002 研究者の来訪 (1)
そんなアイリスさんのなんやかんやを措けば、平常運転に戻った私たち。
花嫁云々はロレアちゃんの頑張りで棚上げにされ、私は今日も今日とて工房に籠もり、錬金術に邁進していた。
そこに顔を見せたのは、少し困ったように眉を寄せたロレアちゃんだった。
「サラサさん、今、ちょっとよろしいですか?」
「ん……? 良いよ、何かな?」
時間的にはまだお昼前。
ご飯ができた、と呼びに来るとき以外、あまり工房へは顔を覗かせないロレアちゃんの姿に、私は手を止めて彼女に向き直った。
「お邪魔してすみません。実はサラサさんを訪ねて、お客さんが来られて……」
「お客さん?
普通の
でも、さすがに
注文自体が少ないから、これも滅多にないんだけどね。
「いえ、残念ながらそうじゃないと思います。レオノーラさんの紹介状を持っている、と仰っていましたので」
「レオノーラさんの? それは、会わないわけにはいかないね」
レオノーラさんとは持ちつ持たれつの関係……いや、どちらかといえば、持たれる方が多いかも?
そんな相手からの紹介状となれば、やはり配慮は必要。
「ちょっと待ってもらってて。ここを片付けて行くから」
「解りました」
錬成途中で放置はできないので、問題ないところまで作業を終わらせ、手早くその場を片付けた私は、店舗スペースへ向かう。
そこで待っていたのは、眼鏡を掛けた二〇代半ばほどの男性だった。
灰色がかった赤毛は、短めながらややボサボサ。
着ている服も実用性重視で丈夫そうながら、やや草臥れている。
細身ながらかなりの筋肉質、顔の造形自体は整っていて、素材は悪くないけど……身だしなみがちょっと残念。
採集者って感じじゃなさそう、かな――?
「お待たせしました」
「いやいや、ボクの方こそ、突然訪れて申し訳ない」
出てくるまで少し時間がかかった私に、彼は気を悪くした様子も見せず、笑みを浮かべてそう応えた。
「ありがとうございます。えっと、それで今日はどのような?」
レオノーラさんの紹介ということは、まさか
私の腕がレオノーラさん以上だなんて自惚れてはいないし、協力関係にはあるけど、お客を廻してもらわないといけないほど、困っているわけでもない。
不思議に思って尋ねる私に、彼は懐から取り出した封筒を差し出した。
「取りあえず、これが紹介状。読んでもらえるかな?」
「はい、拝見しますね」
開いてみれば、そこには確かにレオノーラさんの署名。
真贋が見分けられるほど詳しくはないけれど、必要なら後で共音箱を使って確認することもできる。
「――なるほど、研究者、ですか」
「そう。魔物の研究をしている、ノルドラッド・エヴァンス。ノルドと呼んでほしい」
紹介状に書いてあった内容を簡単に纏めるなら、『知り合いの研究者だから、可能な範囲で手伝ってやってほしい』というもの。
レオノーラさんの知り合いなら、協力するのもやぶさかじゃないけど、同時に『無茶を言われても聞く必要はない』と書いてあるのが、少し気になる。
「ほへー、魔物を研究する人っているんですね」
「数は多くないけどね。その中でもボクは、魔物の生態を研究しているから、更に珍しいと言えるかもしれないね」
少し驚いたように言うロレアちゃんに、ノルドさんは頷きつつ、そんな注釈を入れた。
実際、一般的に魔物の研究というと『魔物の素材を何に使うか』という研究が主流で、中級ぐらいに到達した、少し余裕のある錬金術師が行うことが多い。
これにより、これまではゴミとして捨てられていた素材に何らかの利用方法が見つかれば、それを見つけた錬金術師は、大きな利益と、それに勝る名声を手に入れることができる。
対して、ノルドさんが行っているという魔物の生態の研究は、それ自体はあまり利益に結びつかないため、ほとんど研究されることのない分野である。
「だから、大半の研究者は、お金がある貴族の道楽とか、そんな感じなんだよね」
「となると、ノルドさんも、どこかの貴族様……?」
「いやいや、ボクは数少ない例外さ。しっかりと成果も出しているからね。何冊か本も出しているんだけど、知らないかな?」
どこか得意げな表情で、嬉しそうにロレアちゃんに説明していたノルドさんは、そう言って私の方に顔を向けるけど――。
「すみません、寡聞にして……」
「そ、そっか。――うん、ボクもまだまだってことだね。もっと頑張らないとダメだね」
素直に答えた私の言葉に、ノルドさんは少し落胆したような表情を見せたが、すぐに気を取り直し、笑みを浮かべた。
でも、本なんて高価な物に関して私に訊かれても、困るだけである。
