5-17 帰還と準備 (1)

 その後、マーレイさんのありがたい長い無駄話からなんとか逃れた私たちが向かったのは、レオノーラさんに紹介してもらった皮革素材を扱うお店。

 ここで買うのは防寒着に使うための毛皮である。

 一般的に防寒着として人気なのは、その光沢や色、防寒性能などから狐や鼬だが、如何せんこれらの毛皮はとても高い。

 一部の魔物素材ほどじゃないけれど、庶民には高嶺の花で、見栄を張る必要がなければ選択肢には登らない。

 なので、今回私が選ぶのはコスト最優先の羊。

 狐などと同等の防寒性能を出そうと思うと、外見がちょっとモコモコになっちゃうのが難点だけど、私たちが行くのは冬山で、金持ちの集まるパーティー会場じゃない。

 躊躇なく羊の毛皮を買い込んだ私たちは、それを抱えてレオノーラさんの所へ帰還、大慌てで出立の準備を整えていた。

「もう一泊ぐらいしていけば良いのに」

「ありがたい話ですが、あまり余裕もないので……」

 お願いしておいた素材を並べつつ、レオノーラさんがそう言ってくれるが、私はそれに首を振った。

 期限を切られていないとはいえ、殿下の依頼はできるだけ早く終わらせておきたいし、今の状況でお店を留守にしているのは少々不安。

 ケイトさんが残ってくれているから、滅多なことは起こらないとは思うけど……。

 そんな私の感情が表に出ていたのか、フィリオーネさんは眉根を少し寄せ、顎を手で擦った。

「カーク準男爵? 私たちも周辺をちょっと探ってみたんだけど、少しきな臭い感じがしたわね」

「詳細は判らなかったんだけどねぇ。ちょっと不確定情報が多いんだけど、これ、保険として使えるかもしれないから、渡しておくね」

 そう言ったフィリオーネさんから差し出されたのは、少し大きめの封筒。

 厚みからして、数十枚ほどの紙が入っていそうな感じかな?

「ありがとうございます。助かります」

「あまり過信はしないでね? 私たちがカーク準男爵をヤるには不足と判断した情報だから」

「……了解です」

 賢明な私は、微笑むフィリオーネさんに何を『ヤる』つもりなのか訊いたりはせず、ただ頷く。

 私たちには優しげな顔しか見せていないけど、レオノーラさんのパートナーだもんね、フィリオーネさんも。

「サラサ、買い忘れはない? 素材には多少余裕を持っておいた方が良いわよ?」

「大丈夫です。おかげ様で、多少なら失敗しても大丈夫なだけを揃えられましたから」

 レオノーラさんに予想よりも高く錬成具アーティファクトを買ってもらえたので、追加で必要になったロレアちゃんの物を作っても、十分な余裕を持てるだけの素材を買うことができた。

 必要なのはそこまで難しい錬成具アーティファクトじゃないし、たぶん大丈夫だとは思うけど、多少なら失敗しても素材が足りなくなることはない。

「店長殿、積み込みが終わったぞ」

「ありがとうございます、アイリスさん」

 私たちが話している間に積み込みしてくれていたアイリスさんにお礼を言い、私とアイリスさんは改めてレオノーラさんたちに向き直った。

「それではレオノーラ殿、今回はお世話になった」

「フィリオーネさんも、美味しいご飯、ありがとうございました」

「ううん、またいつでも来てね。普段はノーラと二人だから楽しかったわ。これ、お弁当。途中で食べてね」

「わぁ、嬉しいです!」

「フィリオーネ殿の料理は、そのへんの屋台で買うよりずっと美味しいからな」

「ありがと。でも、大した物じゃないから、あまり期待しないでね?」

「サラサ、もしどうしてもお金に困ったら連絡しなさい。サラサが持っている錬金術師たちの債権、ある程度ならこちらで買い取れるよう、現金は準備しておくから。状況次第ではアイツらから回収しても良いし」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ、私の借金相手は師匠ですし」

 ヨク・バールから回収した債権に関しては、レオノーラさんと私の間で、ひとまず一年間は返済を猶予して様子を見ることに決めている。

 その一年後の頑張り次第で、低利で長期の返済計画を立てるなり、高利で短期にするなり、更にお金を貸して奨励するなり。

 あまりに酷いようなら、やや強引にでも貸し剥がすこともあり得る。

 その頃に余裕があれば、レオノーラさんとともにその錬金術師たちと一度会ってみたいところだけど……どうだろう? ロレアちゃんの成長しだいかな?

