第13話 買い物とナンパ

「まだ手術直後だからね。気になるだろうけど、しばらくは我慢してね」


 諭すような口調で、ベッドで仰向けになっている私へ、老齢の男性医師が声をかけてきた。執刀医であり、この形成外科の院長でもある。患者という立場である以上、主治医の忠告を聞いておくべきだろう。素直に頷いて、私は看護婦さんへ手鏡を返した。


 枕に頭を乗せたまま、ゆっくりと瞼を閉じる。術前とは違う緊張感があるものの、麻酔が残っているせいか、全身に満ちている気だるさがすべてを飲み込んでいく。なんか、疲れた。もうちょっとだけ眠ろう。寝ているしかないというのもあったけれど、この日と次の日は睡眠をとってばかりいた。


 手術の翌日に流動食が病院から出された。病気で入院してるわけでないため、食欲は普通にあった。さらに次の日は、よりまともな食事メニューになった。たまに様子を見に来てくれる看護婦さんや、受付の女性との雑談だけが唯一の楽しみになっていた。そしていよいよ、顔の包帯を取る日がやってきた。


「うん。きちんと成功しているね」


 今度こそ手鏡で自分の顔を見た私は、思わず感嘆のため息を漏らした。顔はひと回り小さくなったような印象を受け、鼻筋が綺麗になったおかげで顔立ちも整ってるように見える。まだ全部のうちの2つのパーツを変えただけなのに、本当に違う誰かへ変身したみたいだった。


「これが、私……」


 唇の隙間からこぼれ出た呟きに、医者と看護婦さんが揃って「そうだよ」と言ってくれる。


 今のところ変な後遺症なんかもでていないし、おもいきって試してよかったと心から思った。けれどそんな私の内心を悟ったように、男性医師が話しかけてきた。


「今回はうまくいったけれど、整形というのは、本来リスクを伴うものだ。こういう商売をしていてなんだが、繰り返しの手術はおすすめできない。特に君は、盛大にやりたがってるみたいだからね」


 老齢の男性医師の忠告はもっともだった。しかし、危険だからといって諦めるわけにはいかない。バラ色の未来を手に入れるためには、美しい顔が絶対に必要だった。人によっては、女は顔じゃないと言うかもしれない。でも、私の意見は違う。容姿で苦労してきたからこそ、誰よりも美しくなりたいと強く願うのだ。


「リスクがあるのはわかっています。でも、私はまたここへ来ると思います」


 嘘はつきたくなかった私は、偽らざる本音を医師へ告げていた。


   *


 当初の予定通り、手術後の数日間の入院を経て、退院の日を迎えた。入院している間にすっかり仲良くなった受付の女性に見送られながら、病院をあとにする。手鏡で見たのが、今の私の顔なんだ。そう思うだけで晴れやかな気分になる。


 自宅マンションに帰ってひと息ついたら、買物にでも行こうかな。自然とこんな気持ちになるのは、一体いつ以来だろうか。自分でもわからないぐらい、ずいぶんと久しぶりだった。入院中に使用していた荷物を部屋へ置き、着用済みの衣服を洗濯機へ入れる。


 高校生活も3年目を迎えてからダイエットを決行したため、着れる服をあまり持ってなかった。太っていた頃のはすべてダボダボになっており、とてもじゃないけど普通に着るのは不可能だった。そのため、どうしても新しい服は必要になる。

 高校生時代は制服でよかったので、私服をあまり必要としなかった。けれど大学へ入ればそうもいかない。いくら整形をしても、毎日同じ服ばかり着てれば印象は必然的に悪くなる。


 洗濯機を作動させたあとで、私は外に出る。身に着けているのは、ダイエットが成功したお祝いにお母さんが買ってくれたワンピースだ。せっかくプレゼントしてもらったにもかかわらず、今日まで一度も着ていなかった。本当は身にまとって颯爽と街を歩きたかったのだけれど、知り合いに見られるのが嫌だった。


 痩せたからって調子に乗っている――。

 クラスメートなんかに見つかった日には、そのような陰口を叩かれるのは火を見るより明らかだった。しかし今は違う。昨日までの私は、文字どおり過去の存在になっている。


 スカートを翻しながら、まるでスキップするように街を歩く。手には、これまたタンスの奥にしまいっぱなしだったお気に入りのバッグを持っている。夢にまで見た光景が、現実の世界で展開されている。新たな門出を祝福するように、空もとても綺麗な青色に染まっていた。


 私は自然と笑顔になっていて、心から今の状況を楽しむ。人通りの多い繁華街を歩いているうちに、感じのよさげな洋服店を発見する。以前の私なら、いいなと思いつつも、自分にはつりあわないと勝手に考えて敬遠してたような店だ。整形を終えた今でも、入口に立つと足が竦む。


 本当に私みたいな女が入っていいんだろうか。

 そんなふうに考えながらも、勇気を振り絞って足を踏み出した。


 店に入るなり「いらっしゃいませ」という明るい声が周囲へ響き渡った。声の主は、カウンターの中にいるギャルっぽい女性だった。髪も肌も茶色だったりするけれど、どうやら店員みたいだ。はっきりいって、とても苦手なタイプだった。日常生活では、できれば係わり合いになりたくないので、避けて通ったりする種類の人間だ。


