第12話 手術

 3年間通った高校を卒業した私は、翌日には早くも住み慣れた地元をあとにしていた。楽しい思いでもあるけれど、それ以上に辛い記憶の方が多かった。


 新しい自分に生まれ変わる。強い決意を胸に抱いて、大学生として生活する新天地へ足を踏み入れる。地元からこちらへ進学してきた知り合いはいない。すべてを新しくするには、またとない舞台だった。すでに住居となるマンションを契約しており、家具等の生活必需品もほとんど揃っている。心配して最後まで同行したがった母を説得し、私は生まれて初めてのひとり暮らしをスタートさせる。


 一番最初にすべきことは決まっていた。以前にインターネットで調べて、見つけた形成外科の病院へ向かう。両親はきちんと仕送りしてくれる予定になっているし、当面の生活費として、お母さんが密かに貯めていたお金を渡してくれた。ありがたく受け取ったからには、勉強のための費用へするべきなのだろう。けれど私には、大学で良い成績をとる以上の目的があった。


 お年玉の袋をすべて処分し、中身をショルダーバッグに詰め込んで目的地までの道を歩く。見えてきた建物が近づくにつれ、心臓がドキドキしてくる。いよいよ、私の新しい人生の幕が開くんだ。やっぱり無愛想な受付の女性へ診察を申し出たあと、いつかと同じようにすぐ奥の部屋へ呼ばれる。そここそが診察室で、中には院長でもある老齢の男性医師がいる。


「おや。君は全部を変えたい少女だね」


 目の前に座っている医師から見れば、18歳を過ぎている私でも少女になるのだろう。とはいえ、覚えてもらっていたのはありがたかった。毎日やってくるであろう患者のひとりでしかないと思っていたので、意外でもある。それだけ私が印象的だったに違いない。どこを整形したいのか聞かれて、悩んだ挙句に「全部」と答えて大爆笑された。そうしたいきさつから考えれば、相手男性の記憶に残っていても不思議はなかった。


「今日はよく考えてきたのかな」


「はい」


 勧められた椅子に座りながら、元気よく応じた。前回と同じ展開になっては意味がないので、熟考した末に一番最初に変えてほしい部位を決めていた。


「輪郭と鼻の整形をお願いします」


   *


 不自然に垂れ下がった目元や、腫れぼったい唇等々。なんとかしたいパーツを上げたらきりがない。せっかく両親から貰った顔だけれど、好きなところなど何ひとつなく、全部が大嫌いと言ってもいいくらいだ。その中でも緊急になんとかしたいと考えたのが、先ほど老齢の男性医師へ告げた輪郭と鼻だった。


 まったくもって自慢にはならないけれど、私の顔は大きい。そしてその中央には、実に見事な団子鼻が存在する。さらに上向きの鼻孔もプラスされるのだから、あまり類を見ない不細工なパーツだというのはすぐにわかる。小学校の頃から、色々とバカにされた部位のひとつだった。


「どんなふうに変えたいのかな」


 問われたら、すぐに言葉を返す。物心ついた時から、ずっと思い続けてきた願望でもある。


「とにかく綺麗に、カッコよくなりたいです」


 誰に笑われようとも、それが嘘偽りのない本音だった。ブスと呼ばれ続けて10数年。いつでも憧れるのは、北川希みたいな女性だった。美人だ、綺麗だと、周囲からチヤホヤされてみたかった。これまでは叶わぬ願いと諦めていたけれど、高校生時代の壮絶な失恋を体験して以来、考え方がガラリと変わった。


 ――いや。変わったというよりかは、変わらざるをえなかったのかもしれない。それができなければ、親友だった轟和美みたいに学校を辞めて、様々な外敵から逃れるしかなくなる。ゆえに私は戦う道を選んだ。


「最終的には全部直して、誰よりも綺麗になりたいんです」


 そして新しい日々の中で、これまでと違った生活を送る。普通に彼氏を作って、一緒に楽しくデートしたりしたい。夢でしかなかった光景を、現実の1ページとするため、なんとしても美しさを手繰り寄せるのだ。そのためなら、どのような犠牲でも払う覚悟があった。


「そこまで都合よくいくとは限らないけどね」


 男性医師の発言も、もっともだ。整形すれば常にバラ色の未来が待ってるのであれば、すこしでも自分に不満のある女性なら列を作ってこのような病院へ押し寄せてるはずだった。そうわかっていても、頼るしかなかった。リスクを冒してでも、賭ける価値があると判断した。


「わかっています。それでも、お願いしたいんです」


 そう言って、私は男性医師へ頭を下げた。


「どうやら、覚悟はあるみたいだね」


 老齢の男性医師の目がスッと細くなって、真剣みを帯びてくる。インターネットの裏サイトで有名になるだけあって、腕は良いと評価されていた。実際に整形手術を受けた患者のコメントもあり、それを見てこの病院にしようと決めた。


