025 商戦 (2)

「氷牙コウモリが襲いかかってきますけどね、って……遅かったですね」

 一気に洞窟が騒がしくなり、自分たちの餌に手を出したギルさんに向かって、氷牙コウモリが何匹も飛びかかる。

「馬鹿野郎! 専門家の話を最後まで聞かずに手を出すんじゃねぇ!」

「す、すまん!」

 すぐさまフォローに入り、氷牙コウモリを切り捨てたアンドレさんが、ギルさんを怒鳴りつけた。

 怒鳴られたギルさんは謝りつつ、持っていた果物を放り捨てると、剣を引き抜いて攻撃に参加。

 グレイさんとも協力しつつ、周囲の氷牙コウモリを切り捨てるが、氷牙コウモリが襲いかかるのは彼らだけには留まらない。

 私は飛び回る氷牙コウモリを適当に魔法で打ち落としつつ、私に向かって飛んできた物は、引き抜いた剣で切り落としていく。

「な、何故だ? 寝ていたのにいきなり……。攻撃だってしてないのに!」

 少し困惑したように剣を振り回すアイリスさんに、とても根本的な事を伝える。

「餌を荒らされたら起きますよ、氷牙コウモリだって」

「当然よね。死活問題だろうし」

 納得したように頷く、そんなケイトさんは、ちゃっかりと私とアイリスさんの間を占め、近場の氷牙コウモリの対応は私たちに任せて、遠くの物を弓で狙っている。

「理解はできる! だが、くそっ、多すぎないか!?」

 愚痴を口にしつつも、アイリスさんは剣を振り続け、周囲には足の踏み場もないほど、氷牙コウモリの死体が積み重なっていく。

 だがそれでも、その攻撃が途切れる事は無い。

 そして、最初に息が上がり始めたのはアイリスさんだった。

「ふぅ、ふぅ……か、数が多くないか?」

「アイリス、頑張りなさい! 店長さんなんか、魔法を使いつつ、剣も使ってるのよ? あなたが最初に音を上げてどうするのよ!」

「ケ、ケイトはまだ休めているじゃないか! そりゃ、店長殿に体力で負けるのは情けないと思うが……」

「あ、いえ、私は大丈夫ですよ? もしキツければ、『風壁エア・ウォール』を強化しましょうか? 氷牙コウモリの攻撃が通らなくなりますよ?」

「そ、そんな事、できるのか?」

「はい、もちろん」

「そう言えば前回は、氷牙コウモリを跳ね返していたわよね……」

 そもそもこの魔法、矢を防ぐための魔法なのだ。

 決して、落下してくる糞尿を防ぐための魔法では無い。

 つまり、普通でも矢を逸らす事ができる威力があるわけで、少し強化すれば、氷牙コウモリの突撃を防ぐ程度はわけもない。私程度の魔力があれば。

 それをしていなかったのは、氷牙コウモリを斃す事が目的だったから。

 近づけないという事は、剣で攻撃もできないって事だからね。

「うぅ……も、もう少し頑張る!」

「そうですか? では頑張ってください。あと少しで片が付くと思いますから」

 私の感知では、かなり広い範囲の氷牙コウモリが、こちらに向かって襲いかかっているのを認識していたが、それももうすぐ終わりそうな感じ。

 そしてアイリスさんは、ケイトさんにフォローを受けつつも頑張りを継続し、体力のあるアンドレさんたちも息が切れ始めた頃、ついに氷牙コウモリの襲撃が途切れた。

「お、終わった……?」

「えぇ、一先ずは終了です」

 剣を持った腕をだらりと垂らして周囲を見回すアイリスさんに、私は頷く。

「はぁ……今回は、私も腕がパンパンよ」

 ケイトさんもまた、ホッと息を吐き、両腕をブラブラと振る。

