027 サラマンダー (1)
「そろそろ二カ所目に着きますが……これは、当たりですね。ここからでも判ります」
視線の先に見えてきた洞窟。
そこから流れ出す魔力に、私はアイリスさんたちを振り返って頷いた。
三カ所目の洞窟は少し遠いので、ここで当たりを引けたのは、少し運が良かったかもしれない。
「そうなの、か? 私にはさっぱりだが。ケイト、判るか?」
訝しげに首を捻るアイリスさんに対して、ケイトさんは曖昧ながらも首を縦に振った。
「少しだけ……? これって、魔法を練習している関係かしら?」
「ですね。ケイトさんは魔力に関して、以前よりも感覚が鋭くなっていると思いますよ」
それこそが魔力を使う上で重要な事なので、ケイトさんの訓練は順調と言って良いんじゃないかな?
この調子なら、たぶんもう少しすれば、魔法を使えるようになると思う。
そこから実用的な魔法に至るまでには、もう何段階か越えるべき壁はあるけど、そこは努力でなんとかなる範囲。
素質が物を言う、『魔法の発動』とは少し異なる。
「二人が言うのなら、間違いは無いのだろうな。では、いよいよサラマンダーと対峙するわけだな」
そう言うアイリスさんの表情はやや強ばり、握りしめられたその手をよく見れば、わずかに震えている。
ケイトさんの方も、アイリスさんほどではないとは言え、漂わせている緊張感はかなりのものがある。
正直、その緊張感が私にも伝染しそうなので、できればもうちょっとリラックスして欲しいところ。
ほどよい緊張感は必要だけど、緊張しすぎれば動きが硬くなってしまう。
「アイリスさん、怖いですか?」
「ああ。正直に言ってしまえば、かなり、な。全く勝てない敵に挑むのだ。このような戦い、初めての事だからな」
「いえ、戦わないでくださいね!? あくまで時間稼ぎと援護だけで。アイリスさんが正面から接近戦を挑んだりしたら、その装備では全く能力不足ですからね?」
腰の剣に手を当てて答えるアイリスさんに、私は慌てて首を振った。
多少なら溶岩がかかっても大丈夫、というレベルの防熱性能があるこのコートだけど、サラマンダーの攻撃に耐えられるかと言えば、決してそんな事はない。
ブレスに何度か耐える事はできるだろうけど、単純な防御力という面では、『丈夫な革のコートよりも多少マシ』という程度。
この革は溶岩トカゲの堅さよりも耐熱性を引き出しているので、溶岩トカゲが生きているときに発揮する、剣を弾くような強度は存在しないのだ。
接近戦でガンガンやり合ってサラマンダーの攻撃を食らったりしたら、あっさりと破けるだろうし、そうなれば周囲はかなりの高温。
一気に体力は失われ、その状態でブレスを喰らおう物なら、そこでおしまいである。
そもそもアイリスさんの持つ武器では、攻撃した武器の方が壊れるので、全く意味が無い。
間違っても、その手にかけた剣を抜いたりはしないで欲しい。
「それはわかっているのだが……」
解ってはいても落ち着かない。
そんな様子で剣から手を離したアイリスさんに、私は微笑んで胸を張る。
「大丈夫です。苦戦する事はあり得ません」
「む、そうなのか? 店長殿は、あまり攻撃魔法が得意でないと言っていたと思うが……?」
「得意じゃないのは本当ですが、使えないのとは違うんですよ?」
師匠曰く、私の場合は『保持している魔力が大きすぎる』らしい。
通常、魔力というものは、魔法の訓練を積むに従って次第に成長していく。
正しい訓練を積んでいれば、それに伴って魔力の制御力も成長していき、自身の魔力が制御できずに困る、なんてことは起こりえない。
でも、私の場合、最初に持っていた魔力が大きすぎたらしい。
それ自体は錬金術師としてとても有利な事なんだけど、こと魔力の扱いという点に於いては、このメリットがデメリットに変わる。
制御力は確かに成長しているのに、魔力も一緒に成長してしまうので、いつまで経っても十全に制御ができない。
言うなれば、巨大なワイン樽から小さなグラスに直接ワインを注ぐようなもの。
ワイン樽を持ち上げるだけでも大変だし、それを繊細に動かして、こぼさないように注ぐのも難しい。
頑張って筋力を増やしても、筋力に比例して樽まで大きくなってしまえば、どうしようもない。
ワインボトルから注ぐ事と比較すれば、その難易度の差は明確だろう。
「だから私も、師匠のところに弟子入りした当初は、結構失敗して、迷惑をかけていたんですよね」
「へぇ、店長さんが? 私の持つイメージだと、店長さんって失敗しないってイメージなのに」
意外そうに言うケイトさんに、私は首を振って苦笑する。
「そりゃ、一応は一人前と認められてますからね、今は。きちんと資格を持っているわけですし。二人に会ったのはその後の事ですから」
資格取得前と資格取得後。
