020 商売敵? (1)

「店長さん、戻りました」

「店長殿、戻った。……ふぅ、ここは極楽だな」

 本格的に暑くなり始めた今日この頃。

 仕事から戻ってきたアイリスさんたちが、店に入るなり大きく息を吐き、額に浮かんだ汗を拭った。

「お疲れさまです。今日も外は暑いですか?」

「あぁ。動いていると、なかなかにな」

 窓から外を見れば、今日も晴天。

 強い日差しに庭の草木も少しお疲れ気味。

 しかし、そんな暑さとも、ウチは無縁。

 冷風機を設置しているので、家の中ならとても涼しいのだ!

 とても贅沢。

 でも、作ったんだから使わないとね?

 ――いや、本当は、一部屋を冷やせるサイズで十分だったんだけどね?

 作る経験を積めば良いだけなので。

 高品質の氷牙コウモリの牙がたくさんあった物だから、つい、ちょっと贅沢な物を作っちゃったのです。

「冷却帽子、買っても良いんですよ?」

「うぅ……確かに心惹かれるものはあるんだが……我慢する」

「これまでは無しで乗り切っているんだし……」

 私が棚に並んだ冷却帽子を指さすと、アイリスさんは凄く未練がありそうな表情で、そこから何とか視線を引き剥がした。

「そこまで節約しなくても良いんですけど……。涼しい方が効率も上がるでしょうし」

「そうかもしれないけど、今は大半の時間、洞窟の中だしね」

 他の素材を取ってきてもらう事もあるけど、効率面では氷牙コウモリの牙が一番であり、現在多くの採取者はそれに力を入れていて、アイリスさんたちも例外ではなかった。

 そして、洞窟の中に入ってしまえば、涼しいを通り越して、やや肌寒いほど。

 行き帰りさえ我慢できれば、冷却帽子が無くても何とかなる事は確か。

 かなり暑いとは思うけど。

「お二人とも、お帰りなさい。冷たいお茶ですよ」

 そこに、二人が戻ってきたのを見て一度奥に入っていたロレアちゃんが、戻ってきた。

 その手にはよく冷えたお茶が二つ。

 アイリスさんたちはそれを受け取ると、一気に飲み干して大きく息を吐いた。

「ありがとう、ロレア。……くぅ~、暑い時に冷たいお茶。最高だな!」

「ふぅ……。えぇ、本当に。最高の贅沢よね。ここで生活していたら、元の宿屋には帰れなくなるわね」

 このお茶は、最近作った冷蔵庫で冷やした物。

 つい先日、ゲベルクさんから冷蔵庫と冷凍庫の外枠が納品されたのだ。

 この二つの作製を以て、我が家の台所はついに完成を見た。

 ロレアちゃんの頑張りで、大幅なレベルアップを遂げた料理に加え、冷たい物まで楽しめる様になった我が家の食卓は、きっとこの村でもトップクラスだろう。

「涼しいですもんね。私も夜、家に帰るのが少し億劫になりますね。寝る時は、サラサさんに頂いた、環境調整布のシーツがあるので、それなりに快適なんですけど」

「おお、あれな! 暑くても寝苦しさとは無縁だよな、あれは!」

「本当よね。正直、あんな良い物を私たちが使わせてもらって良いのか、不安なぐらいなんだけど……」

「構いませんよ。……私だけ良い物を使うのは少し、居心地が悪いので」

「いやっ! その辺りはまったく気にする必要は無いのだが! 私たち、居候だから」

「いえいえ、本当に、お気になさらず」

 来客用にと揃えたベッドや寝具ではあるけれど、今ではすっかり二人専用になってしまった。

 かと言って、今更二人から布団を取り上げるのはさすがに無理。

 二人が『昨夜は暑くて寝苦しかったな』とか話している隣で、『私は昨夜も快適でした』とか、一緒に生活していてそれはどうなの? という話である。

 なので、布団とベッドは追加でもう二組、作製済み。

 師匠が突然出現しても、ロレアちゃんがお泊まりしたくなっても大丈夫。

 問題なしである。

「ただ、お店が快適なのは凄くありがたいんですけど、ちょっと問題もありますよね」

 少し困ったように言うロレアちゃんに、私は首を傾げる。

 聞いてないけど……。

「そうなの?」

「はい。用事が終わっても、店の中に居座る採集者の方も――」

「おっと、それはもしかすると、俺のことか?」

 タイミング良く店に入ってきたのは、常連客のアンドレさん。

 毎日のように訪れているから、ある意味では頻繁に涼みに来ている、と見えなくも無い。

「おや、アンドレさん。もしかして心当たりが?」

「もちろん……ある!」

 あるんだ!?

「そうなの? ロレアちゃん」

「アンドレさんはまだマシな方です」

 あぁ、マシなだけで、否定はできないと。

「冷たいお茶を出せば、素直に帰ってくれますから。と言うことで、お茶です」

「お、ありがとよっ。――ごっごっ、ぷはぁぁあぁ! やっぱうめぇなぁ! この時季に冷たい物は!」

 一気にお茶を飲み干したアンドレさんからコップを受け取ったロレアちゃんは、一つ頷くと、出口を指さす。

「そうですか。では、お帰りください」

「おうっ! って、違う! まだ用事を済ませてねぇよ」

「おっと。そうでしたね。それで今日は?」

「まずは今日の分の成果だ。買い取りを頼む。それからポーションを――」

「はい」

 ロレアちゃんはアンドレさんの取りだした物を手際よく処理していく。

 彼女を雇って数ヶ月。

 手際も良いし、物覚えも良い。

 今更ながら、とても掘り出し物。

 雇って良かった!