 矢が無くなるまで弓を引き続け、それ以降は短剣で戦っていたのだから、かなりの疲労が溜まっていたのだろう。

「くぁ~~! キツい!」

「多すぎだぜ!」

「お前の迂闊な行動のせいだ。反省しろ、ギル」

「ホントにな! みんな、マジですまん!」

 パンと両手を合わせて頭を下げるギルさんに、私は笑いながら首を振る。

「大丈夫ですよ。本当に危険があったわけじゃないですから」

 全員の体力が限界になって危なくなるようなら、しばらく『風壁エア・ウォール』の中に引きこもって体力を回復する方法も取れたから、実被害はただ疲れただけとも言える。

「と言うか、店長殿はやはり凄いな。あれだけ、魔法を使いながら、剣を振り続けても大丈夫なんだから」

「魔力で身体強化してますからね。素の体力・筋力ではアイリスさんには敵いませんよ。あと、シンジーニでよろしくです。先ほどは状況があれだったので、指摘しませんでしたが」

「……店長さん、続けるの? それ」

「だって、商人にバレたら、面白く――じゃなかった、面倒じゃないですか」

 私のその言葉に、アンドレさんたちが顔を見合わせる。

「シンジーニ、実は楽しんでねぇか? 今回の事」

「え? ……まさか、まさか。強欲な商人なんて、潰れちゃえ、とか。ちょっとしか思っていませんよ?」

「ちょっとは思ってるのかよ!?」

 私の素直な言葉に、ギルさんからツッコミが入る。

 でも、当然じゃないかな?

 商人は自分が幸せになるだけじゃダメ。他人も幸せにできないと。

「ちょっとだけ。『商売は誠実に』それがウチの家訓ですから」

「家訓って……シンジーニの家は商人だったのか?」

「はい。両親は事故で死んじゃいましたけどね」

「あー、すまん」

「いえ、アイリスさんに謝って頂く事では。昔の事ですしね」

 気まずそうに視線を逸らすアイリスさんに、私は首を振る。

 両親を亡くした事は悲しいけれど、それがありふれた事である事は、孤児院にいれば理解できる。

 そして、それ以降の私が不幸だったとは思っていない。

 学校では数は少ないながら良い友人を得られたし、マスタークラスの師匠という望外の巡り会いにも恵まれ、錬金術師になれた。

 そして錬金術師は、お父さんたちとは少し形が違うけど、商人の一種と言えなくもない。

 だからこそ、父さんたちが目指した事を実現できるようになりたいし、そのための障害を排除するための努力は、惜しむつもりはない。――そんなには。

 今は、錬金術師として成長する方が優先なので、それに影響しない範囲で、ね。

「ま、今回の事は、魔法の練習もできてちょうど良い部分もありますしね」

「そういえば、いろんな魔法で斃していたわね?」

「えぇ、最近練習している物を、実戦で」

「……そういえば、店の裏に空き地、できていたな。森が無くなって」

「『森が無くなって』は大げさですが、そこですね。練習していたのは」

 前回、ヘル・フレイム・グリズリーの襲撃の際、少し苦労したので、師匠にも相談して、ここ最近は攻撃魔法の練習を、少し多めにやっていたのだ。店の裏で。

 でも決して、森を魔法で吹き飛ばしたとか、そんな物騒な話じゃない。

 一本ずつ丁寧に、魔法で倒していっただけ。

 もちろんそれらの木を無駄にはせず、ゲベルクさんにプレゼントしましたとも。

 ただ、残った切り株は広範囲魔法の的にしたので、ちょーっと、地面が荒れちゃってますけどね?

