土田のマッスル受難

 土田慎也は夢を見ていた。

 それも誰が見ても、それこそ異世界経験のない人間が見ても、ほとんど悪夢と言っても差し支えない内容の夢だ。


 それは土田が高校生の頃に異世界に召喚されてからしばらく経った頃。

 すでにヤンキーとしての土田は死んで、新たな土田に生まれ変わっていた頃の話だ。まるで洗脳されたかのように。

 大陸の首都に位置付けられている都、その中心に構えられたマッスル宮殿と名付けられた明らかにふざけているとしか思えない場所に土田はいた。

 数々の武勲を立てていた彼は、まさに八面六臂と言える活躍を戦場でこなしてきた。それはもちろん、元の世界に帰りたいという強い気持ちがそうさせていた。世界間を渡るためのゲートは、帰還の条件として魔王と呼ばれている敵軍の総大将を倒さなければ起動しないのだ。

 この頃にはすでに、大きな部隊のリーダーとして敵軍との戦線維持に努めていた土田はその実力が認められたのか、勲章を授与されることになったのだ。今はそんなことをしている場合ではないと反発した土田だったが、直接王様に召喚されてしまったため、仕方がなく授与式にはせ参じたのだ。

 そこで行われたのは、謎めいた儀式。土田はいたく混乱した。

 宮殿の王が土田に勲章のバッジを渡すと、周囲を突然筋肉ダルマに囲まれる。当然のように全員が上半身を晒して、その筋肉を見せつけるのだ。

 そして周囲を取り囲む筋肉ダルマは、意味不明な呪文を唱え始めた。

 困惑する土田に対し、おめでとうと言わんばかりにニコニコとポージングをする王とその妃、そして宮殿の兵士たち――


 一様に己の筋肉を見せつけて来るその光景には、目眩とともに慟哭するかのような衝撃を彼に与える。

 つい数日前まではシリアスな戦争に身を置いていた土田は、自分が異世界にいるのにまた別の異世界に来たような気分になっていた。無理もない。


(やめろ、やめてくれ、頭がおかしくなりそうだ)


 そこまで苦しんだ彼は、徐々に悪夢から目覚めていった。


 そして目が覚めると、視界が筋肉で埋まっていた。


「おおぉぉぉ?!」


 寝起きの体を無理やり動かして、思わず飛び起きる。一瞬で眠気が吹き飛び目を見開いた彼の目の前には、ベッドの横に立つ、筋肉ダルマがいた。彼は土田の寝顔を覗きこんでいたのだ。それも、明らかにサイズが合っていないピチピチのライダースジャケットを着ている。まさかこいつは、と当たりを付けた土田。紛れもなく、以前自分が助けて異世界に送り返した男だと確信した彼は、男のリアクションを待った。

 平然としたように喋り出したその内容が、これまた彼を混乱させたのだ。


「……つちだ、おまえ、に、おれい、いいにきた」


「は、日本語? どうなってんだこいつぁ……」


 その奇妙な光景にまるで悪夢のようだと感じた土田は、悪夢から目覚めてさらに追い打ちを掛けられたことに、気分が優れないようだ。あの不気味な連中の一人が、日本語を喋っているのだ。

 しかし同時に、異世界の筋肉ダルマがいるということは、あのゲートが再び開いているのだということに土田は気付く。欠伸をしながら背筋を伸ばした土田がおっさんに問う。


「ふぁ……おっさん、ゲートは開いてるんだな?」


「そう、おまえ、ねらわれてる、わがくにのえいゆう、たすけたい」


「……お前、あの国の出身か。礼ならよせよ。やらされてたことだ……くそっ、嫌な夢を見ちまった」


 土田がかつて異世界で、魔王の侵攻から救った国の住人であることが判明したライダースジャケットのおっさん。彼が土田に伝えたのは、お前には危険が迫っているということ。これを聞いてしまっては、土田はそう悠長にはしてられないとさっさと寝間着を脱ぎ捨て、動きやすい服装に着替えた。要は、ジャージである。


「おっさん、ここにいろ。あんた兵士じゃなさそうだから、戦いに巻き込またらひとたまりもねぇぞ」


「いや、わたし、てつだうよう、いわれて、おうさまに。たたかうちからはあまりないけど、がんばる」


「……マジか」


 土田は滅茶苦茶驚いた。戦闘員でもない彼が、一体どうして自分の所まで来ることになったのか、甚だ疑問だったからだ。だが、敵は恐らくまた一人だろうと勝手に独り合点したのか、連れていくことにしたようだ。別にサポートも必要ないのではないかと。土田の目測は大きく外れることになる。