「――以上ですか?」

「そうだな。今日取ってきた物は以上だ」

「そうですか。それではまたお越しください」

「おう……って、そうじゃねぇよ! 今日は他にも用事があるんだよ!」

「そうなんですか? 涼みたい、だけじゃなく?」

「だけじゃなく。この涼しさはすげぇありがたいけどな。俺たちの宿でも導入してくれねぇかな? 冷たい物が飲める……冷蔵庫って言ったか? あれも含めて」

 導入してくれれば私も嬉しいけど――。

「そこは、ディラルさんに相談してください。でも、あまり安い物じゃないですから、難しいとは思いますが」

 一応、お店のメニューには掲示してある冷風機。

 依頼があればもちろん作るんだけど、自分一人、それも頭の周りだけを冷やすだけの冷却帽子に比べると、一部屋を冷やせる冷風機はとても高い。

 採集者向けの宿屋で、一部屋に一つ設置するのは少し現実的ではないし、食堂に設置するのであれば、かなり大きな物にしなければ効果は薄い。

 そうすると、必然的に必要とされる魔力も多くなるわけで。

 私ならともかく、普通の人に賄えるはずもなく……結果、大量の魔晶石か、氷牙コウモリの牙の様な代替品が必要になる。

 ま、普通の宿屋じゃ、まず負担できないよね。

 ご購入は期待薄だろう。

「それで、アンドレさんはどのようなご用件で? 何かご注文でも?」

「いや、そうじゃなくてだな……」

 訊ねた私に、アンドレさんは少し言い淀み、アイリスさんに視線を向ける。

 その視線を受け、アイリスさんは一つ頷くと、口を開いた。

「そこから先は、私が話そう。――店長殿は、今、村に滞在している商人の事を知っているか?」

「グレッツさん、じゃないですよね? 知りません」

 行商人のグレッツさんは時々顔を見せるので、アイリスさんたちも知っているわけで、こんな風に聞いてくるはずも無い。

「彼よりは大分年上の、やや太り気味の商人だな」

「しばらく前から家を借りて滞在してるのよ。結構お金を持っているみたいで、何人か使用人も連れてきてるわ」

「そうなんですか。行商人、ってわけじゃないんですね。それがどうかしましたか?」

 行商人はその名の通り、色々な町や村を訪れる商人。

 少なくとも私が知る限り、太った行商人というのは見たことが無い。

 大隊商を率いるような商人なら別かもしれないけど、この辺りをそんな隊商が行き来することは、少々考えにくい。

「実はその商人、氷牙コウモリの牙を買い集めているんだ。店長殿よりも三割は高く買い取ると言って」

「そうなんですか? それは初耳です」

「あ、もしかして、最近、氷牙コウモリの牙を売りに来る人が少なくなってたのは……?」

 アイリスさんの言葉に、ロレアちゃんがハッとしたように顔を上げ、ケイトさんが深く頷く。

「それが原因でしょうね」

「そういえば、少なくなってた気がしますね、氷牙コウモリの牙の在庫」

 入荷がゼロになっていればさすがに気が付いたと思うけど、アイリスさんたちは帰ってきた時に換金しているし、アンドレさんたちからも入荷はしている。

