030 エピローグ

「やっと、落ち着いたわね」

「ですねぇ……」

 ここしばらく続いていたドタバタにようやく目処が付き、私とロレアちゃんは店舗スペースでのんびりとお茶を楽しんでいた。

 お茶菓子は、先ほどロレアちゃんが焼いてくれた、ナッツ入りのクッキー。

 トラブル解消のお祝いも兼ねて、やや贅沢にバターと砂糖を使ったそのクッキーは、まだほんのりと温かく、とっても美味しい。

 正直、ロレアちゃんはこれで商売ができるんじゃないかな、と思うぐらいだけど……この村じゃ無理か。

 原価を考えると、村の人ではそうそう食べられないだろうし。

「ロレアちゃんにも、迷惑をかけたね」

「いえ、私にできたのは、店番ぐらいで……」

 恐縮するように首を振るロレアちゃんの手を取って、私はその言葉を否定する。

「それがありがたいんだよ。私の本業は錬金術師。お店を任せる事ができなかったら、他の事をする余裕も無かったんだから。本当に、助かったよ」

「そう言っていただけると、嬉しいです」

 照れたように笑うロレアちゃんを見ながら、私はここしばらくの事を思い返していた。


 斃せたかどうか不安だったサラマンダー。

 翌日、私の魔力が概ね回復した頃を見計らって確認に向かえば、幸いな事にサラマンダーはしっかりと息絶えていた。

 私たちが行った時には、ほどよく半解凍ぐらいの状態になっていたので、その場で不要な部分は廃棄。

 再度完全に凍らせて、その半分ほどはフローティング・ボードに乗せて私が運搬。

 残りはアデルバート様たちの協力を得て、持ち帰ってきた。

 家に辿り着いた時、私は連日の魔力大量消費でヘトヘトになっていたけど、その甲斐もあり、サラマンダー素材の大半は師匠によって買い上げられ、私たちは十分な資金を手にする事ができた。

 それにより、ロッツェ家の借金はきっちりと返済できたわけだけど、全てが順調とは言えなかった。


 結論から言ってしまえば、ほとんど『借金の債権者が私に変わっただけ』に過ぎない状態になってしまったのだ。

 まず、サラマンダーの素材を売った報酬。

 その役割の違いから、さすがに『五人で均等に分配』はないにしても、私としては、ある程度はアイリスさんたちにも配分し、それでトータルの借金額を減らすつもりだった。

 でも、みんな、ほとんど受け取らなかったんだよね。

 アデルバート様には『荷物を運んだ程度で大金を貰う事など、騎士としてできぬ!』と、かなり強く固辞されたし、カテリーナさんは『そもそも、私たちの事情に巻き込んでしまったのですから』と同様の対応。

 アイリスさんたちにしても、『防熱コートや氷結石などの錬成具アーティファクトは全て店長殿が提供した上に、氷結石は私が負担すると口にしている。その上で、私たち専用に誂えた耐熱コートやブーツを貰うのだ。それだけでも十分すぎる報酬だ』と言って、現金として受け取ったのはわずかだった。

 結果、ロッツェ家の借金返済は私の資金から行われる事になり、それが借金の証文として、私の所にやってきた。


 まぁ、それも調停によってお金を取り戻すまで、と思っていたんだけど、残念ながらこちらも、思ったようにはいかなかった。

 私と仲の良かった、侯爵令嬢の先輩の伝を頼って、その方面に強い人を紹介してもらい、調停を申し立てたんだけど、敵も然る者。

 さすがは悪人だけあって、契約書類にはきっちりと細工がしてあった。

 私も専門家じゃないのでよく解らないんだけど、その事もあって、簡単に過払い金を取り戻す、なんてことはできなかったのだ。

 ついでに言えば、きっちりと返済済みだった事も、悪い方向に働いてしまった。

 王としては、直臣の貴族が借金漬けになり、他貴族の陪臣のような状態になるのはマズいが、そうでないのなら、貴族同士の契約にあまり口を突っ込むのも、これまたマズい。

 簡単に言えば、『返済できたんなら良いじゃない?』という話である。

 だからといって、返済をせずに調停に入り、長い時間をかけてやれば良かったかと言えば、そう単純でもなく。

 アデルバート様には『何も問題は無い。感謝している』と言ってもらえたので、まぁ、良かったのかな?

