第36話 おやすみ
しばらくシャープラーの街を離れる気は無かった。
彼女のお墓が近くにあるし、何より移動する元気が無い。
辺りはもう夕暮れで、歩いて花園へ帰るにもどうせ遅い。
寝る場所は、スレイが見繕ってくれた。
知り合いのお家との事だ。家主は、前に酒場で見た声の大きいオバサンだった。
二階にある一室を借してくれるらしい。
部屋の中は広かった。木張りの壁と、ベッドもある。
窓際にはプランター。丸く可愛らしい顔の花が咲いている。綺麗に掃除されていて、客人のために物をどかしたらしく、やけに整理されていた。この前泊まった宿屋さんのような部屋。
眠りを誘う穏やかな雰囲気がわたしを包んだ。
「人喰い魔女を倒した最高の英雄様だ。もてなすさ。あーあーあー、それとだな。アリガトよ。お前がいなきゃ死んでたな。俺は」
「んー。別に」
珍しく、スレイが気を使っている。なんか不気味だ。
次にオバサンが声をかけてきた。
「大変だったね。えーっと、お嬢ちゃん。お名前は何ていうの?」
「チビネラだ」
「フィオネラです」
疲れてるし、呆れて悪口も言えない。
片腕は減っても口の減らないヤツだ。
「アンタはどいてな怪我人。さて、ヨロシクねフィオネラちゃん。自分の家だと思って使えばいいからさ」
どこかのアホと違ってオバサンはいい人だ。
それに洋服もくれた。ローブは人喰い魔女に破られて、あんまり裸を隠せていなかった。今はちょっと大きいパジャマを着ている。
もちろん、ボロボロになってもローブはまだ持っている。彼女との数少ない思い出だ。捨てられない。
その様子を見て、さすがのスレイもわたしが相当傷付いていることに気付いたようだ。
「まぁ、好きなだけ休んでりゃいいさ。飯くらいはババァが作ってくれる。食いに下りてこいよ」
「ん」
扉から出ていく背中を見送る。ストンと力が抜けた。
その日の内に「人喰い魔女が死んだ」と知れ渡り、外は大騒ぎになっている。
当然、わたしにとってはめでたい事など何も無い。静かになるまで部屋に引きこもると決めた。
街に顔を出して、何も知らない人達に英雄だとか囃し立てられたくはない。
ここにいれば、ひとまずその心配は無い。本当に助かった。
「さて、と」
一度休みたいけど、やることもある。
オバサンとスレイにたくさん本を貸してもらった。特に重要なのは『花の本』だ。
調べものをするために借りた。目的は眠りを誘う花。
記憶を取り戻すのはいつも夢の中と決まっている。だからたくさん寝る必要があった。
よく眠れる香りの花など見つけて、花の魔法の力をより有効に使おうと考えた。
彼女が残してくれた時間を無駄に出来ない。早く全盛期みたいに歪の魔法を使いこなし、人間に戻らないと。
そのためには、どんな花を咲かせて使えば良いか、調べなくちゃいけない。
「ヴァレリアン。薬草か」
エキスを数滴絞って飲むと寝付きやすい、らしい。
苦いのは嫌なので香りでどうにかならないだろうか? とりあえず、窓際のプランターを借りて咲かせてみる。
「うーん、匂い微妙……ていうかちょっと、変な香りかも」
どちらかと言うと臭いかもしれない。寝るのには向いてない。素直にエキスをもらって、水と一緒にいただいた。
花の魔力を込めたから、効き目は良いはずだ。
「他に必要なのあるかな……あ、この花」
本をめくり、目に止まったのは髪飾りにあしらわれていた花だ。彼女へのプレゼントとして買った、あの髪飾りの花を見つけた。
「白百合」
白く、先の反り返った六つの花びら。大きく咲いた花は全て横かやや下向きに咲いている。不思議と、こちらへ語りかけるような存在感があった。白百合というらしい。
綺麗な花だ。
白百合にまつわるお話も紹介されている。
その昔、聖女は天に召された。
しばらくして、とある不信心者が彼女の棺を開けてしまう。