 しかし今回のケースではそうもいかない。私はお客様で、相手は店員なのだ。胸をドキドキさせながらも、普通にしてれば大丈夫と自分へ言い聞かせる。太っていた頃は、常人ではブカブカのサイズしかはけなかったけれど、ダイエットに成功したおかげで、そうした負い目みたいな感情を抱く必要はなくなった。


「これなんて、お似合いだと思いますよ」


「え?」


 商品に見入っていた私は、唐突に声をかけられて必要以上にビックリした。さぞかし店員も不審がるかと思いきや、何事もなかったかのように話を続ける。自ら選んだ商品を両手に持ち、私の身体へ勝手に合わせてくる。ろくな対応もできずにおろおろしてるうちに、ギャル風の女性店員が接客トークを連発してきた。


「お客さん、スタイルも良いし、アタシ的にはこれがオススメかな」


 そう言って店員が私に見せてきたのは、ピチっとした生地の薄そうなTシャツだった。ほんの1年前なら、そんなのを着た日には内側から破けて大惨事になっていたはずだ。目の前でにこやかに笑っている女性店員も、過去の私には決して勧めないだろう。整形手術をするより先に、きちんとダイエットをしておいて良かったと心から安堵する。


「綺麗形な顔をしてるし、これを着てセクシーなボディラインをアピールしたら、超注目されるよ」


 注目どうこうより、私の耳にはギャル店員の「綺麗形の顔」という言葉が強く残った。ブスだのなんだの好き勝手に言われてきた私の顔を、間違いなく綺麗だと言ってくれた。それだけでも嬉しくて、気を抜けばこの場で号泣してしまいそうだった。


 事情を知らない人間が見れば、単にボーっとしてるようにしか見えない。商品のチャームポイントを独特の口調で説明する女性店員も案の定、訝しげにこちらを見ている。客観的に自分自身の姿を想像しても、やはりどこか挙動不審気味だった。


「えっと、その……じゃあ、それをください」


 現状を打開するため――というわけではないけれど、私はギャル風の女性店員オススメのコーディネートをセットで購入しようと決めた。


「ありがとうございます。お客さん、いいセンスしてるよ」


 店員の言葉遣いに苦笑しながら、私はカウンターへ向かった。


   *


 買ってしまった。


 春の陽光が降り注ぐアスファルトの上。大きな紙袋片手に私は空を見上げる。厳しかった冬は通り過ぎ、迎えた新しい季節のおかげで気温もだいぶ心地良い。紙袋の中には、つい先ほど購入したばかりの肌に密着するTシャツや、太腿を大胆に見せるホットパンツが入っている。


 今まではそんな種類の下衣なんて、はこうとも思わなかった。どうせハムだの大根だのと、からかわれるだけとわかっていたからだ。けれど現在の私には無用な心配だった。標準体重になり、目で見えるぐらいの綺麗なくびれもできた。似合うかどうかはさておいて、とりあえず一度でいいのでそうした服装をしてみたかった。


 周囲の人たちは、どのような反応をするだろうか。不安より楽しみな気持ちが強くある事実に、我ながらビックリする。いつの間にやら私は、こんなにも前向きな人間になっていた。


「――ねえ」


 目立たないように教室の隅でひっそりしていた頃が、ふと気づけば懐かしい思い出に変わりつつある。


「ねえ、ちょっと待ってよ」


 ひとり回想をしながら歩いていた私の目の前に、見知らぬ男性の顔がひょっこり現れた。


 年齢は同じくらいで、顔もそこそこカッコいい。人の周囲で何を騒いでいるのかと思っていたのだけれど、どうやら私に声をかけてくれていたらしかった。場所が繁華街なだけに、変なセールスをされるのかと思わず身構えてしまう。警戒するのがわかったのか、男性は慌てて目の前で手を左右に振る。


 怪しい者じゃないというのをアピールしてるつもりだろうけど、その程度で相手を全面的に信用するほどお人好しではなかった。何を売りたいのか。宝石か、それとも高級な布団か。疑念に満ちた眼差しを向け続ける私へ、実にお気楽な口調で話しかけてくる。


「もしかして、ナンパとかお断り系の人? そんなこと言わないで、少しくらい付き合ってよ」


「……は?」


 相手にすると、無愛想極まりないリアクションをしてしまう。だけど、それも無理のない話だ。目の前に立っている男性が、どのような単語を口にしたかもう一度思い返してみよう。静かに深呼吸をしたあとで、先ほどのシーンをより正確にリプレイしてみる。


 何度繰り返しても結果は同じ。男性は間違いなく、ナンパと口にした。もしや、今流行中の新しいジョークなのかもしれない。何も喋らないこちらに怒るでもなく、男性は変わらぬ笑顔で前方に立ち続ける。


「お茶くらいならいいでしょ。さ、行こうよ」

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