも、賀茂浅葱が姿を消した当時にその効力さえも失うはずであった。

 だがそれでも、今もこうして『印』は残っている。


「……諷火ふうかが、この間顔を見せに来たんだが」

「ああ、うん」

「浅葱は必ず帰ってくると断言していった」

「へぇ。あの子も相変わらず面白いね。いかにも諷貴ふうきさんの子っていうらしさ・・・もあるけど。……でも、賽貴さんだってそう感じてるんでしょ?」

「そうだな……」


 ――決してゼロではない可能性を。

 あの時、諷火を通して聞こえた兄の声が再び甦る。

 賽貴はそれを反芻しながら、決意を改めるためにゆっくりと瞳を閉じた。

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夢月夜 Re:或いは新しいモノ 星豆さとる @atsu86

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