第10話 称賛と赤面

 天敵とも呼べる存在の北川希が絡んでこなくなったこともあり、私は集中して勉強や運動に取り組めた。小テスト等で満点を取る機会も増え、周囲の私を見る目もおおいに変わった。加えて虐めるような人間もいなくなったので、流れに乗るような形で悪口を言う連中も減少した。


 そしてさらに月日は経過し、高校生として迎える最後のお正月がやってきた。受験生に冬休みなどのイベントは関係ないけれど、この日ばかりは多少リラックスしようと考えた。


 大勢ではないものの、親戚が集まるので顔見世は必要になる。バイトをしていない私にとって、お年玉という収入を得られる最高の機会でもあった。

 リビングが騒がしくなってきた頃に、自分の部屋からお宝をゲットしに向かう。こちらは普通に登場しただけなのに、親戚陣からは「おおー」と歓声が上がった。どうしてだろうと考えている間に、誰かが理由を説明するかのような台詞を発した。


「ずいぶんと痩せて、別嬪さんになったなぁ」


 言われてようやく、そういうことかと納得する。一年前の太った私を知っている親戚にすれば、別人かと驚いてもおかしくない。実際に肥満から脱し、もうすぐ標準体重というところまできている。

 だからといって、顔立ちまで劇的に変化するものではない。別嬪さんという褒め言葉は、相手が親戚だからこそだ。


「勉強も頑張ってて、良い大学に入れそうなんだってな。お父さんが自慢してたぞ」


 目に見えて私の成績が上昇したため、父親もここぞとばかりに有頂天になっていた。若干、鬱陶しかったりもするけど、これまで他人に誇れる点などなかった不肖の娘だっただけに、せめて今ぐらいはおおいに自慢してくれればいいと思うようになった。


 親戚には一応「そんなことはありません」と謙遜しておく。あまり調子に乗りすぎても、好印象は得られない。それこそ北川希みたいな美人なら、相手の言葉を肯定しても嫌な感じを与えないかもしれないけど、私の場合は違うのだ。


 だからといって、今さら容姿どうこうを言うつもりはない。両親から貰ったDNAによって造られた顔だけは、自分の力でどうにもできないのはわかっている。ゆえに現在、一生懸命に顔以外の部分を鍛えているのだ。おかげで幸いにして、一流どころの大学にも受験できる状況になっていた。


「何にせよ、努力するのはいいことだ。どれ、ご褒美をやろう」


 お正月らしく、すでにお酒を飲んでいた親戚の中年男性が、真っ赤な顔で懐へ手を入れる。取り出したのは、私が待ち望む小さな紙袋だった。


   *


 親戚の方々からお年玉を回収し、私は部屋へ戻ってきた。両親は私が子供の頃から、お年玉の管理を任せてくれているので、机の引き出しには、これまで貰ってきた分が入っている。お小遣いも毎月きちんと貰えていたし、ファッションにはとんと興味がなかったので、お金の使い道といえば食べ物関係がほとんどだった。


 なのでお年玉を使うまでもなく、十分な日常生活を送れていた。加えて現在では買い食いもしておらず、参考書等を購入する際の必要なお金は全部、両親が出してくれている。支払いがなければ増えるのが当たり前で、貯金箱の中には結構な額が入っていた。高校を卒業するまでは使う予定もないので、このまま貯めておくつもりだ。


「よし」


 今回貰ったお金をしまい終えてから、再び私は受験勉強を開始した。


   *


 ラストスパートを経て、いよいよ受験の日がやってくる。選んだのは超がつくほどではないけれど、そこそこ名前を知られている大学だった。一流のカテゴリーに入るくらいのレベルなのはもちろん、住んでいるところから遠く離れている場所にある。そこが一番の魅力だった。


 日本の首都ほどではないにしろ、なかなかの都会なので、私の計画を実行するには都合が良い。当然、そんなことまでは両親に教えていない。どうして該当の大学を選んだのか聞かれて、理由を説明するのに苦労したのを今でもはっきり覚えている。


 現在の学力なら、もっとレベルの高い大学も狙えたので、通っている高校の教師たちもずいぶんと残念がった。できるならお世話になったお礼に、誰もが知ってる超有名大学へ挑戦すればよかったのだけれど、こちらの目的はあくまでも合格だった。


 チャレンジャーになりすぎて、浪人という事態だけは避ける必要がある。そうでなければ、ここまでの努力が水の泡――とまではいかなくとも、かなりの変更を強いられるのは間違いなかった。ゆえに、ほぼ確実に合格できる大学を選んだのだ。


 両親に駅まで送ってもらったあと、新幹線に乗って目的の大学へ向かう。別に緊張はしない……と言いたいところだったけど、現在の私は足をプルプルさせるほどのプレッシャーに襲われていた。手のひらに人と書いて飲み込んでみるけれど、やはりというべきか、目立った効果は期待できなかった。何をしても緊張するならばと、参考書を開いて気を紛らわせようとする。


 しかし、これが失敗のもとだった。重度の緊張に、下を向いて文字を読むという行為がプラスされ、ものの見事に酔ってしまった。一度気持ち悪くなるとどうにもならず、立ち上がってトイレを目指す。その際に電車が揺れ、たまらずバランスを崩してしまう。