 それに、さすがは侯爵家から紹介された調停人と言うべきか、それともその背後にある侯爵家の威光と言うべきか、そんな状態でもかなり頑張ってくれて、ある程度のお金を取り戻す事には成功した。

 ただそのお金も、調停人に対する報酬の支払いや、調停を申し立てるための費用、こんな田舎から調停に向かうための旅費、王都への滞在費などに消費され、実際に手元に残ったのはあまり多くなく、私への借金返済、そのごく一部にしかならなかったのだ。

 ちなみにアイリスさんたちは今、それらの後始末で一時的に実家の方に戻っている。

 たぶん今日あたり、戻ってくるはずなんだけど……。


 そんな事を思いながらロレアちゃんのクッキーを嗜んでいると、お店の扉が開いた。

「いらっしゃ……お帰りなさい」

「あぁ、ただいま」

「ただいま戻りました、店長さん」

 入ってきたのはアイリスさんとケイトさん。

 予定通りに戻ってきたという事は、面倒事も支障なく片づいたのだろう。

 ここしばらくは晴れない日々が続いていた二人の表情も、久々に明るく清々しい。

「お疲れ様でした」

「あぁ、疲れた。まったく、あの商人は……おっ! 美味しそうなクッキーだな。どれ、一枚――」

 テーブルの上を見て、手を伸ばしたアイリスさんから、クッキーの入ったお皿を遠ざける。

「ダメです。まずは手を洗ってきてください」

「店長殿は、まるでお母様みたいだな……」

 ちょっと口をとがらせながらも、素直に手を洗いに行ったアイリスさん、そしてケイトさんは、少しして荷物を置いて戻ってきた。

「よし、洗ってきたぞ!」

 素直に手を洗ってこられては、私も拒否はできない。

 ちょっと惜しいけど、『さぁ!』とばかりに手を差し出したアイリスさんたちにクッキーを渡す。

「――おぉ、美味しい! さすがロレアだな!」

「そんな……サラサさんが提供してくれた、素材のおかげです」

「確かにこれ、お金、かけてるわね」

 普段食べているロレアちゃんお手製のクッキーに比べ、コストがかかっている事を看破したケイトさんに、私も頷く。

「色々終わった事のお祝いです。今回は、なかなかに面倒でしたから」

 私の言葉に、追加のクッキーに手を伸ばしていた二人の動きが止まり、気まずそうな表情で顔を見合わせた。

「店長さんには、迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」

「まったくだな。店長殿には今回の事で、更に返しきれない恩ができてしまった」

「恩の方は気にしなくても良いですが、お金の方は返してくださいね? 無理な請求をしたりはしませんけど」

 クッキーの入ったお皿を、二人の方に押し出しつつ、言うべき事は言う。

 せっかく錬金術大全の五巻に到達したのに、現状では資金不足で、そこに載っている錬成具アーティファクト錬成薬ポーションをほとんど作れていないのだ。

 以前から貯めていた素材はあっても、それは必要な素材のごく一部。

 作製に必要な素材が全て揃っている物は、あまりない。

 サラマンダー戦でお金、素材共にかなり放出したこともあり、アイリスさんからのお金が入ってこないと、作業もなかなか進められない。

「もちろん返すとも! ……時間の方はかかるかも、だが」

「はい、お願いします。私の方も、先輩にお礼をしないといけないですから」

 調停人を紹介してもらって、『ありがとうございます、助かりました』の言葉だけで済ますのは、さすがに申し訳ない。

 親しき仲にも礼儀あり。

 何かしらのお礼をするにも、先立つものは必要なのだ。

「あぁ、あれは本当に助かった。調停人を探そうにもウチには全く伝が無かったからな。そして、重ねて申し訳ないのだが、その方には十分にお礼を伝えておいてくれ。相手は侯爵家、しがない騎士爵であるウチでは礼状を送るのがやっとなのだ」