 多少在庫は減っているが、年齢の高い、品質が良い牙が入荷している関係で、冷却帽子を作る時に消費する量もあまり多くはないので、不安を感じるほどではない。

 新しい採集者が増えている割に入荷量が増えないから、『氷牙コウモリの牙の採取は行っていないのかな?』とか、『もしかして、サウス・ストラグまで売りに行ってる?』とか思っていたら、実はウチじゃなく、他の場所で売っているだけだったんだね。

「店長殿、そんな悠長な……」

「店長さん、そんなにのんびりしていて良いの? 三割も違ったら、こちらで売る人がいなくなるわよ? このままじゃマズいじゃない?」

 ほへー、と頷く私に、アイリスさんたちは戸惑った様子を見せるけど――。

「本当に三割高いのかは気になりますが、それ自体はあまり?」

 冷蔵庫や冷凍庫はもう作ってしまったし、自分たちが使う用の冷却帽子や冷風機は確保済み。

 そんなわけで、現在買い取っている氷牙コウモリの使い道は、販売用の冷却帽子のみ。

 その加工賃は村人へのサービス価格なので、これ自体での利益はごく僅か。

 無くなってもあまり困らない――私自身は、だけどね。

 代わりに、冷却帽子をウチから仕入れて売りに行っているグレッツさんや、ダルナさんは稼ぎが減って困るだろうし、村人も帽子を作って稼ぐことができなくなる。

 元々無かった稼ぎなのだから、生活には影響ないとは思うんだけど……一度手に入るようになった利益を失うのは嬉しくないだろうし、私もせっかく考えた仕組みを潰されるのは、あまり面白くない。

「氷牙コウモリの牙自体は、錬金術師じゃなくても鑑定がやりやすく、保存もしやすい素材だけど……」

「私でもできるようになりましたもんね」

「うん。でもロレアちゃんは筋が良いよ? 物覚えも良いから」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに頷くロレアちゃんを見ながら、私は考える。

 よく観察すれば価値が判るタイプの素材だから、三割上乗せすること自体は錬金術師じゃなくても可能。

 ただし、その値段で買い取って利益が出るかは別問題。

 王都での相場に比べれば、ウチの買い取り価格が安いのは間違いないけれど、それは採集地で買い取っているから。

 王都で売る場合、これに輸送費などが加算されることを考えれば、ごく一般的な相場での買い取り――いや若干高いぐらいの買い取り価格なのだ。

 これに三割上乗せすると……自分で商品に加工でき、付加価値が付けられる錬金術師でも、利益が出せるかどうか。

 それが商人なら言うまでも無い。

 特別な使い道でもあるならともかく、他の町まで輸送して、錬金術師に卸すなら確実に赤字。

 氷牙コウモリの牙が滅茶苦茶品薄になって相場が急騰でもしない限り、利益は出ないと思う。

 何を思ってそんな事をしているんだろうね?

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