「じゃあ、まずは鼻や輪郭をどうするか決めようか」


 骨を削られる結果になろうとも、手術を拒否するつもりはない。危険なのは、最初から織り込み済みだった。男性医師と一時間ほど話し合い、どのようにするのかを決定した。料金の見積もりをしてもらい、手術の予定日も今日の時点で明確にする。


 数日の入院が必要になるとのことだったので、家に帰ったら早速準備をしようと考える。診察が終了し、受付で代金の支払いを済ませてから自宅マンションへ戻った。


   *


 ドキドキしながら日々を過ごし、大学へ入学する前に入院の日がやってきた。暇潰し用の本やウォークマンを入れたバッグを持ち、いよいよ運命の扉を開ける。これまでは生来のハンデに苦しめられてきたけれど、もうすぐ私は生まれ変わる。病院の受付へ行くと、いつもの女性が少しの間、寝泊りをする部屋へ案内してくれた。


 個室ではなく2人用だけれど、現在は誰も使用してないらしかった。入院中の注意事項を幾つか告げると、受付の女性は忙しいと言いたげにそそくさと退室していった。病室とは思えないくらいの狭い部屋で、独りぼっちになった私はとりあえずベッドへ腰かけた。形成外科へいるのがバレたら嫌なので、誰かに電話したりもできない。


 もっとも、気軽に雑談できる友達はいないので、不必要な心配だった。仲の良かった友人といえば、ひとりしか頭に浮かばない。


 轟和美――。

 私と同じような暗い人生を歩いていた女性は、今頃どこで何をしてるのだろう。ふと懐かしい気持ちになる。この場に和美もいてくれたなら、どれだけ心強いか。けれど彼女は、私と違う道を選んだ。再び交わる機会があるのかはわからない。しかし相手の意思を尊重したいとは思う。一時は悲しんだり、恨んだりもしたけれど、今ではそうした気持ちはまったくなくなっていた。


 本を読み、音楽を聴いて、少しはリラックスしようとするも、なかなかうまくはいかなかった。なにせ明日が手術日なのだ。入院は主に、術後の経過を見るためのものだった。


「ふーっ」


 大きなため息だけが、時間の経過とともに増えていた。


   *


 手術当日。


 結果、何が起ころうとも構わないといった類の誓約書にサインさせられたあとで、手術室へ受付の女性と一緒に向かう。実際に歩いてみると、外観は小さく見えても、中は意外に広かったのだとわかる。着実に前へ進んでいるはずなのに、ちっともそんな気がしない。身体すべてがふわふわしていて、まるで雲の上を歩いているみたいだった。


 病院内が妙に静かで、心臓の音がはっきり聞こえてくる。自らの臓器が発してるのに、たまらなく不安になる。強くなりすぎた緊張が頭を締めつけ、変な痛みまで生じさせている。大学の受験時とは、比べものにならない独特の緊張感。できれば二度と味わいたくないと思えるレベルだった。医師はひと足先に手術室へ入っており、助手を務める看護婦とともに準備をしているらしかった。


 手術室のドアの前へ到着すると、いよいよこの時がやってきたと強く思った。開いた扉の向こう側で、老齢の男性医師が待っていた。私にとって、幸運への導き手となるのか。一世一代の勝負始まりだった。手術台に寝かされて、全身麻酔を打たれる。朦朧とする意識の中で、私は術後の変身した自分の姿を想像していた。


「……さん。東雲さん。聞こえますか」


 妙に重たく感じる瞼をうっすら開けると、小さな視界の中に見慣れない老人の顔が映っていた。


 目の前にいる男性は誰で、ここはどこなんだろう。ぼんやりする頭で考えていると、ようやくこれまでのいきさつが浮かんできた。人生を変えたいと強く願った私は、整形を決意した。そして今日が手術決行の日であり、私は手術室で眠っているはずだった。


「目が覚めたみたいだね。手術は無事に成功したよ」


 優しい声で語りかけてくる老人は、私の主治医だった。今の今まで忘れていた自分を恥ずかしく思う。お世話になった人の顔を忘れるなんて、あってはならないことだ。反省はもちろんだけど、私にはそれよりも気になる点があった。他ならぬ自分の顔である。すでに手術は終了しており、担当してくれた老齢の医師も「成功した」と言ってくれている。


 気になって仕方ないので、私は男性医師と一緒に立っている看護婦さんに頼み込んで鏡を用意してもらった。受け取った手鏡で自分の顔を確認すると、誰だかわからないくらいに包帯がグルグル巻きになっていた。

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