その成功率が同じわけがないし、曲がりなりにも店を構えている錬金術師が、そうそう失敗している姿を見せるわけにもいかない。
作り慣れた
「まぁ、師匠からもらったこの
そう言って、私がアイリスさんたちに見せたのは、常に首からかけているネックレス。
一見すると普通のネックレスにしか見えないそれを、近づいてきたアイリスさんが、不思議そうにまじまじと見つめた。
「店長殿、これは?」
「私の魔力の、出力上限を抑制する
さすがに普段の作業であれば、これが無くてもなんとかなるけど、やっぱり有ると無いとでは全然違う。
ちょっと魔力を使おう、と思う状況ならまだ良い。
でも、ある程度たくさん魔力が必要な状況になると、なかなか難しいのだ。たくさん魔力を出しつつ、それでいて出し過ぎないように、という調整が。
そして、攻撃魔法や大量の魔力を使う魔法の場合、これが非常に重要になってくる。
普通の人だと、思いっきりやればいいだけみたいなので、その点はちょっとうらやましい。
「という事は、店長さんは、その
「そうとも言えます。もっとも、制御に問題があるので、全力で使う以外、できないんですけどね」
「それが、『得意でない』という事なのか?」
「ですね。一定以上の規模の魔法になると、この
けど、言い訳をさせてもらうなら、私は錬金術師なのだ。
軍に所属するような魔法使いとは違い、ドッカン、ボッカン、やるのが仕事ではない。
錬金術師に必要なのは、安定して魔力を操作できる事。
瞬間的な高出力を求められる事などないし、少なくとも私が関わるレベルでは、
そして、その状態での上限魔力で使えない魔法を練習する機会なんて、普通は無いのだ。
はっきり言って、威力がありすぎて、近所迷惑すぎるから。
まさか、軍の訓練場を借りる事もできないしね。
「まぁ、暴走と言っても、魔力を使い切ってしまうだけですから、心配は不要ですよ」
「それが、店長殿の言っていた『動けなくなる』か」
「はい。そんなわけですから、伸るか反るか。成功してあっさりと倒せるか、失敗して逃げ帰る事になるか。そのどちらかです。やり直しはありません。安心してください」
「それは、安心して良いの……?」
「もう少し頑張れば倒せるかも、とか思いながら戦う必要が無いのは、安心できるポイントじゃないですか?」
魔法で倒せなかった時点で、逃げを打つ決断ができるのだ。
中途半端に攻撃が効いたりしない分、躊躇が必要なくて良いよね?
「その時は、私を抱えて逃げてもらわないといけないのですが……さすがに、私の魔法を喰らって無傷って事は無いと思いますし、問題なく逃げられる、と思います。危なければ、置いていってもらっても良いですし?」
強力な魔法を使った私を放置して、アイリスさんの方を追いかける、なんてことは無いだろう。
動けない私でも、おとりとしては十分に役に立つと思う。
「そんな状況で、店長殿を置いていけるか! 当家の事情に店長殿を巻き込んだようなものなのだ。何があっても店長殿は無事に帰す。そこは安心してくれ」
「その場合は、私が足止めを行うわ。店長さんを運ぶのは、体力的にアイリスの方が適しているでしょうし」
「あ~、いや、そんな事はほぼないと思いますから、そんな覚悟を決めなくても……」
半ば冗談で言った言葉に、思ったよりも強く真剣なアイリスさんの言葉と、やや悲壮感すら感じさせるケイトさんの表情が返ってきて、申し訳なくなってしまう。
「危なければ、預けている氷結石を全てばらまけば、足止めはできますから、その時はそれでお願いしますね?」
攻撃手段を持たないアイリスさんたちのために、今回私が用意したのが、“氷結石”と“氷結の矢”の二つ。
氷牙コウモリの牙などから作る事ができる、使い捨ての攻撃用
レオノーラさんから送られてきたのもこれである。
基本は牽制用だけど、かなりの余裕を見て用意してあるので、私の計算が間違っていなければ、逃げ帰る事になった時でも、それなりの数が残っているはず。
それに加えて、レオノーラさんがくれた物もあるのだ。心配は無いだろう。
「氷結石か……この石一つで、三千レアを超えるんだよな?」
「はい。店売り価格は三五〇〇、ケイトさんの持つ氷結の矢が四千ですね」
「それがこんなに……」
自分が背負った矢筒に詰め込まれた矢と、アイリスさんが担いだ革袋を見て、ケイトさんがため息をつく。
「すごく贅沢な武器だよな」
「まぁ、普通の採集者は使いませんね。上手くしないと赤字ですし」
こんな物を消費しながら戦うとか、どう考えても普通じゃない。
私もこんな状況じゃなければ、『まだ実力不足』と、戦いは控えるところ。
だが、それを押してもなんとかしたい事がある。
それだけの事なのだ。
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