加藤雄介、異世界へ行く

 東が予期せずして加藤と妖精ちゃんに遭遇してしまった時から、少し時間は遡る。


「よし、準備完了だ。行くぞババア」


「ババアはやめてよ! って言っても無駄なんだもんね。ふーんだ。でも今は我慢してあげる。じゃないと連れてってもくれなさそうだし……」


 加藤雄介はこの日、以前自身が召喚された異世界へと赴こうとしていた。

 彼は、かなり無駄なことに魔力を使うことが偶然にも多かったこの四月を終えると、気付けば容量は半分以下まで消耗していたのだ。

 土田から無様に逃亡したり、動きたくないからと鼻をかんだティッシュを魔法でゴミ箱に放り込んだり……

 そういった諸般の事情により、通常よりも早い段階での異世界行きが強制的に決まってしまった。ゲートを開く魔力が無くなる前に行かなければ、永久に魔術が使えなくなる。

 そんな加藤には、今回は目的地がある。

 異世界での魔力補充とは、向こうで数時間の瞑想を行うだけで済む話なので、どこかへ行く必要など、本来はない。

 しかし、上手いこと今回の渡航で妖精ちゃんを置いてくることを決意している加藤は、彼女の飼い主の所へ赴く予定を立てていた。


「じゃあゲート開くぞ。……フン!」


 気合を入れて次元を切り開く魔法を発動すると、空間がねじ曲がり亀裂が生まれる。力任せに形作られたその異形は、酷く不安定なものだ。


「は、何回見ても嫌なことを思い出すなこいつは」


 そしてそのゲートは、仕方がないとはいえ、やはり様々なことを加藤に想起させる。加藤はできれば見たくない代物なのだ。

 

「まあまあ、あなたも結局は今ゆったりとした生活が遅れてるんだから、そう悲愴な顔をするものじゃないわよ。それじゃ、しゅっぱーつ!」


(けけ、今に見てろこのババアが。これでオサラバしてやる)


 そして、二人はゲートに触れると、その場から消え去ったのであった。


――


 二人がゲートを通って辿り着いたのは、異世界屈指の大国ソウザの首都近くだ。以前加藤が召喚されたのはこの国の召喚魔法陣によるもので、加藤には苦い思い出として残る。可能ならば、ここには来たくないという気持ちが強い加藤。

 しかし、転移先として設定できるのが、ここソウザのの近辺だけなので仕方がなかった。


 これは、世界唯一の召喚魔法陣がソウザにあることが関係していた。

 そもそも加藤が行った異世界転移はこの世の理を捻じ曲げるもので、本来はそこの召喚魔法陣からしか転移は出来ないのである。

 そのため、本家本元の力に引っ張られるかのように、転移先が固定されてしまうのだ。

 そのせいで、前回の加藤は妖精ちゃんに捕捉されてしまったのであった。

 加藤は、今回は、知り合いに似たようなことを考える輩がいないことを祈っていたが、その心配は杞憂に終わったようだ。そんな物好きはいない。はずだ。


「よし、大体指定した通りの場所に来れたな」


 首都ソウザの近くとは言っても、二人が転移してきたのは、ソウザから近隣の町へと続く最も大きな街道のロードサイドに位置する、フィゼルと呼ばれる森の入り口だった。

 加藤がここを転移先に選んだことには、とある理由がある。


「着いたー! いやあ久しぶりねここも。あー気持ちいい、魔力が漂ってるわ」


「それじゃ、お望み通り飼い主さんに会いに行くぞ」


「元気かなあ? 三か月ぶりだからね!」


 そう、加藤は妖精ちゃんを元の場所に帰す計画を実行しようとしていた。そのため、妖精ちゃんが以前暮らしていたこの森へやって来たのだ。


 首都よりほど近い所にあるこの森は、加藤が妖精ちゃんと始めて出会った場所だ。パーティメンバーが一人もいなかった加藤が妖精ちゃんの治癒能力の噂を聞きつけて、仲間にするべく立ち寄ったのだ。

