第9話 刃の魔法使い
山から下る林を抜け、街を囲む高い壁がわたし達を出迎えた時、そこで最初に出会ったのは人喰いだった。
街へと続く道を歩みだしたとほぼ同時、林の別の出口からそいつはひょっこりと現れた。
「……さかな?」
「さかなっぽいけど、人喰いよ……!」
さかなっぽい人喰いは、ブクブクと円柱形のお鍋みたいに太って、林の木々と変わらないほどの高さまで成長していた。鱗はないが代わりにヌメヌメと表面を湿らせている。エラの中から長い触手をたくさん生やし、豪華なドレスのように地面に垂らして引きずった。胸ヒレや尾びれは魚のそれと言うよりも、オットセイのように変化し、胸ヒレの方は身体を支えるためか全長以上に長く、幅も広めに発達していた。歩き方もオットセイのやり方にそっくりだ。
口は上に向いて、常に半開きになっているので間抜けに見えるが、その奥に見える口内には小さく鋭利な歯がビッシリ生えている。丸呑みされたら全身一度にズタズタにされそうだ。
目は人喰いの例に漏れず肥大化して赤くギラギラと光っており、ただでさえ考えの知れない魚の目玉を余計不気味に思わせた。
かなり動きが鈍く、そのまま離れさえすれば逃げられそうだけど……。
「フィオ、先に街の門の方へ下がってて」
「へっ? でも……」
「お姉ちゃんは大丈夫。分かるでしょ?」
自信の込もった強い言い方だった。いやいや、そりゃニアは強いかもしれないけれど、魔法使いとしては十分な力があるかもしれないけど、人喰いを任せて一人離れるなんて。ウンとは言えない。
「今すぐ離れてくれなきゃ今日のお出かけは無し」
「分かった。すぐ来てね!」
しょうがないしょうがない。お楽しみを盾にされたら何も言えない。ゆっくりしてもいられない。先に街の門に向けて走る。
……さすがに心配は要らないよね。前に襲われた、大きなクマの人喰いだって一瞬で倒してしまったのを見たし。花の魔法が攻撃の時どう振るわれるかよく分からなかったけれど、ものすごく強いのは間違いない。
ニアが口笛を吹いて人喰いを呼ぶ。見ると、その手にナイフを一本だけ掴んで向かい合っていた。
「あれ? 魔法で倒すんじゃ……」
小さな刃物一つで立ち向かおうとするニアに違和感を覚え、思わず足を緩めて様子を眺める。なぜ魔法を使わないのか。彼女がそうする理由をわたしはすぐに理解した。
「門のとこ、人が立ってる」
高い壁が囲む街の、外と中をつなぐ門、そこに門番らしき兵士が二人立っていた。考えてみれば、いくら壁が街を守っているからと言って、人喰いが出た時のために門番を立てるくらいのことは当然する。
そしてニアはここへ来る前言っていた。『私達が魔法使いだということは秘密にしよう』と。
門番の位置からは、人喰いと向かい合うニアの姿がばっちり見える。
「ニア……!」
まさか、いくらバレたくないからと言って、人喰いと出くわしたこの状況でも魔法を使わないつもりなのか。
心配に胸がざわつく。口笛にさそわれた人喰いがノッソリとした動きで、ニアに迫っていった。
「ボォオオオ……」
重い声をあげて、人喰いがエラから垂れた長い触手の一本を、ムチのようにビュンと振り回した。ニアが地面を蹴って飛び上がり、素早いその一撃をかわす。ビチンッと高い音がして、ムチが地面の土を薙ぎ払った。
次に、左右から触手が一本ずつ振り出される。右のムチをかがんでかわし、左のムチは手に持ったナイフで断ち切った。切り離された触手がクルクルと水平に回転しながら飛んでいく。次は三本同時、その次は四本同時。攻撃が繰り返されるたび、振るわれるムチの本数は増えていく。ニアはそのことごとくを、身をかわし、ナイフを操りしのいでいく。
「すごい。ニア、あんな風に戦えたの?」
思っていたのと色々と違っていた。
正直、魔法使いであるニアがこんなに動き回って人喰いと渡り合えるなんて意外だ。てっきり魔法で戦うしか出来ないと思っていた分、肉体派な戦い方もこなすニアの器用さに感動した。
しかし、これじゃ時間を稼ぐことは出来ても、人喰いを倒すことなんて出来ない。そこまでしてどうして魔法を使わないのか。
その理由は、後で分かった。
「おーおーおー。あのネーチャン普通の人間の割にすっげぇ動けるなぁ。女の子があんなになるまで鍛えちまって、本人は幸せなのかねぇ?」
突然、間近に男の声がした。
若い男の人だった。普通の男の人より、さらに高いと分かる長身。短い銀髪に、ハッキリした顔立ちと、目は刃のように鋭い切れ目。身につけた防具は鉄の胸当て、すね当て、小手くらいのもので、門番の兵士さんのものより簡単で少ない。
そして、彼はその長身と比べてもさらに不釣り合いな程大きく長い剣を片手で握り、相当な重さのはずなのに軽々と肩に担いでいた。
「門番の連中に呼ばれて来てみりゃあよ。面白そうな客人じゃあねぇか。嬢ちゃんもあのネーチャンが心配か? ん?」
心配と言われればそうだけど、この人はなんなのだろう?
