12.目覚める気持ち


 学園内、Aクラス専用のシミュレーション室。

 以前はこの場に入ることを躊躇っていた浅葱が、進んで中に入り、符を片手に模擬戦闘を行っていた。

 普段であれば、空間内に用意された妖魔を模した疑似敵が配置されているが、今回は浅葱の式神たちが実際に姿を見せて、浅葱に攻撃を仕掛けている。


「……まだ、詰めが甘いですよ!」

「くっ」


 頭上からそういうのは、颯悦だった。実態の無い刀を手に、腕を振るえば風の刃が浮かび、それが小刀に分かれ、浅葱に向かって飛んでいく。


「――結っ!」


 宙に向かい、符を貼り付ける。

 すると、浅葱の全身を覆うほどの結界が展開される。

 颯悦からの攻撃は、それで何とか弾くことが出来た。

 だが。

 ――リリン、と鈴の音が響いた。


「!」


 気配は分かる。

 それでも浅葱には、姿を確認することが出来なかった。

 颯悦の刃は凌げた。その前の白雪が起こす吹雪も何とか視界を確保が出来た。

 では次は、紅炎の炎か、朔羅の糸か。

 それとも同時に来るのか。


「……視せよ」


 浅葱は小さくそう言いながら、左人差し指を真横に引いた。指先には霊力が宿り、軌跡を引きつつ淡い光を生み出している。

 光の軌跡は浅葱の動き通りに、星形をその場に描いて見せた。

 その向こうが、可視化されるようになっている。知識として憶えていた術の一つであったが、発動させたのはこれが初めてだ。


「――浅葱さん、あなたのダメなところはそれで隙を作っちゃうところだよね」

「っ!」


 背後に立たれた。

 そう、思った時には遅かった。

 朔羅の声に驚き、瞠目したところで自分の行動には繋がらない。慌てて振りむこうとしたが、あっさりと腕をつかまれ、浅葱の動きは封じられてしまう。


「ほら、こうなったらどうするの」

「……っ、朔羅、痛い」

「うん、まぁ、痛くしてるんだけどね。今僕ら、敵役だからさ」

「そう、だけど……っ、――陣ッ、爆ぜよっ!」

「おっと」


 朔羅は浅葱の右腕をつかんだ後、真上にそれを引き上げていた。当然、強く握りこんでいたので浅葱の表情は大きく歪む。

 それでも朔羅は、その後の主の行動をそのままで促すのみだった。

 そして浅葱は、叫びにも近い声を上げて、左腕を上げ、朔羅に向かって攻撃を仕掛けた。

 符を通して、小さな爆発が起こる。

 朔羅はそれを数秒前に察知して、浅葱の腕を離してからひらりと後ろへ飛びのいていた。


「うん、良く出来ました。そういう感じで動かないと――死ぬよ?」

「……っ」


 朔羅はにこやかに笑ってそう言った。

 だが次の瞬間には、開いた瞳の色を金に変えて、にたりと哂って見せた。

 浅葱はその笑顔に、背を粟立たせる。

 まずい――と思うとの同時に、浅葱もまた、朔羅から距離を取った。

 そこまでは良かったのだが、僅かに構えを取った指先が、何もない所で切れる。


「っ、……」


 罠に嵌った、と浅葱は思った。

 いつの間にか、自身の周囲に張り巡らされていたのは、糸であった。

 それは朔羅の武器であり、ヒトをあっさりと殺せてしまう道具でもある。


(……っ、この臭い……! まずい、ええと……)