 実はこの妖精ちゃん、加藤の最初の仲間だったのである。その仲間に対する非常な仕打ちは、愛情の裏返しでもある。優しくし過ぎると付け上がるのがお調子者の性だからだ。


「確か、ここは魔物もほとんど出ないよな。出た所で雑魚しかいないとは思うけど」


「そうね! そうじゃないとこんな所に住まないわよ、あの弱虫な子じゃ」


「だよな、怠け者。じゃあ行くぞ」


 意味もなく妖精ちゃんを罵倒した加藤は、文句をこねる彼女を無視して出発した。

 二人が獣道を抜け、森の奥地へと進んでいく。人道は整備されていないのだ。

 草木をかき分けて進んでいくと、ものの数分程で目的の場所に辿り着いた。

 そこにあるのは、生活感がある小屋だ。この小屋がある辺りだけ、丁寧に雑草が刈り取られた開けた場所になっている。

 小屋の周りには、野菜が育てられている農園が広がっていて、自給自足を思わせる雰囲気があった。

 二人は、そこで作業をしている見知った存在に気づいた。


「いたぞ」


「本当だ! おーい、帰って来たわよ、オフィーリア!」


 彼らが農作業をしているエルフの女性を視界に収めると、まだこちらに気付いていない様子のエルフに向かって妖精ちゃんが声を掛けた。


 そして、オフィーリアと呼ばれた彼女も二人の存在に気付くと、一瞬呆けたような顔を見せた後、全力で駆けるように二人の元に移動してきた。思わずビビった二人は、マヌケな顔を晒す羽目になった。


「妖精ちゃん!! あなた今までどこに行ってたの!?」


「どこって、ユースケの世界にだけど……」


「ユースケ? ……あ、勇者様! あなた勝手に私の妖精ちゃんを連れ出すとは何事ですか! いくら勇者様とはいえ、訴えますよ。これは誘拐なのです!」


「ちょ、ちょっと落ち着けよ!」


 ものすごい剣幕で加藤に詰め寄るオフィーリア。

 そんな彼女は、エルフと呼ばれている種族だ。

 縦長の尖った耳と色白の肌が特徴的な、容姿だけなら人は彼女のことを美人と称するだろう。しかし、人が住んでいない森に住む彼女は、変人の一種だった。

 オフィーリアに誘拐などと言われても、加藤には当然身に覚えがなかった。なぜなら、妖精ちゃんこそが勝手に着いて来たのであって、彼が連れ出す道理はないからだ。かつての勇者パーティは、とっくに解散しているのだ。

 加藤はまさか、と妖精ちゃんに尋ねる。


「お前、ちゃんとオフィーリアさんには伝えてあるって言ってなかったか!?」


「お、おかしいわね……もしかして、言った気になってただけ、かもね? なんて、あはは」


「あはは、じゃねーよこの野郎! お仕置きしてやるからこっち来い!」


 体を鷲掴みにして上下に、左右に振る。妖精ちゃんが抵抗できないこのお仕置きは、イタズラをする度に受けている罰だ。大抵の場合は、妖精ちゃんが悪い。


「いやー! 助けてオフィーリア!」


「勇者様、いけません! 私の可愛い妖精ちゃんを虐めないでください! 妖精ちゃんが、妖精ちゃんが苦しそう! チビなんだから、潰れちゃいますよ!

 ……でも、お仕置きには賛成です。どうやらこの子が悪いようですから」


 息も絶え絶えに、妖精ちゃんが言い残した。


「ち、チビとかババアとか、みんなちょっとひどくない……?」


 結局その後、妖精ちゃんが双方に謝罪をすることで、この場は収集が付いたのであった。


――


「へぇ、それでこちらにいらしてたんですか。難儀なことですね」


「全く、面倒なことこの上ないよな」


 加藤雄介は、種々の事情をオフィーリアに説明していた。そして、能天気にもお気に入りのハンモックでぶらぶらと揺れている妖精ちゃんをチラリと見る。


「気持ちいいー」


 結局どこにいてもだらけているその姿は、元伝説のパーティメンバーとはとても思えないものだ。普段の自分のだらしなさは相変わらず棚に上げて、少しイラッと来る加藤であった。

 最早憂いはないと、加藤は妖精ちゃんを置いて行く計画を実行に移す。

 加藤は妖精ちゃんに気付かれないように、小声でオフィーリアにあることを持ち掛けた。


「実は……妖精ちゃんをここに置いて俺は帰ろうと思ってるんだよ。協力してくれないか?」


「え、勇者様、結構サイテーなことをおっしゃいますね。でも、彼女にはここにいて欲しいので、よろしいですよ」


 そこで語られたのは、瞑想をこれからここで行い魔力を回復させる。回復するころには夕方を過ぎているだろうから、夜の闇に紛れて自分が逃亡する。その間妖精ちゃんを引き付けておいて欲しい、というものだ。サイテーである。

 そしてオフィーリアは、その作戦を承諾したのであった。彼女としては別世界を気に入っているらしい妖精ちゃんの意思も尊重してあげたいところだが、何よりも自分の所に戻ってきて欲しいという気持ちが強かった。