「おっと。危なかったね」


 転びそうになった私の身体を支えてくれたのは、同年代と思われるひとりの男性だった。

 私にとって、該当男性の行動は実に新鮮だった。これまでなら、支えられるどころか傍観。下手をすれば、避けられる可能性もあった。


 それがあろうことか両肩をガッチリ掴まれ、しっかりと身体を固定してもらっている。汚いと罵られることも、舌打ちをされることもない。私のすぐ後ろにいる男性は、純粋に倒れそうになったところを助けてくれたのだ。


「大丈夫だった?」


 改めて声をかけられて振り向くと、ドラマみたいなイケメン――ではなかったけれど、それでも普通の部類に入る男性が立っていた。


「だ、大丈夫です……」


 意識してるわけでないのに、どうしても声が上擦る。このような展開は生まれて初めてなので、ある意味で当然だった。男性の表情を観察してみる。嫌がってる様子はなく、本気で心配してくれているようだ。


 相手と比べれば、こちらはお世辞にも平均レベルの顔とはいえない。ネガティブになっているのではなく、それが現実なのだ。自分という存在を正しく認識した上で、何をどうすれば変われるのかを思案する。痩せて標準体重になっただけでも、多くの人たちから嫌悪されなくなった。やはり私の進んでいる道は合ってるのだと自信が持てた。


「怪我とかがなければ良かったよ」


 そう言って男性が、私の肩から手を離した。つい先ほどまで異性の手で触れられていたと考えるだけで、顔面がカーっと暑くなる。免疫の無さもここまでくると、表彰ものだなと内心で苦笑する。


「ありがとうございました」


 助けてくれた男性を逆ナンパする度胸なんてないので、素直にお礼だけを告げる。この調子では会話が弾むはずもなく「どういたしまして」と応じた男性が、自分の席へ戻っていく。名残惜しさを感じる余裕もなく、まだドキドキしている心臓をなんとか落ち着かせようとする。トイレへ行くという目的も忘れて、挙動不審気味に私も自分の席に座った。


 一連の出来事のおかげで、酔いはどこかへ消えていた。緊張も一緒に連れて行ってくれたのはありがたかったけれど、今度は違う意味で心の余裕をなくしていた。もう一度視線を参考書へ移すも、新幹線に酔ったりしなかった。けれど内容も頭に入ってこない。冬だというのに顔は熱いままで、時間の流れさえわからなくなる。結局、目的の駅へ着くまで、私はひたすらポーっとしていただけだった。


「こんなんじゃ、駄目よ。しっかりしないと」

 浮ついた状態では、受験に失敗する可能性が出てくる。駅のホームへ降り立ったあと、改めて気合を入れ直した。


   *


 事前に用意していた地図を片手に、入試を受ける大学を目指す。といっても大学行きのバスがあるので、それを利用すればいいだけだ。駅を出ればすぐにバスプールがある。目的地と時刻表を確認したあとで、目当てのバスに乗る。公共の交通手段を使うのは前々からわかっていたので、小銭は十分に用意してある。


 降りる駅名と値段を確認してから、空いている席に座る。私と同様に遠方から試験を受けにやってきたのか、様々な制服を着用した高校生らしき若い男女が車内に数多くいる。ここでも私は、昔との違いを実感する。

 以前なら一見されただけで笑われたり、嘲りの視線を向けられたりした。それが現在は、新しい客が乗ってきたかというぐらいで、すぐに興味なさげに目を逸らされる。普通の人間なら当たり前なのかもしれないけど、私の場合は違った。もの凄い美人だと見つめられたりはしなくとも、現在はこれだけで満足だった。


 できる範囲での努力が、見事に結果という実をつけてくれた。ますます実施してきた過程に自信を持てた。新幹線内での出来事も合わせて、十分すぎるほどテンションを上げる材料になった。これならいい感じで入試に望めそうだ。


 バスが大学前へ到着すると、乗っていた学生たちがぞろぞろ降り始める。もちろん、その中には私も含まれる。パンフレットでは何度も見ているけれど、改めて実際目にすると、なんとも言えない気分になる。本番前は軽く合格できるだろうと思っていた。


 ところが大学へ着くなり、この緊張感だ。重大な勘違いをしていたとわかり、自分自身に恥ずかしさを覚える。学力の増加に伴い、いつの間にか私の中に慢心が住み着いていたのだ。

 落胆しかけたところで、入試前に自分の油断に気づけてよかったと思い直す。すべてが終わったあとに後悔するよりはずっとマシだった。逆にモチベーションのアップに成功した私は、心地良いプレッシャーと一緒に受験会場へ向かった。


 試験を受けるための教室へ着けば、あとはあっという間だった。入試は数日間行われる予定なので、出発前に電話予約していたホテルへチェックインをする。フロントの男性に笑われたりもせず、ごく普通にベルガールの女性に宿泊予定の部屋へ案内してもらえる。


 かつての私の被害妄想が強すぎただけかもしれないけど、どうしても思考がそうなってしまう。いわば条件反射みたいなものだ。けれど今日までの努力で、そうした感情を抱くこともなくなりつつあった。シングルの部屋でひとりになると、まずは携帯電話で家にいる母親へ連絡をとる。

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