 いつものように敵が一人であるならば、わざわざ仲間が派遣されてくるはずもなかろうに。


「行くぞおっさん。またバイクに乗せてやるよ」


 そして自宅を出てゲートまで向かっていた土田を、突如筋肉集団が襲うのであった。


――


「どうなってやがる! 何て数だ!」


 土田は戦っていた。相手は、これまで彼が日本では一度も経験したことのなかった五人もの敵兵だ。しかも、巧みに日本語を操り土田を襲う。その不気味さゆえか、土田の動きは若干精彩を欠いている。全盛期を過ぎているとはいえ、驚きの連続に久しくなかったその非日常感をひしひしと感じとる土田。


「貴様がいなければ、我々は勝利を収められたのだ! 貴様さえいなければ……」


「てめぇらが弱いからだろボケ!」


 そういうと土田は、最初の一人を沈めることに成功した。右フックを一閃しただけで衝撃波が発生し、周囲のアスファルトが破壊された。不思議なパワーだ。ここが滅多に人が来ない旧道でなければ、周囲の人間に危害が及ぼされたことだろう。

 こんな状況に彼が陥ってしまったのは、土田がゲートの発生している倉庫までの道を走行していると、歩道を高速で走って追従してくる筋肉集団の存在に気付いてしまったからだ。周囲の人達には、悪い夢か何か、あるいは幻覚のように見えたことだろう。異様でしかない。

 そんな変態どもを野放しにするわけにもいかず、コースを変えて戦闘の場として選択したのが、この旧道だったというわけだ。


 ちなみに、戦闘開始後すぐに戦力外通告を土田より受けたおっさんは、バイクの横で待機していた。何か秘められた力があったりするわけでもなく、本当に戦う力を持っていないのだ。役立たずにも程がある。


 そして土田が戦いの中で懸念していたのは、いくら旧道とは言え、絶対に車が通らないというわけではないことだ。

 目撃されることよりも、危険だという意識が先に浮かんでいた土田。最悪の事態を想定して戦っていた彼に、あろうことか現実のものとして降りかかってしまう。

 道路上で戦いを続ける彼らの後方から、自動車が走って来たのだ。まだ、近くはない。


「くそっ、てめぇらどきやがれ!」


 しかし、そんなことなど意に介さないように襲い来る敵兵たちの相手をしている内に、それなりにスピードが出ている車が突っ込んでくる。どんどん接近してくるその自動車のフロントガラスから見える運転手の表情を、驚異的な動体視力を持つ土田が捉えた。

 すると、運転手はこの世の終わりのような顔をしていた。このままでは、彼の車が危険だと土田は判断した。もちろん、その命も。自分の秘密がバレることなど最早頭から飛んで行った土田は、ある行動に出た。


 なんと土田が取った行動は、一瞬で周囲の敵を吹き飛ばしてスペースを確保して、車を自分が止めるというものだ。完全に常軌を逸した判断とされてもおかしくないのだが、彼にはそれが出来る。出来てしまう。


「吹き飛べ!」


 数秒にも満たない時間で不思議パワーを解放して、オーラのような弾丸を周囲の敵に向けて放つ。超スピードで接近するこの攻撃に耐えることが出来ないと判断した敵兵たちは、緊急回避を選択する。そしてついに、車はここまで到達した。


「んぐっ!」


 運転手は咄嗟に急ブレーキを踏むも、その時出ていたスピードでは当然、制動距離は凄まじく衝突のエネルギーも大きい。

 だが土田は靴を摩擦で削りつつも、包み込むように衝撃を逃がすことに成功する。一方、この世のものとは思えない状況に混乱しつつも、脅えたような表情を浮かべながら運転手は走り去っていった。土田の作戦は成功したのだ。

 その事実に土田は安心するも、敵はまだ残っている。彼が戦闘を再開して雑魚をなぎ倒し、残り二人まで追い詰めてあと少しだ、という時にそれは現れた。背後から気配を感じた土田は、即座に振り向いた。もちろん、前方の敵への警戒は怠らずに。


「そこまでだ」


「……あ? 誰だお前」


 傷つき倒れた敵兵の間をすり抜けて土田の元に向かってくる男。

 その男は、衣服を纏っていた。布一枚の簡素な羽織物だが、土田は警戒を強めた。

 その服は、異世界では幹部の証とされているのだ。土田が打ち倒してきたかつての強敵も、雑魚とは違ってなにかしらの衣服を纏っていたのだ。

 つまり、強敵。


「貴様も先ほどのように、一般人に被害が及ぶようなこんな所で戦うのは忍びなかろう。どうだ、本日の夜に静かな場所で私と一対一でし合おうではないか。我らとて、民間人を巻き込むのは本意ではない」