「そうね。金銭的には少し残念な結果だったけど、正式な裁定を出してもらえただけでも十分な価値があるわ。カーク準男爵からおかしな難癖をつけられる余地が無くなったんだから」

「金を返しても、何を言ってくるか判ったものじゃないからな! 彼奴は!」

「そう言っていただけると、私としても、急いで連絡をつけた甲斐があります」

 いくら先輩たちが仲良くしてくれていたとは言っても、直接実家の侯爵家に連絡できるほど、私の立場は強くない。

 それ故、遠く地方の町にいる先輩に連絡して、調停人の紹介をお願いして、そこから実家の方に連絡してもらって……と、なかなかに大変な作業ではあったのだ。

 普通に連絡したのでは時間がかかりすぎるため、転送陣も活用、師匠にも協力してもらっているので、そのコストたるや……。

 普通なら、とんでもない金額である。

 まぁ、師匠の方は、サラマンダーの素材を流した事で機嫌が良さそうだったので、問題は無いと思うけどね。

「でも、すごい金額ですよね。この前、倉庫に積んであったお金より多いんですよね? 私には、想像もつきません」

「うむ。私たちだって、そんな額、見た事無いぞ。自慢じゃないがな!」

 ため息をつくように言ったロレアちゃんに、何故か胸を張って言うアイリスさん。

 実際、ロッツェ家が最初に借りた額はもっと小さかったのだから、見た事が無いのは事実だろう。

 一応、今回の返済にあたって、師匠から支払われたお金をアデルバート様に渡しているけど、額が額だけに、使ったのは大金貨と白金貨。

 それぞれ一〇万レアと一〇〇万レアの価値があるだけに、六千万レアを超える額でも手のひらに載るサイズの革袋でしかなかった。

 その中をアイリスさんが覗いていれば、“見た”事にはなるんだろうけど、ちょっと違うよね、ロレアちゃんの言う意味とは。

「アイリスさん、それだけの金額を返せるんですか? いくら採集者でも、大変ですよね?」

「うむ、それなのだ。このままだと、私は一生、店長殿に返し続ける事になりそうだ。そんな長期間、ここでやっかいになっていても良いのか、それが問題だな!」

 いや、アイリスさん。いつまで採集者を続けるおつもり?

 結婚とか、するつもりは無いんですか?

 そもそも今回の事で、アイリスさんに使用した錬成薬ポーションも含め、全ての借金はロッツェ家名義に変わっているのだ。

 アイリスさん、それにケイトさんだけで返済する必要はない。

「領地の税収からも返済されますから、そこまででは無いとは思いますが……かなりの額ではありますよね」

 そう、それ。

 いくら小さな領地とは言え、そこから入る税収は、普通の人が稼ぐ額とは桁が違う。

 もっとも、それで簡単に返せるようなら、借金が膨れ上がる事も無かったはずだから、あまり期待はできないんだけど。

「だが、それはそれとして、店長殿には恩を返さねば、ロッツェ家の名が廃る」

「いえ、本当に気にする必要は――」

「アイリス、私に良い考えがあるわよ」

 私も、ちょっとだけサラマンダーの素材を確保できているので、頑張った価値はある。

 お金だけ返してもらえばそれで十分。

 そう言おうした私の言葉を遮るように、少し悪戯っぽく、にんまりと笑ったケイトさんが言葉を挟んできた。

「お、なんだ、ケイト。店長さんに恩を返せる考えか?」

「それだけじゃなく、借金も解決する、ナイスアイデアよ」

「ほぅ、それはすごい! 聞こうじゃないか」

 身を乗り出したアイリスさんに、深く頷くケイトさん。

 ――なんだか嫌な予感がするよ?