「本当は、広範囲魔法も試したかったんですが、ここで使うと洞窟が汚れるし、牙の回収も難しくなりますからね」

「そうしてくれて助かったぜ。ここに転がってる死体だけでも、うんざりしてるってのに……」

 少しため息をつきつつ、辺りを見回すアンドレさんの言うとおり、周囲には大量の氷牙コウモリの死体が散乱していた。

 離れた場所に転がっているのは、私の魔法とケイトさんの弓で倒した物だからそこまで多くないけれど、私たちの周りの死体は、腰の高さを超えて積み上がっている。

「改めて見るととんでもないな。今回は何でこんなに多かったんだ……?」

「今回は逃げませんでしたからね。餌に手を出したので」

 一部が狩られている間に、他は逃げ出す。

 それが氷牙コウモリの、通常の行動パターン。

 けど今回は、彼らが生存するための餌に手を出した。

 そのため、氷牙コウモリも必死の抵抗するし、適当なところで逃げ出す事もしない。

 今は森でも食料が得られる時季だから、この程度で済んだけど、これが冬場だったら、洞窟内の氷牙コウモリ、すべてを相手にするハメになったかもしれない。

「――つまりは、ギルのせいって事か!」

「だからすまんって! 今度からはちゃんと話を聞いてから行動する! な?」

「そうお願いしたいところです。ですが、今はまず、この死体の処理を始めましょうか」

「……そうだな。ギルを責めていても意味ねぇよな。それで、どうやる?」

「えっと……」

 当初の予定では、私がここで氷牙コウモリを斃し、アンドレさんたちがそれを回収。

 外に持ち出して牙を折り取り、死体を森にポイする予定だったんだけど……これ、明らかにアンドレさんたちの負担が大きいよね。

「牙の回収をここでして、死体を袋に詰めて捨てに行ってもらう、でどうでしょう?」

 少し考えて出した私の答えに、アンドレさんたちも頷く。

「それが良いだろうな。ギル、頑張れよ?」

「そりゃ頑張るけどよ……持てる量には限界があるからな?」

「この辺のだと、一匹の体重、一キロ超えますからね」

 襲ってきた氷牙コウモリの大半は、年齢が高い事もあり、ぶら下がっている時で三〇センチぐらい、羽を広げると一メートルを超える。

 ここまで成長した氷牙コウモリは珍しく、牙も貴重。

 売値も高いが、今後の事を考えると、ある程度は自分用に確保しておくべきだろう。

「よし。ギルのノルマは一回あたり一〇〇匹だな」

「マジかよ!? いくら何でもそれを担いで数時間掛けて往復とか……せいぜい、二回が限界だぜ?」

 グレイさんが平然と提示したノルマに、ギルさんは抗議の声を上げる。

 でもそれ、十分凄いよね?

 一〇〇キロ以上の革袋ですよ?

 魔力による身体強化も無しにそれとか、さすが鍛えられているだけはある。

「シンジーニには牙の回収を続けてもらうとして……全員で往復すれば、今日中に千匹はいけるか?」

 私以外の五人が一往復。

 私も帰りに一袋持てば計十一袋。

 それぞれが一〇〇匹近く持てればその計算になるけど、当然ながらその計算には無理がある。

「え、私はさすがに一〇〇匹は持てないわよ?」

「わ、私も自信が無い」

 うん、ケイトさんは当然として、アイリスさんも難しいよね。

「ラストはシンジーニも持ち帰れるだろう? その時に一〇〇匹持てば、アイリスの嬢ちゃんたちは、七五匹か」

「あ、私が一〇〇匹持つのは確定なんですね」

「できるだろう?」

「できますけどね。身体強化を使えば」

 当然の様に言うアンドレさんに、私は頷くけど、そこまで無理をする必要があるかどうか。

 すっきり片づくなら頑張るけど、この量じゃ、ねぇ。

「うん。今日は牙の回収だけに専念しましょう。死体の方は明日以降、他の採集者の方を雇って運ぶという事で」

「良いのか? 別にギルをこき使っても良いんだぜ?」

「この量、どうせ終わりませんから。幸い、一日放置したぐらいでは問題無さそうですし」

 洞窟の外ならば一日すら危ういが、このあたりの気温は、むしろ肌寒さを感じるほど。

 数日程度では死体が腐敗したりはしないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る