「……望むところだ。こっちも雑魚ばかり相手にした所でキリがねぇと思ってたぜ」


 その男が指定したのは、昼間とは違い夜間にはほとんど人がいない川原公園だった。男は名すら名乗らず、動けなくなっていた部下に情けを掛けるように殴打を加えていき、部下を皆帰還させる。


「我らの王を倒した罪は重いぞ。英雄などと呼ばれているそうだが、私は絶対に貴様に負けたりなどしない。次に会う時が、貴様の最後だ」


「ほざけ」


 まるでどっちが悪役なのか分からないほど口が悪い土田に対して、男は憎悪が乗ったその瞳を明後日の方向に向けたと思うと、生き残った部下と一緒にその場を去っていくのであった。


――


 そして、運命の夜が来た。

 川原公園には人通りはない。土田は周囲の安全が確保できそうな広場を探し当てると、中央に陣取った。奇襲に対応するため、全方位を見渡せる場所を選択したのだ。

 しかしその心配は杞憂に終わる。

 堂々と土田の正面からやって来た昼間の敵幹部の男は、一歩一歩、大地を踏みしめるように広場へとやって来たのだ。相当な気合と覚悟を持ってここまでやって来たのだろうことが窺える。大将の、引いては部下の敵を討たんとするために。部下は、死んではいないのだが……


「待たせたな、シンヤ・ツチダ。私の名は――」


「これから倒す奴の名前なんざ、興味ねぇな。構えて、掛かって来いや」


「……いいだろう。その心意気や潔し。では参る」


 武人気質を見せつけているおっさんは一般人からしたら変態にしか見えないビジュアルをしているが、それなりの兵法者でもある。見た目からは分からないこともあるものだ。


 男は地を蹴り、土田に肉薄しようとする。初撃に選択したのはミドルキックだ。

 土田はバックステップを踏んでまずは互いの距離を見極める。男が繰り出したミドルキックは空を切ったことで、どうやらリーチは自分の方に分があるようだと判断した。

 ジャブを繰り出してから返す刀で放ったのは同じくミドルキックだ。

 しかし男も幹部の座についているだけのことはあり、土田の攻撃を同じような挙動で回避した。挑発するかのようなその行動に対して、土田は冷静だ。このようなことで揺らぐほど阿呆ではないのだ。段々と勘を取り戻していく。


 しかし、突如その時は訪れた。

 寝技に持ち込もうとしてタックルを選択した土田だが、切られてしまう。そして振り向き様の追撃に対処できるよう大きく横に飛んだ。互いの体制が入れ替わり、土田の視線が180度入れ替わる。そこで土田があることに気付き、注意が散漫になってしまう。

 高梨有里沙が、そこにはいた。いきなり彼女が現れては、さすがの土田も動揺を隠せなかった。その隙を見て、男はこれまで見せていなかった最速のステップで土田を強襲する。最大のタイミングが来るまで、溜めに溜めていた不思議パワーを、一気に解放したのだ。


(高梨……バカ、何でこんな所に!?)


 強烈なハイキックが迫る。一瞬の動揺が明確な隙を生むことを土田は知っていたが、今回のケースで彼がこうなってしまったのは仕方がないだろう。こんなことは滅多に起こるものではない。


「やっべぇ……!」


「もらった!」


(ガードが……間に合わねぇ!)


 しかし、それは起こった。


 見えない何かが男の攻撃を弾いたのだ。


 そこからは、一気に展開が変わり、一方的な戦闘によって結果的に勝利したのは土田と高梨だった。男は、未知の力にボコボコにされてしまうのであった。

 そんな男が最後に思ったのは、タイマンじゃなかったのかよという至極まっとうな意見だったようだ。


――


 それからは、高梨の協力によって男を打ち倒すことに成功した土田が、一通り高梨との会話を続けて、互いのことを知ることになる。

 二人の口から語られるのは、以前加藤と東がしたような問答ではなく、至って冷静な状況確認だ。既にお互いのことが何となく察していたのだろう。自分にあることが絶対に人にはないと思う彼らではないのだ。


 超能力者と不思議な異世界の英雄は、こうして互いの世界を知ることになった。

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