日記
衿
第1話子どものままの大人
私は大人で、自分が子どもっぽい性格をしているということに気づいたのは、つい最近のことだ。私はどうやら、ずいぶんと根に持つタイプらしい。
私は、学校で先生から言われた嫌なことを、ずっと覚えている。
「お前はおかしい」
「お前は変だ」
「こんな子ども、見たことない」
「親にどんな教育を受けてきた」
「いいか、お前のことを知らない生徒に、お前のことを悪く言って、
お前のことを、嫌わせてやるからな」
「お前は、社会で通用しない。社会に出られない。誰からも嫌われる。
お前は、誰からも認められない」
「お前は何もわかっていない」
私は、学校で生徒から言われたことも、ずっと覚えている。
「君って、変な子」
「なんか、変わってるね。『天然』ってやつ?」
「周りからもさ、変って言われない?」
「もういい。行こ」
「ひそひそ、ひそひそ」
「ひそひそ、ひそひそ」
「ひそひそ、ひそひそ、ひそひそ」
ひそひそひそひそひそひそひそひそヒソヒソひそひそひそひそひそひそひそひそヒソ……。
子どもの生徒の方が、大人の先生より知っている言葉は少ないはずなのに、
子どもの生徒の方が、大人の先生たちよりも直接的な物言いをしなかった。
その代わり、生徒たちは私の周り、私のすぐそばで、私には聞こえない音量で、けれども確実に私を見ながら、何かを話していた。
聞こえていないとでも思っているのだろうか。
聞こえていなくともわかっていると知らないからなのだろう。
私はきっとおかしい人間なのだろう。子どものころからさんざん変だのおかしいだの言われてきた。ほんとうに私がおかしいのかどうか、今更検証しようとは思わない。私には何もわからないのだから、やってみてもわからないままだろう。
先生に怒られてひどいことを言われたこと、学校で同い年の生徒たちに避けられたこと、この2つは、学校を卒業した今でも、たまに夜などに思い出される。
その度に恐怖が呼び起こされて涙が流れてくるのだが、同時に、
「あのことは子どものころのことなのに。過去のことなのに。
どうして今になって思い出すのだろう。どうして覚えているのだろう。
どうしていまだに許せていないのだろう。
そんなに気にすることではないはずだ」
と泣いている自分のその行いに異を唱える自分もいて、
「自分はなんと子どものままであることか」と、自分を叱って。
それでまた涙を流すのだ。
私は学校のことを決して忘れない。
恨みはないけれども、あの恐怖が今の私の個性を形成したのだから、
記憶がこの先薄まっても、完全になくなることはあるまい。
けれどもそこに意味はない。
この先あの嫌な思い出を完全に忘れても、もしくは完全に覚えていても、
特に意味はない。
なぜなら私には関係のないことだからだ。
私は大人であり、子どもである。
子どものころは「大人のような子ども」といわれ、
大人になってからは「子どものような大人」といわれる。
私は大人であり、子どもなのだ。
そこにも特に意味はないが。
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