 どちらにしろ、今の段階で強引に借金を回収するつもりはない。

「それにレオノーラさんのおかげで、当座の運転資金は手に入りましたし」

 レオノーラさんへの売却代金が入ったリュックをチャリンと揺らし、私は笑顔で両手をぎゅっと握る。

 なんと言っても師匠の場合、物納が可能。

 しかも、この辺りの素材を送れば王都の相場で買い取ってくれるのだ。

 その上、素材を送るだけなら、消費されるのは私の魔力だけ。

 師匠に負担を掛けずに済むので、気兼ねなく転送陣を使える。

 借金の返済の条件としては、とても有利な相手なのだから、これで返済できないようでは商売人としてダメだろう。

「――まぁ、ノルドさんみたいなイレギュラーがなければ、ですが」

「安心して。アイツが来ても、ヨック村には行かせないから」

 付け加えた私の言葉にレオノーラさんは苦笑しつつも、しっかりと請け合ってくれる。

 これで安心――とも言えないか。

 レオノーラさんの所に寄らず、直接私の所に来たら無意味だし、ノルドさんはフェリク殿下とも知り合いの様子。

 これからもトラブルを持ってきそうで……。

「そういえばレオノーラさん。ノルドさんってフェリク殿下と知り合いのようなんですが、ご存じでしたか?」

「フェリク殿下って、この国の第一王子のフェリク殿下? それは初耳ね」

 少し驚いたように眉を上げたレオノーラさんに対し、フィリオーネさんはどこか納得したように頷く。

「あ~、なるほどねぇ。上の方と繋がりがあるとは思ってたんだけど、そこまでだったかぁ」

「フィー、予想してたの?」

「あんなトラブル体質――いや、自分でやってるからちょっと違うかも? ま、あれだけやっても無事って時点でね。フォローする人がいると思ってた」

「「「なるほど……」」」

 とても納得のいく説明に、フィリオーネさん以外の私たち三人が揃って頷く。

 貴族且つ、採集者であるアイリスさんたちは特殊としても、かなりの確率で他の貴族にも迷惑を掛けているはず。

 にも拘わらず、研究者を続けられている時点で、殿下のフォローが入っている可能性はかなり高そうだよね。

「……ま、ノルドさんがまた来たら、天災と思って諦めます。フェリク殿下が絡むと、どうしようもないですし」

 王族なんて、私からすれば正に天災。

 諦める以外にやりようがないのだから。

「それじゃ、そろそろ出発しますね。今日中に着きたいので」

「えぇ、気を付けて。荷車を牽きながら今日中にヨック村まで帰るとか、ちょっと非常識なんだけど……アイリス、あなたも大変ね?」

 私には呆れたような視線を、アイリスさんには同情するような視線を向けるレオノーラさん。

 そんな視線を向けられたアイリスさんの方は、否定することもせず苦笑する。

「ははは……幸い、身体強化には適性があったみたいでな。なんとか付いて行けているよ。大半は店長殿が荷車を牽いているから、自慢にもならないんだが」

 むー、そこまで無茶をせず、配慮してたつもりなんだけど。

 あ、そうだ。

「いえいえ、アイリスさんは頑張っていると思いますよ、身体強化を覚えて日が浅いことを考えれば。素質もあると思いますが、努力の結果です。凄いです!」

「そ、そうだろうか? えへへ、そんなに褒められると照れるな」

 思った通り、ちょっと良い気分になってはにかむアイリスさんの背中をポンと叩き、私は荷車を牽いて歩き出す。

「ですからその調子で頑張りましょう。それでは二人とも、お世話になりました!」

「あ、え、あぁ、うん。世話になった!」

 慌てて私のあとを付いてくるアイリスさんと、苦笑しながらも手を振って見送ってくれるレオノーラさんとフィリオーネさん。

 そんな二人に私も手を上げて返し、私たちはやや足早に門へと向かった。


 レオノーラさんのお店を出たのは昼に近かった。

 この町に来たときには、早朝に出て到着したのは夕方近く。

 同じ時間がかかるならば、道中で一泊は必要。

 しかし、荷車に載っているのは毛皮と錬金素材。

 当然ながら錬成具アーティファクトに比べれば破損のリスクは小さく、重量も軽い。

「つまり、来た時よりも速く走れるってことですね、アイリスさん。日が落ちる前に帰りますよ。頑張れますよね、努力家のアイリスさんなら」

「やっぱりなのか!? この時間に出発する時点で予想はしていたが……えぇい! やる! やってやる!」

「その意気です! アイリスさんならできます!」

 キリッとした表情で決意を述べるアイリスさんを私も激励。

 だけど――。

「でも、ちょっとだけ、手加減してくれると嬉しい」

 少しへたれた。

「ええ、もちろん無理はしません。――ギリギリは狙いますが」

「……ん?」

 ポソリと呟いた私の言葉を聞き咎め、小首を傾げたアイリスさんをその場に残し、町の門を出た途端に荷車を引っ張って走り出す私。

「あ、店長殿! 何か気になる言葉が――」

 何か言っているアイリスさんをサックリと無視して私が走り出せば、彼女も慌てて私の後を追って走り始めた。

 実際のところ、今のアイリスさんの身体強化のレベルだと、今日中に帰るだけならそこまで大変じゃない。

 であれば、まだ半日以上あるのだから。

 でも夜遅くなるのは、あまり嬉しくない。

 夜の街道が危険なのもそうだけど、どうせなら夕食はロレアちゃんの温かい料理を食べたいよね?

 ということで、私は頑張った。

 全力を挙げた。

 アイリスさんの実力をギリギリまで絞り出すことに。

 そしてそれはしっかりと成果を上げ、私たちは無事、その日のうちに家に帰り着き、ロレアちゃんの夕食に与ったのだった――私だけは。

 アイリスさん?

 アイリスさんは、『食べる気力もない』とか言って、そのまま寝ちゃった。

 勿体ないよね、ロレアちゃんのご飯、美味しかったのにね?

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