 糸を通して、油が染み込んでくる臭いを察知した浅葱は、内心でそう言いながら、次の行動を判断しなくてはならなかった。

 何故なら今、そこで行動をとらなくては、自分は死ぬからだ。

 ごおっ、と数メートル前から何かが燃え走る音がした。

 炎が糸を伝ってこちらへと走ってくる。

 姿を見せないままの紅炎の、強い妖火だ。


「――、我に示せ、結……賽貴っ!」


 その場に座り込むようにして、浅葱は思わずそう言ってしまった。

 だがその言葉はきちんと術として発動し、彼の体は強固な結界で炎から守ってみせた。

 賽貴はもちろん、この場には居ない。

 それでもやはり、彼の力は相変わらず浅葱を守るために発動し続けている。

 朔羅はその一連の光景を目にしながら、僅かに表情を歪ませていた。

 変化していた金の瞳は、今はもう水色に戻っている。


「……、……」


 乱れた息を整えながら、浅葱は天井を見上げていた。無意識にズレていた伊達メガネを直しつつ、はぁ、と大きなため息を吐く。


『――テスト終了。土御門浅葱は速やかに退出してください』


 僅かに時間を置いて、室内アナウンスが流れてきた。ヒトの声ではなく、プログラムが刻限を告げてきているのだ。


「そうか……もう、時間か。あと少し、感覚を憶えたかったんだけど」

「今日はもう十分だと思うよ。立てる?」

「あ、うん……ありがとう、朔羅」


 目の前に差し出された手を、浅葱は素直に取った。直後、何故か緊張してしまい、顔をそむけてしまう。


「……どうしたの。さっきの、痛む?」

「う、ううん。大丈夫……」

「――大丈夫ではなかろう」


 朔羅の言葉に、浅葱は慌ててそう答えながら立ち上がった。

それと同時に、少し離れた位置から冷たい声音が静かに投げかけられる。

 慌ててそちらを見ると、視線の先には白雪が立っていた。彼女の表情は、とてもではないが笑顔には程遠く、見るからに怒りを湛えている。


「し、白雪……あの……その、ごめん、あまりうまく動けなく、」

「浅葱どのに怒っているわけではございませぬ。……朔羅、どういうわけか?」


 浅葱がしどろもどろにそう言いかけると、白雪はぴしゃりとそれを跳ねのけた。

 主に怒っているわけではなく、朔羅に対しての怒りであるようだ。

 そして辺りは、一瞬にして真冬のような寒さとなった。これは、白雪が雪女であるがゆえの影響だ。


「……まぁ、言いたいことはわかるよ。でもここ、学園内だよ。それにもう表に出なくちゃ」

「そなたのそういう態度が皆を誤解させ、惑わせるのだ! 一の式神を引き継ぐ覚悟があるのなら、もっと主殿に誠意を見せよ!」

「あー、うん。ごめん」


 白雪は畳んだ衵扇を突きつけ、朔羅を叱咤する。

 必要以上に浅葱を追い込んだ事を、やはり良しとは出来なかったのだろう。

 それでも朔羅は、軽い受け答えしかせずに、浅葱の背を押して教室から出た。

 他の式神たちは、彼らの後には続かなかった。それは、配慮からくるものだった。


「……あの、朔羅」

「うん……そうだね。嫌なところ見せちゃったね。それから……さっきは危険な目に合わせちゃって、ごめん」

「僕は大丈夫だけど……白雪があんなに怒るところ、今まで見たことなかったから」

「指」

「え? あ、これも少し切っただけで、大丈夫だから……」


 朔羅は、いつもと少しだけ様子が違うように思えた。

 浅葱の手を取ったかと思えば、彼の言葉を無視する形で、薄く切れていた指を自分の口元へと持って行ったのだ。


「……っ!」


 思わずの、過剰反応をしてしまった。

 朔羅が自分の指先を、舐めている。その事を理解するのに、数秒遅れた。

 治療だ。

 とは、思った。それは、すぐに解ったのだが。


「あ、あの……朔羅っ!」


 浅葱はそう言いながら、半ば強引に自分の手を引っ込めた。

 離されないかもとも思ったが、あっさりと解放されて、それすらに居た堪れない気持ちになり、浅葱は目を回した。


「……切れたところ、見てごらん」


 朔羅はそんな浅葱を見つつ、静かな口調でそう言った。

 その言葉に黙って従う事しか出来なかった浅葱は、恐る恐る自分の指先を見る。


「あれ……治ってる……?」

「僕は元々獣族だからね。軽い傷なら舐めたほうが早いんだ」

「そ、そうなんだ……あの、ありがとう」


 浅葱は目を合わせてはこない。

 そんな彼を見て、浅く笑うのは朔羅だ。


