029 サラマンダー (3)
サラマンダーを中心に吹き荒れる、凍てついた風。
防熱コートを着ていてもなお熱かった周囲の空気は、みるみるうちに冷えていき、地面には霜が降り始める。
赤熱していた溶岩の池も色を失い、黒く固まっていく。
そして、対象となっているサラマンダー。
その周囲からはもうもうと白い湯気が上がり、アイリスさんたちを追いかけようとしていた足の動きは、まるで平時の溶岩トカゲのように、ゆっくりとしたものになっていた。
「……こ、これほどまでとは」
「ここにいても、寒いほどね」
私の少し後ろに立ち、変わっていく景色に感嘆の声を上げる二人。
次第に周囲が氷に閉ざされ始める状況、どこか幻想的ですらあるその光景に、気持ちは解らないでもない。
でも、実のところ、私の方はそんなに余裕が無い。
「ちょっと……マズいかもしれません」
冷や汗を垂らす私に、アイリスさんたちが意外そうな表情を向ける。
「え、そうなのか?」
「成功、じゃ、ないの?」
ぐんぐんと消費されていく魔力。
このまま魔力が空になる。
それ自体は予定通りだから問題は無い。
予想外なのはサラマンダーの現状。
私の予想では、この段階ですでにサラマンダーは凍りついていて、最終的にはサラマンダー in 氷塊ができあがる予定だったのだ。
だが実際は、未だサラマンダーからは蒸気が立ち上り、私の魔法に対抗している。
動きこそ止まっているが、氷付けにはほど遠い状態。
「斃しきる事ができれば、御の字ですが……魔力が持つか……」
持ち帰る事を考えるなら、完全冷凍が望ましい。
瞬間冷凍なら、劣化も抑えられて更に言う事なし。
でも、このままだと、凍死まで持って行けるかどうかもちょっと心配になってきた。
「むむむ……何かできる事は……あ、
「ははは……それは、焼け石に水。手持ちの
師匠ですら驚く私の魔力量。
それを大幅に回復できる
まぁ、それだけの魔力量がありながら、サラマンダー一匹斃し切れていないあたり、私の魔力の使用効率が悪いんだろうねぇ。
錬金術関連なら自信があるんだけど、慣れない攻撃魔法だからね、これ。
「……実は店長さん、余裕ある?」
「いえ、無我の境地? 焦っても魔力の残量は増えませんし。――そろそろ、撤退の準備、しておいた方が良いかもしれません」
残りが少ない。
サラマンダーの身体から立ち上っていた白煙は収まり、その表面には氷が張り始めているけど、斃せるところまで魔力が保つかどうかは微妙。
ただ、動きは止まっているので、ケイトさんが足止めなどしなくても、無事に逃げられそうなのは幸いかな?
「くっ、ここまで来て! あ、あんなやつに嫁ぐなどゴメンだぞ!」
「そうね、アレは私も賛成できないわね」
アイリスさんとケイトさん、実は鹿を狩りに実家に戻った時、運悪くホウ・バールと遭遇してしまったみたいなんだよね。
すでにアデルバート様は、婚姻を認めるつもりなど無いが、時間稼ぎのためにもそれを言うわけにもいかない。
その事もあって、まるですでに婚姻が決まったかのような、馴れ馴れしい、それでいて上から目線な態度で接されても、それなりの対応はせざるを得ず、二人ともかなりのフラストレーションを溜めて戻ってきた。
その不満を聞かされただけの私でも、『それはちょっと……』と、うんざりしたので、直接話す羽目になった二人は大変だっただろう。
そして、もし結婚する事になってしまえば、アイリスさんはそんな相手と夫婦生活を送る事になり、ロッツェ家に仕えるケイトさんの方も、それが主人となる。
共に『絶対に嫌だ!』という感想を持つのは、必然だと思う。
「……! 店長殿! この氷結石、全部使っても良いだろうか!? もちろん、費用は私が負担する!」
「構いませんが、どこまで効くかは――」
「それでもやらないよりはマシだ!」
私の魔力も残りわずか。
答えを聞くか否か、アイリスさんは数個ずつ氷結石を掴み出しては投げ、掴み出しては投げ。
ケイトさんもまた、残っていた氷結の矢をかなりの速度で全て射かけてしまうと、アイリスさん同様、氷結石を投げ始めた。
かなりの余裕を持って準備していた氷結石も、そのような使い方をすれば、みるみるうちに数が減っていく。
ただ、すでに凍り始めているサラマンダー。氷結石を投げても、先ほどまでの様に瞬間的に蒸発する事はなく、ぶつけた所を確実に凍らせていく。
そして、革袋が空になるのとさほど間を置かず、私の魔力が尽き、魔法が止まる。
襲い来る疲労感に崩れ落ちる私をケイトさんが支え、アイリスさんが素早く抱え上げる。
そのままサラマンダーから距離を取り、いつでも逃げ出せる体勢をとる二人。
私? 私はただアイリスさんに身体を預けるのみ。
しばらくは、何もできないからね!