「簡単な事よ。アイリスと店長さんが結婚すれば良いのよ」

「「……はい?」」

「――――ふむ」

 困惑の声を上げた私とロレアちゃんに対し、何故か考えるように頷いているアイリスさん。

 え? アイリスさん、女性だよね?

「えーっと、ケイトさん? 私、別に同性愛に偏見はないですけど、私自身は異性愛者ですよ?」

 上流階級や神殿なんかでは、男女ともに珍しくないみたいだけど、ごく普通の家庭で育った平民である私には、少々縁遠い世界。

 そちらに足を踏み入れる予定は無い。

「大丈夫。嗜好なんて、案外変わるものよ?」

 いや、それはどうだろう?

 食べ物の好みとかならともかく――。

「悪くないな」

「えっ――!!」

「ちょ、アイリスさん!?」

「店長殿、私と結婚すれば、もれなく爵位が付いてくるぞ? 小さいとは言え、領地もある。結構、お得だと思うのだが? ついでにケイトも付けよう」

「え、私……?」

 驚く私たちを尻目に、アイリスさんは何やらプレゼンを始める。

 そして、まるでオマケのように付けられるケイトさん。

 目を丸くしているけど、同情はしない。

 原因を作った人だから。

「えっと、アイリスさん。私、爵位が欲しくて援助したわけじゃないんですけど……」

「だからこそだ! もし爵位が目的なら、あり得ぬ話だ。そんな店長殿だからこそ、任せられる!」

 いや、任せられても……。

「そもそも、跡継ぎはどうするんですか。ロッツェ家としては、婿を取らないと困るでしょう」

「養子という手もある。それに店長殿、錬成薬ポーションにはそれを可能とする物もあると聞いた事があるが?」

「え、そんな便利な物があるんですか?」

 アイリスさんの言葉に、身を乗り出すロレアちゃん。

 何で興味を示すの?

「いや、確かにありますけど……高いですよ?」

 女同士、男同士でも子供が作れる錬成薬ポーションは確かに存在する。

 滅茶苦茶高価な錬成薬ポーションなので、基本的に使用するのは、継嗣が同性愛者で対処に困った上級貴族ぐらいなのだが……。

 ちなみに、短期間で済む女同士の錬成薬ポーションよりも、長期に亘って妊娠期間が必要な男同士の錬成薬ポーションの方が高いんだけど……どうでも良いか。

「そこは、店長殿にすがるしかないのだが。作れたりはしないだろうか?」

「作れないですし、そもそも素材のコストが大きいので、あまり意味は……じゃなくて。結婚しませんから!」

「そうか? 年齢はちょっといっているが、私の容姿もそう悪くないと思うのだが」

「そういう問題じゃないです!」

 アイリスさんは自分の顎に手を当て小首をかしげ、ケイトさんはそんな彼女の様子を面白そうに見る。

 と言うか、冗談か本気か知らないけど、けしかけておいて放置しないでよ!

「とにかく! 私はまだ結婚するつもりなんてありません! 錬金術師としても道半ば――いえ、歩き始めたばかりなんですから!」

「ふむ、なるほど。待てば海路の日和あり。店長殿が結婚する気になるまで、傍で待っていれば良いのだな?」

「ち、が、い、ま、す!」

「だがそうなると、いつまでも店長殿と呼ぶのも、他人行儀か。今からサラサと呼んでおくべきだろうか?」

「だからぁ~~~!」

 とぼけた事を言うアイリスさんと、バンバンと机を叩く私に、ロレアちゃんとケイトさんが耐えかねたように吹き出した。

 そんな二人の様子に、私とアイリスさんは言葉を止めて、思わず顔を見合わせる。

 そして、揃って笑い声を漏らしたのだった。

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