しかし肉体はそこに残っておらず、代わりに溢れるばかりの白百合があるはかりだった。
というお話だ。
このお話が何を意味しているのかよく分からなかったけれど、どこか美しい印象を受ける。
花の名前と、それにまつわる物語を知ることができたが、素直に楽しむことはできなかった。
本なんかより、彼女に教えてもらいたかったな。
そんなことを思う。
「これは……ワスレナグサ?」
記憶に関係しそうな名前に、思わず手を止めた。
わたしを忘れないで。と意味を込めて呼ばれているらしい。
花に関する話も添えられていた。
ある恋人同士の、死に別れの物語だ。
彼女のために水辺の花を取ってやろうと、恋人が手を差し伸べる。しかし不幸にも川に落ちてしまい、そのままどんどん流されてしまう。
最後の力を振り絞り、恋人は青い花を岸に投げ入れた。
そして「わたしを忘れないで」と叫び、恋人は渦巻く水に姿を消してしまう。
「死に別れ、か。この人たちも悲しかったよね、きっと」
どこか今の自分と重なってしまう。わたしの場合は花じゃなく、花の魔法をもらった。それと他にもたくさんもらっている。
「"
忘れるわけがないけれど、魔法でその花を呼び出した。
何気なくそうしただけだけど、想像以上の衝撃があった。
「ニア?」
彼女が生き返った。
一瞬そう思ったけれど、やっぱり気のせいでしかなくて。
そこにあったのは、プランターに新しく咲いた青い花だ。
色が彼女の瞳に似ている。だから生きていた頃の姿を鮮明に思い出させたのだろう。
「ふふ。本当に、名前の通りだね」
びっくりしたけれど、「ずっと側にいるよ」と、そう言っているみたいでホッとする。
彼女にもらった力で発現した、特別な花だ。
だから、全部が錯覚ってわけじゃない。きっとわたしの中に確かに彼女は居て、花として現れてくれたのだ。そうしてずっと、見守ってくれている。
そう考えると、少し救われたような気持ちになれた。
「……ありがとう」
一言だけつぶやく。眠たくなってきた。もう寝ることにしよう。
ベッドの横にワスレナグサを置いて、温かい布団の中へ。
一人だけど、誰かが一緒にいてくれている気がする。
悪巧みを思いついた。手を伸ばして借りた絵本を引き寄せる。
寝る前に本を開いたりすれば、普段なら怒られる。「もう眠る時間だよ」って。でも声が聞けるなら、それでもいい。
絵本を読み始めて、怒る声は聞こえなかった。
でも本に焦点をあわせると、ボヤケた向こうの景色に彼女が見える気がした。「しょうがないな」と、困ったような顔で子供を見ている。
イタズラ成功だ。やめさせたいなら手を出してみればいい。わたしはそれを望んでもいる。
彼女に目線を向けるときっと消えてしまうから、絵本の話を読み込んでいく。
すぐ、ウトウトして。内容は、曖昧で……だめ、寝ちゃいそう。
けれど、あぁ、なんて……落ち着くんだろう……
……お母さんは、いいました。
「今日は一緒におでかけね」
主人公の子供は、どこかへとびだして。
勝手に冒険して。
そんなだから、危ない目にあって。
でも最後には、お母さんが助けに来る。
安心したように、我が子を抱きしめて。
「愛してるわ。大事な、わたしの子」
ほんの少し、目が覚めた。
どこかで見覚えがある。
これは、わたしが夢でみた、ママとの記憶だ。
ママの事が、絵本に描かれている?
違う。そんな不思議な事が起こっているわけじゃない。
記憶を失う前に、この絵本を読んだことがあるのだ。
夢で思い出していたのは、この絵本の物語。
これまで夢で見ていたのは、ママとの記憶じゃない。
じゃあ、本当のママの記憶はどこ?
分かんない、けど。
まぶたが重い。
でも、いいのか。このままで。
寝れば、思い出せるん、だから。
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