「じゃ、頼むぞ。今夜、妖精ちゃんを引き付けておいてくれ。ここに一晩泊まることは伝えてあるから」


「オッケーです」


 そしてその日の夜。オフィーリアが気を引いている間にこの家を抜け出してこっそり帰るという浅い計画を実行に移すべく、加藤は動いた。

 妖精ちゃんは現在、オフィーリアが注意を引き付けている。加藤の世界で知ったことを得意げに語っている彼女は、実に満足げな表情を浮かべていた。

 じゃあな、と心中で一方的な別れを告げた加藤は、瞑想を行っていたゲストルームの窓からこっそりと外に出た。ほくそ笑む加藤。


 しかし、加藤は読みが甘かった。妖精ちゃんは以前、加藤の魔力を捕捉してゲートに無理やり着いて来た、つまり、妖精ちゃんは今でも当然ながら彼の魔力を感じ取ることが出来るのだ。ストーカーじみた行為である。


「……おかしいわね。加藤の魔力が遠ざかっていくわ」


「へ? ど、どうしたの妖精ちゃん。そ、そんなわけないじゃない」


 明らかに狼狽えた様子を見せるオフィーリアは、凄まじく演技が下手だった。加藤は協力者の選定に失敗していた。


「まさか、ユースケ!」


「だ、ダメよ妖精ちゃん!」


 加藤の計略を察したのであろう妖精ちゃんは、あっという間に小屋を出て遠ざかって行った。その姿を呆然と眺めるしかないオフィーリア。


「……行ってしまいました」


 一方で、加藤は森の僻地まで移動していた。十全に蓄えられた魔力によって短時間でそれなりの距離を移動したのだ。

 そして、その魔力を用いてゲートを開く準備をしようしたその瞬間だ。

 

「ユースケ―! あんたふざけんじゃないわよ!」


「げぇ! オフィーリア、失敗しやがったな!」


 あっという間に追いついた妖精ちゃんが加藤に近づいてくる、その時だった。

 加藤は、妖精ちゃんの後ろから迫る魔物の存在に気付いた。


「危ねぇ!」


「ちょっと、何よコイツ! なんで魔物が……きゃあ!」


 突如出現した魔物への対処が遅れた妖精ちゃんは、その一撃をモロに受けてしまう。

 妖精ちゃんは、慎重に急いだ加藤とは対照的に、夜の森を何の対策もせずにここまで高速で移動して来た。つまりそれは、目立つ。魔物を引き付ける格好のエサになっていた妖精ちゃん。魔物は人の魔力を喰らうのだ。

 出現した魔物はキルケスと呼称される魔物で、偶蹄目ぐうていもくの家畜にも似た、決して強いとは言えない魔物だ。だが、どれだけ強い力を持つものでも、不意打ちや奇襲に対応するのは難しい。