節約生活を送っていた私が、本を自分で買えるはずもないのだから。
私も錬金術師。
一般人よりも魔物に関する知識を持っているし、かなり頑張って勉強したことは事実だけど、それはその利用方法――つまり、素材としての知識に偏っている。
学校の図書館にある本もそっち方面が主体だし、そこに入っていなければ、ノルドさんの本がどんなに売れていても、私の目に触れることはない。
――まぁ、まかり間違っても、魔物の生態に関する本が大量に売れることなんて、あり得ないんだけど。
そしてそれは、ロレアちゃんであっても容易に想像が付くことだったようで。
「えっと、本を出してそんなに売れるんですか?」
「もちろんさ! 最近出した『グライムティースの生態とその秘密』は二八冊も売れたんだ!」
嬉しげなノルドさんの様子に、ロレアちゃんが困ったようにチラリと私を見たので、私は控えめに首を振った。
本の出版形態には色々あるけれど、利益を求めて出す本が二八冊というのはどう考えても少ない。
きっちり端数まで言っているあたりが、妙に生々しい。
もし“錬金術大全”並みに高価だとしても、研究費を考えれば絶対に赤字だと思う。
「あ、たくさん売れても、さすがにこれだけじゃ研究費は出ないから、メインは別だよ? 魔物に関しては、研究費助成制度ってあるんだけど、知らない?」
身近に生息している割に、その生態があまり知られていない“魔物”。
それに関する情報を集めるために王国の採っている施策が、研究費助成制度である。
だが実際のところ、これはそこまで使い勝手の良い制度ではない。
褒賞金という形でお金がもらえるのは、あくまで研究結果として提出した論文に対して。
事前に申請して研究費を貰うことはできないし、貰える褒賞金の額も論文の内容次第で、研究にかかったコストは勘案されない。
つまり、最初に自己資金がなければ研究は始められないし、その結果に対する評価が低ければ、費用の回収すらできない。
とてもではないが生業とできるような制度ではなく、これまで貴族が趣味で行っていた研究の結果を、死蔵せずに公表させる程度の効果しか生んでいない。
「じゃあ、ノルドさんも、お金持ち……?」
「いや、ボクは数少ない例外。これまでの研究で、一度も赤字になったことはないからね!」
得意げに胸を張るノルドさん曰く、あまり費用のかからない研究から始めた彼は、常にかかった研究費以上の褒賞金を受け取り続けているらしい。
「これでも、魔物の生態研究界隈では、それなりに有名なんだよね」
「凄く狭そうな『界隈』ですね、それ」
「……うん、まぁね。一般人は全然知らないよね」
ロレアちゃんの遠慮のない言葉に、ノルドさんは一瞬沈黙し、しぶしぶと頷く。
「専門家のサラサさんでも知らないみたいですけど……?」
「……うん、まぁね。研究者じゃないと知らないよね」
「それって、一体何人ぐらい――」
「け、研究で利益を上げられるって凄いですよね! 普通、損失が出て当たり前なのに」
「だ、だろう!? 提出しても、銅貨一枚もらえない研究も多いんだよ?」
あまり詳しくない私でも、研究者の数が少ないことぐらいは理解できる。
でも、彼も一応お客さん。
なかなかに容赦のないロレアちゃんの追求を遮り、私が話を変えれば、ノルドさんも救われたような表情で話に乗ってきた。
「でしょうねぇ。しかし、何故グライムティースみたいな、超マイナー魔物を……」
一般人は名前すら知らず、知っている人でもあまり興味を持たないような、そんな魔物であるグライムティース。
錬金術でも、それを素材にする物があったかどうか、すぐには思いつかないぐらいにマイナーで使い道に乏しい。
そんな研究でも褒賞金を出しているあたり、研究費助成制度の審査はかなり緩いのか、それとも、それ以上にノルドさんの研究が素晴らしいのか。
けど、せめてもう少し一般的な……いや、名前は知られているけど、生態はあまり知られていないような魔物の研究をすべきじゃないかなぁ?
「うん。それは審査委員会からも指摘されてね」
「あ、やっぱり」
グライムティースの新たな使い道ならともかく、その生態を調査・報告されても、審査する方としても困ったんじゃないだろうか?
生息している場所に行けば、普通に捕まえられる魔物だし。
「だから今回はメジャーな魔物の研究にしたんだ」
「それが良いでしょうね。何にしたんですか?」
そう訊ねた私に、ノルドさんはニヤリと笑うと、その名前を口にした。
「サラマンダー。それが今回のボクの、研究テーマだ」
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