正体不明の男の人は、背の高さも相まって目を合わせただけで圧迫感を覚える。怖いのでコクコクとだけ首をうなずくのが精一杯だ。
「んーんーんー。そうだよな。人喰いに誰かが食われるとこなんて、誰だって見たくねぇよなァ? 安心しな。俺が二人まとめて幸せにしてやるって」
幸せがどうとか、よく分からないことを言いながら、男の人が、いっそ巨大とも言える大剣を構えた。
両手でしっかりと握り込み、腰を落として刃を肩から浮かせる。
「ふぅ――…………」
一つ、長く息を吸うと、青い魔力らしき光が湧いた。手首のあたりから手のひらへ、手のひらから大剣の全体へと、青い魔力が行き渡る。
わたしが、ヒズミの魔法を使う時とそっくりだった。
そうしている間に、人喰いは中々ニアを仕留めきれず業を煮やしたのか、たくさんの触手を一度に振りかざした。左の触手の束が振るわれる。ニアは大きく一歩飛び退いてそれをかわす。
続けて右の触手の束が襲いかかる。ムチのようにしならせて、これもニアが難なくかわした。と、思われたその時。
バチィン! となにかが破裂するような音がして、ニアが後ろへ吹っ飛んだ。
「うそ……! ニアァーー!」
当たったのかどうかはよく分からない。けれど、触手をムチのように振るって引き戻される瞬間、ビリっと衝撃波のようなものが出て、離れたわたしの顔まで届いたのを感じた。
その衝撃波を間近に食らったのか。さすがのニアも、片目をつぶって尻もちをつく体勢になる。
「……切り刻め」
それとほぼ同時に、男の人が大剣を振るう。子供が棒を乱暴に扱うように、巨大な大剣を一文字の形で軽々と振り切った。
剣先から、目に見える斬撃が飛んだ。大きく薄いそれは鳥のような速度で人喰いへと迫っていく。
キィンという鉄の鳴るような音がして、斬撃は人喰いのエラより少し下へ、その胴体を上下に二つに切り分けた。
直後に、切り裂かれた人喰いの身体がさらに細かい斬撃を大量に浴びたように刻まれていく。大きいサイコロ状のブロックに分けられて、噴水のように赤い血を撒き散らした。
その生死はもう、バラバラの破片から明らかだった。
「あーあーあー。思ったより柔かったみてぇだなァ。見た目の割に貧弱なやつだァ」
「助かった……。ニア!」
人喰いが死んだのを確認して、ニアへ駆け寄る。
「あはは、ちょっと危なかったかな……」
「ホントに危なかったよ! あの人喰い、あんな衝撃波みたいなの出す技持ってるなんて。なんで魔法使わなかったの?」
ふっ飛ばされるのを見た時は本当に心配した。問いただすと、ニアが人差し指を口の前に添え、シーッとたしなめて。
「こういう大きい街なら、絶対魔法使いがいて人喰いを退治してるものよ。だから時間さえ稼げば大丈夫だと思ってね」
「……いや、考えは分かったけどさぁ」
たかが秘密一つ守るために無茶しすぎだ。怒りたいやら安心したいやらで、なんだか目が潤む。
そんなわたしの様子に気付いて、ニアは困ったように頭を撫でた。
「いやいやいや、感動だねぇ泣けるねぇ。助かって良かったなぁお二人さん」
男が近寄る。なんだか、軽い言い方だ。
まるで、本当は人が助かったことなど大して興味ないように。ため息まじりにそう漏らしながら、男の人がこちらへ近づいてきた。
「なぁー。あんたら今幸せか?」
また、よく分からないことを言い出した。
「……へ?」
「……」
どういう意味の質問か分からない。ニアが助かって、とりあえずホッとしたけれど。
ニアは特に怪我も無いようだったが、正体不明の男の出現に警戒してか、尻もちの体勢から無言で彼を見つめていた。
「助けてもらって幸せかって聞いたんだよ。幸せすぎて泣きそうか? 安堵で腰が砕けたか? スリルで頭が痺れたか? 震えて感謝の言葉もねぇか? バケモン死んでせいせいしたか? 力が抜けて漏れそうか? そうなら大変結構だ! 幸せをより強く感じ取れる人間こそ、この街にはふさわしい。歓迎するぞ、か弱く多感な客人ども」
……一息にそう言うと、男の人はニアへと右手を差し出した。その手を借りて立ち上がる。
「自己紹介だ。俺はこの街、シャープラーを守っている。『
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