覚悟と誠意と根性と努力のはなし

 20代後半の愚息がいます。

 いやまあ、わたしが産んだわけでも育てたわけでもないんですけど、でもうちの長男です。

 自分ちの子なのでボロクソ言いますけど、これがまた本当に書いて字の通りの愚か者でして、ほとほと手を焼いています。

 情けないのと恥ずかしいのであれこれとは書きませんが、本当に成長しない。

 子どもって本当に本当に、親から見ればいくつになっても手がかかるもんですね。


 わたしは長男の他に、彼の同年代で似たような阿呆をふたりほど知ってまして、つまりわたしの周りには20代後半の出来損ない男女が3人もいるんですよ。

 勘弁してくれよ……。

 因みにひとりは前記事に書いた学校の担任。

 もうひとりは幼稚園の先生です。


 あ、前記事の担任の話題ね、やっぱりちょっとまだ具体的には書けないんだけど、なんか急転直下の大騒動があって、学校側がこちらの要望をほぼ丸々聞いてくれたので、しばらく様子見することになりました。

 たーくさん話しをして、実際に問題児、あ、担任、でも問題児でいいや、うちの子と似てるし、も、見て、わたしもちょっと考えを改めました。

 あれはねぇ、サイコパスではないわ。

 ただの本物の阿呆。


 わたしもなんだかんだ人の親だからさ、自分ちの長男と重ねてしまう部分っていうのもあったわけよ。

 うちの長男については、もう随分と匙を投げてしまっているところもあるんだけど、やっぱりふたりを重ねてしまってね、本人自身がどうにかならんもんかと、ちょっと考えてしまいました。


 彼らの共通点っていうのがいくつかあってね、ひとつが、まず自分以外の人間に対して否定から入る。

 自分と違うものは認められない、できないほうが悪い。っていう考え方。

 もうひとつは、自分の失敗を認めることができない。

 仮に反省と後悔をしたとして、でも肝心のその先がないの。

 あとはね、自分ではなんでもちゃんとできるつもりでいるんだけど、その実傍から見てると、ひとりではなにひとつ満足にできてない。

 でもそれも認めることができない。

 小学生と同じなんだよね、自尊心以外のなんにも持ってない。

 なーんにも成長できてないの。

 心が弱い。


 そもそも、なーんでそんなことになってしまうのか。

 うちの長男は抑えつけられて萎縮して育ったらしい。

 あとのふたりは知らん。

 同じかもしれないし、反対に、ひたすら甘やかされて育ったかもしれない。

 ずっと誰かの手を借りることが常で、ひとりでなにかをやり遂げたことがないのかもしれない。

 そこは想像の域を出ないんだけど、ひとつ明確に言えるのは、それらの状況を自分で考えて打破しようとしなかった自分の怠惰が全ての原因であるということ。

 十二国記のさ、鈴ちゃん分かる? あれよ。

 エヴァンゲリオンのさ、シンジくんいるじゃない。あれよ。

 あれらはフィクションだから、まだ先に未来が見えるんだけど、現実はそう甘くはない。

 あんなに親身になって助けようと、手を差し伸べようとしてくれる人は、社会にはほぼ居ないんだよ。

 わたしだってそう。

 なんとかしたいと思うよ、でも本人にその意志がないならそれ以上はどうにもならない。

 そこを理解しないから、彼らは先に進めない。

 残念なことだと思う。


 わたしなんて見てみ?

 手助けなんてほぼほぼもらえなかったから、自力で目の前の問題に立ち向かうしか手立てがなかったべ。

 助けてくれるのは、足掻いたあとの本当に窮地に立ったあとだけよ。

 小遣いも「一万円引く携帯料金」の差額だったから、自分の努力次第で毎月の金額が変わるし、バイト始めたら仕送りは打ち切られるし、一人暮らしの様子なんて一度たりとも見に来たことはないし、自分の努力がないと生きていけない環境下だったわ。

 彼らにはきっとそれがなかった。

 与えられるのが当たり前で、だから自分で考えたりする力が育たなくて、頑張るっていうのがどういうことなのかを知らない。

 言われたことしかできない。

 心が弱いから根性がない。

 ふわふわした根無し草。

 中身空っぽ。

 すっかすか。

 でもその自覚がない。


 生きていくためには覚悟と誠意が必要よ。

 それは人に対するものではなくて、まずは自分自身に対して持ってなきゃいけないもの。

 自分への、覚悟と誠意よ。

 それがあって初めて人を認めることができる。

 自分がやりたいと思ったことを貫く覚悟。

 自分に嘘をつかない誠意。

 それらが背骨に存在することで、初めて地に足つけて前を見て歩くことができる。

 それらを植え付けるのは親の責任でもあるけど、でも結局最後は自分の責任よ。

 自分で生きている中で気づかないといけない。

 与えられていては意味がない。

 彼らは自分に対して責任がない。

 覚悟と誠意がない。

 だから反省と後悔のそのあとがない。

 だから成長しない。

 困ったもんです。


 彼らは自分の失敗は忘れるけど、人の失敗は忘れないのよ。

 でもそれではつまらん。

 人の欠点を見つけるなんて簡単よ。

 人に文句を言うのも簡単よ。

 でもそれではつまらん。

 自分を見つめること、自分の弱さを認めること、視点を変える努力、自分を変える努力をして初めて中身の詰まった人間になる。

 それに自分で気づかないといけない。

 あの阿呆どもだけじゃなくて、それは誰にとっても同じこと。

 自分でやったことも、やらなかったことも、全てが自分に返ってくる。

 今の自分の現状は自分の行動の結果よ。

 それを他人に責任転嫁してはいけない。

 自分の責任は自分にある。


 彼らも死ぬまでにそれに気づけばいいけどなぁ。

 一度谷底に突き落としてみたらいいんじゃないかと思うんだけど、彼らはその打開策を考える力がないから、早々に諦めて人を恨みながら死んじゃうんだろうなぁ。

 哀れだ。

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