「……倒せた、のか?」
「どう、かしら? 店長さん、どう?」
用心して、ひとまず逃げるべきか、それとも無事に斃せたのか。
その判断に迷うケイトさんが私の方を振り返りそう尋ねるが、私はただ弱々しく首を振るのみ。
「すみません、普段なら、判るんですが、魔力が枯渇した今の状態では……」
魔力が充満したこの空間で、相手のわずかな魔力を測る事は難しいし、そもそも魔物の素材には魔力が多分に含まれている。
死んだからと言って、即魔力が霧散するわけではないし、そんな事になってしまっては、錬金術の素材としての価値も無くなる。
それとは別に、魔法で生命反応を探る事もできるが、現状ではその魔法を使う余裕も無い。
そのまま無言で待つ事、しばし。
私の魔法は思ったよりも威力があったようで、黒く固まった溶岩が再び赤熱する事も、周囲の氷が溶けて水になる様子も無い。
逆に言えば、攻撃対象以外にも無駄に威力をまき散らしているわけで、非常に効率が悪かったとも言えるんだけど。
「……店長殿。近づいても大丈夫だろうか?」
しびれを切らし始めたらしいアイリスさんに尋ねられ、私は悩む。
安全性第一と考えるなら、今日はこのまま引き返し、私の魔力が回復しきった後で、もう一度来るのが最善。
死んでいれば何も問題なし。
生きていても、私が回復していれば、逃げる事ができる。
でも、生死の確認もせずに戻り、私の回復を待つのがもどかしいというのも、理解できる。
ほぼ完全に表面を氷が覆っているから、死んでいるとは思うんだけど……。
「――――すっきりとしないのは同意しますが、安全性を担保できない以上、賛成はできません。今日のところは耐えて、引き返しましょう」
「そう、か?」
アイリスさんは迷うようにケイトさんに視線を向けるが、ケイトさんもため息をつきつつ、首を振ったのを見て、諦めたように息を吐いた。
「そうだな。もし生きていたとすれば、店長殿も危険にさらす事になる。ここは我慢のしどころか」
「はい、私、動けませんからね」
私としてはアイリスさんの事が心配なんだけど、私がいる事で自制してくれるなら、足手まといも良い。
私が首に手を回して身体を預けると、アイリスさんは苦笑してサラマンダーに背を向けた。
「では帰ろう。今日は、今私たちが無事である事、それを喜ぶとしよう」
「えぇ。サラマンダーとの戦いを無事に生き残った。その事だけでも価値があるわ。……使った費用については、ちょっと考えたくないけど」
空になっている革袋と、自分の矢筒を見て、なんとも言えない表情を浮かべるケイトさんに、アイリスさんもまた、顔を曇らせた。
「それは言わないでくれ。負担するとは言ったが、私たちが掴んで投げた氷結石、その一回だけでも、私たちの一日の稼ぎより多いんだから……」
「安心してください、アイリスさん」
「店長殿……! もしかして、免除――」
表情を輝かせるアイリスさんに、私は頷いて、にこりと微笑む。
「割引価格を適用してあげます」
「店長殿……」
費用を負担すると言ってくれた以上、遠慮はしない。
私、貧乏性なので。
一転、情けない表情になったアイリスさんに、私とケイトさんは顔を見合わせ、クスリと笑う。
実際のところ、サラマンダーがちゃんと斃せていれば、氷結石のコストぐらいはたいした問題ではない。
そしてその結果がわかるのは、明日以降。
私たちは後ろ髪を引かれつつ、凍りついたまま動かないサラマンダーに背を向けて、洞窟を後にしたのだった。
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