「くそっ、食らいやがれ! 炎熱波フレイム・ウェイブ!」


 加藤がキルケスに向けて使用したのは、炎の奔流で敵を焼き尽くす魔術だ。

 それを避けられないキルケスは、いとも簡単に絶命した。その死を確認してから、木々に火が燃え移らないようにしっかりと消化した加藤は、妖精ちゃんに駆け寄る。


「おい、大丈夫か?」


「う、うん。平気。もう治療も終わってるわ」


「……お前、バカか!? どうせ夜の森を物音立てまくりで追ってきたんだろ? そりゃ魔物が嗅ぎ付けて来るに決まってんだろうが!」


「ご、ごめん……」


「謝れば済む問題じゃ……」


 加藤がそこまで言いかけて、妖精ちゃんの様子がいつもと違う様子に気付いた。いつもの元気がないことを不思議に思った加藤に、妖精ちゃんは――


「お、置いて行くなんて、その、寂しいじゃない……」


「へ?」


 らしくない彼女のしおらしさを目の当たりして、アホみたいなリアクションをとる加藤。


「おいおいどうした。らしくないぞ。……もしかしてお前、泣いてるのか?」


「な、泣いてないし!」


 加藤から顔を背けた妖精ちゃんの瞳には、彼女の本音を示すかのように、大粒の涙が貯まっていた。一緒に帰りたいのだと。


「なあ、悪かったよ。もう、置いてくなんて言わないから、泣くのは勘弁してくれ……」


 女の涙には滅法弱い加藤だった。チョロい。


――


「じゃあ、家の子をよろしくお願いします……うぅ」


「ちょ、ちょっと、別に永遠に会えないわけじゃないんだから、泣かないでよ。こんなことで泣くなんて、あなたもまだまだね」


 結局オフィーリアも妖精ちゃんの思いに負けて、異世界行きを許可していた。

 しかし妖精ちゃんのその一言を聞いた加藤は、バカにするように小さく呟いた。


「……お前も泣いてたクセに」


「う、うっさいわね! あれは気の迷いというかその、そう、地球の文化が気になるだけよ! 勘違いしないで!」


「はいはい、そういうことにしといてやるよ」


「なによ、そのお前のことは分かってますよみたいな言いぐさは!」


「うるせぇぞババア! 連れて帰ってやるだけありがたく思え!」


「まあまあ二人とも喧嘩は……」


 どこまでも素直になれない二人だった。


「とにかくオフィーリア、また戻ってきたら顔出すから安心しろよ。こいつは一応俺が守っておくからさ。これでも、大切な仲間なんだ」


「それ、ユースケの好きなアニメで、ミーコちゃんとかいう人に男の人が格好つけて言ってたセリフのような……」


「じゃあな! 元気で!」


 無理やり会話を終わらせた加藤は小屋を後にした。

 

 それから、フィゼルの元来た道を戻って、異世界来訪時の位置まで二人は帰って来た。加藤は、回復した魔力でこちらへ時よりも安定したゲートを出現させた。


「んじゃ、帰るぞ。忘れ物とかないか?」


「ええ、オッケーよ!」


「それじゃ、カバンに入ってくれ」


 本来人一人がギリギリ通れるほどの隙間しかないゲートを妖精ちゃんが潜るには、加藤の荷物に紛れ込むしか方法はなかった。


「ちょっと、やっぱりここ狭いわよ」


「行きもそうだったんだから我慢しろよ。確かにちょっと荷物は増えてるけど……」


 そんな加藤がゲートへと足を踏み出そうとした、その時だった。


「ユースケ様!」


 突如聞こえてきた何者かの声。聞き覚えのあるその声に嫌な予感がした加藤が声のする方向を見ると、ひとりの女性がドレス姿でこちらへと走って向かってきている所だった。


「げぇっ、お姫様か! なんでここが……」


 嫌な予感が的中した加藤に、一国のお姫様が叫んだ。そこに、王族としての威厳など微塵もない。


「どうして私を連れて行って下さらぬのですか! 妖精ちゃんだけズルいです!」


 彼女は、以前妖精ちゃんが加藤の世界へと連れ立って行ってしまった話を加藤の元パーティメンバーから聞いて、自分も加藤の世界に行ってみたいと思っていた。

 そして、妖精ちゃんのように魔力を探知してここを捕捉したのだ。第二のストーカー現る。


「やべぇ、さっさと帰る……あぶね!」


 加藤は急いでゲートに入ろうとすると、突然のお姫様登場に体が上手く反応せず、足元の石に躓いた。転倒しながらゲートに飲み込まれる二人。


「やっば……! 座標がずれる!」


「ちょっとユースケ、何が起きてるのよ!」


 加藤が開いたゲートは狭いので、丁寧にゲートインしなければ座標がズれてしまうのだ。

 そして完全に全身をゲートに包まれた二人は、その場から姿を消していた。


「あー! もう、酷いです勇者様。……次は逃しませんよ」


 獲物を捉えるハンターのような目をしたこの国のお姫様は、そう言ってゲートが消えた地点を眺めると、踵を返し次の機会を待つことにしたのであった。


――


「うおぉぉぉぉぉ!」


 予期せぬ事態にパニックになる加藤。本来の座標からズレることが危険なことを承知していた彼は、不測の事態に備えた。

 そして、ゲートを抜け終わる。


「イテテ……ここどこだ? って、部室じゃねぇか! ビビって損したぜ」


 加藤が最初に目にしたのは、見慣れた壁だ。どうやら自分がテーブルの上に落下したらしいと理解した加藤。テーブルはヒビが入っていしまったようで、確実に加藤は後で制裁を受けることになるだろう。

 そんな加藤の物言いから、無事戻れたのだと判断した妖精ちゃんがカバンから身を出した。


「いきなりお姫様が来るなんて、焦ったわねー。私ぐらいしかゲート通れないのに、お間抜けさんね」


「オイ、元はと言えばお前が……あれ?」


「加藤……君?」


 加藤は硬直した。


 そこにいたのは、東龍太郎並びに、明らかに人間ではない力を感じさせる、小さな女の子だ。


(姫様、勘弁してくださいよ……とんだトラブルメーカーだよあんたは)


 己の運の無さを呪いたい加藤であった。

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