「……ああ、そうだ。一つ確認させて貰いたいんだけど」

「え、な、なに?」


 朔羅は口元に笑みを浮かべたままで、話題を変えた。そして浅葱に対して、とんでもない事を問いかける。


「賽貴さんの結界って、基本的に体の中から発動する仕組みなんだけど、浅葱さんさぁ、あの人にキスされたりとか、憶えある?」

「えっ!?」


 浅葱には、彼の言葉が理解出来なかった。

 賽貴が自分に――。

 そんな事は、記憶が確かな限りではされた事が無い。

 彼はいつでも傍にいてくれたが、それでも必要以上に触れられたことは無かった。

 自分が避けていた為でもあるが、だがそれ以上に、彼は――賽貴は、距離というものを、確かに作ってくれていた。

 『彼の浅葱』のために。


「……記憶には、無いよ。賽貴だって……そういうことは、僕にはしないと思う」

「そうだよねぇ。……だとしても、うーん、ちょっと理解しがたいなぁ。さっきのあの最後の結界、どうして発動出来たんだろう」

「さぁ……僕にもよく、わからない……」


 朔羅は浅葱に施されている結界の形について、少々疑問を抱いているようであった。

 符に込めた普通の結界術は、浅葱自身が生み出したもの。

 それ以外の結界は、賽貴の影響によるもの。

 だがそれは、体内から発動している――。と、なれば、与えられたその時に、やはり触れ合いがあったのだと考えるのが一番シンプルだ。

 賀茂浅葱に対して、賽貴はそういう形で術の施しをしていたと、朔羅は知っているからだ。


「あの……前から思ってたんだけど、朔羅って、賽貴のことあんまり好きじゃない……?」

「ん、そう見えるかい?」


 朔羅は浅葱のそんな言葉に、苦笑して見せた。


「……あ、違うんだね。腐れ縁的な……なんか、複雑な感情があるんだ」

「そう、腐れ縁。お互い、何年一緒にいたかなんて全然憶えてないよ。賽貴さんは何よりの僕の友人で、それ以上の人でもあったし、……何より、僕の欲しいものを一番先に手に入れる人だった」

「…………」


 肩を竦めつつ、朔羅は賽貴の事を語りだす。やはりそこには、長年の付き合いであったがゆえの響きがあった。

 そして浅葱は、そんな朔羅の話を、もっと聞きたいと思っていた。


「僕ね、賀茂浅葱が好きだったんだよ」

「……え……」

「その前はね、浅葱さんの祖父である人が好きだった。……だけど、いつも賽貴さんの次だったんだ」

「次……って?」

「……みんな、賽貴さんを選ぶって事だよ。まぁ、しずかさんの場合は、ちょっと事情が違ってくるから、今更言っても仕方ないんだけどね」


 それは、浅葱の知らない遠い過去の話だ。

 途方もないくらい、永く遠い感情。それでも彼らは、まるで数年前であったかのように話す。憶えていないと言っていた事すらも、おそらくはきちんと憶えているのだろう。

 いつまで、『そう』であるのだろう。そして自分も、その一部になれるのだろうか。

 そんな事を考えていると、浅葱の眼前がふっと暗くなった。それで自分は視線を下げていたのかと自覚した浅葱は、思わず顔を上げる。


「……君は僕を選んでくれるかい?」

「え……」


 朔羅の顔が、目の前にあった。

 鼻と鼻が触れ合う距離。そこで視線がかちりと合い、浅葱は動揺する。


「――あははっ、すごい顔!」


 次の瞬間には、朔羅が表情を崩して笑いだした。

 それに浅葱は、瞬きをするしか無かった。


「さて、僕は一旦、そっちに戻るよ。ほかのみんなも、戻ったみたいだしね。浅葱さんも午後の授業、まだ残ってるでしょ? 夕方になったら、またね」

「え、あ……う、うん……」


 朔羅が明る声音でそう言いながら、浅葱の頭を撫でてきた。

 うまく、誤魔化されてしまったようにも思えた。

 だから浅葱は、言っておかねばならないことがあった。


「――朔羅、僕は……選びたいと……思ってるよ」

「!」


 その姿を消しかけている最中で、朔羅は瞠目した。そして主の表情を改めてみると、浅葱は少々頬を染めながらも、しっかりと笑みを作っている事を確認して――その場は、符へと戻るしかなかった。


「……あれ? 今の僕の言葉……なんか、告白みたいだった……な……」


 廊下に一人残された形となった浅葱は、脳内で反復した自分の言葉を再確認して、今度こそ頬を真っ赤に染めるのだった。

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