第24話 立秋 後編
「賑やかだね」
「日本三大七夕祭りのひとつってのは伊達じゃないでしょ」
「それって、やっぱり伊達政宗から来てるのかな?」
「どうだろう。そうかもしれない」
圭の曖昧な返答に笑いながら、新幹線の中で圭から聞いた話を思い出した。仙台の街を作った伊達政宗が奨励した七夕が始まりのこの仙台七夕祭りは、江戸時代初期から今日まで脈々と続く行事なのだそうだ。明治の改暦で一度は廃れたものの、昭和の時代に再び盛んになり、今のような豪華な祭りになったという。
「お祭りって、いいよね。この土地に根ざした人たちが、四百年以上前から大切にしてきた行事だもんね」
「仙台にいた時は意味とか歴史とか考えたこともなかったけど、そういうのを知ると見方も変わってくる」
圭の目が静かに笹飾りを捉えていた。何かを宿した視線は祭りの狂騒とは違う、もっと遠くを見つめているような気がした。
牛タンは美味しかった。タレの染みた肉厚のタンも、麦飯もテールスープも、そのどれもが結衣には新鮮だった。遊びに来たことはあっても、そういえば食べるのは今回が初めてだった。香ばしい香りは食欲を刺激し続け、結衣の箸が止まることはなかった。
「久しぶりに食べたけど、うまかったな」
「焼肉屋さんで食べるのとは全然違うね」
タンというものは、焼肉屋に並ぶ幾多の部位のひとつでしかないと思っていた。そうして食べるタンは薄くスライスされ、それはそれでもちろん美味しいのだが、仙台で広く食べられているそれは、全く姿が違っていた。
「東京でも食べられるんだけど、やっぱり違うんだよな」
「地元民のプライドってやつ?」
「そんなところ」圭は笑い、ちらりと腕時計を覗いた。「じゃあ、そろそろ行こう」
牛タンの香りが名残惜しかったが、永遠に食べ続けることもできない。会計を済ませ、店を出た。
途端に暑い空気が体を包み、結衣はつい息を詰めてしまう。昼を幾らか過ぎて多少傾いた太陽は、まだ容赦ない日差しを市街に注いでいた。
圭とともに駅前まで戻り、バスに乗り込む。普通の路線バスより一回り小さくレトロな外装のバスだった。観光地を巡り周遊するバスのようだ。
せっかく仙台に来たのだからと、圭が立てた計画は仙台を代表する観光地を一通り巡るものだった。瑞鳳殿に始まり、博物館、仙台城跡、大崎八幡宮と、伊達政宗分の多いルートだったが、結衣にとってはどこも初めて訪れる場所だった。
「伊達政宗の兜のあれ、弦月前立黒漆塗六十二間筋兜っていうんだって」
青葉山の上に堂々と建つ騎馬像の頭を指して圭が言った。結衣は反芻しようとして、すぐに諦めた。
「それは仙台市民の常識なの?」
「どうかな。違うかも」
圭もこの日のために勉強をしたということだろう。舌を噛みそうな語感を耳元に漂わせ、結衣は政宗公の顔を仰ぎ見た。独眼竜と称えられた政宗の顔は凛々しく、隆々とした馬と相まって、その威風はまさに堂々とした風情を醸していた。
炎天下であっても、やはり政宗人気は高いようだ。遮るもののない山の上でも観光客は代わる代わる像の前に立ち、それぞれカメラやスマートフォンのレンズをその体躯に向けていた。
珍しく圭がはしゃいでいた。そうして難しい言葉を続けるのも、きっとこうして故郷を案内することに照れや緊張があるからだろう。くどくどと説明されるのはあまり好きではない結衣だったが、圭のそれは甘受することができた。むしろ、その姿が新鮮だった。郷土に愛着があるからこそ、その魅力を誰かに伝えようとする。自分はどうだろうか。山と川に囲まれた場所から飛び出した自分にそんな気概があるとは思えなかった。圭に進んで見せたい景色も思い浮かばない。それがある圭が羨ましかった。
何度かバスを乗り降りし、最後に圭が手を引いてくれた先は勾当台公園だった。市役所の手前で止まったバスを降りると、大通りのこちら側が何やら騒がしかった。大勢の人が行き来している光景は、イベント会場と言っても差し支えないように思えた。
「七夕祭りの会場なんだ。いつもはもう少し静かなんだけどね」
「向こう側も公園なの?」結衣は通りの向こうに見える木々を指して言った。どちらかといえば、向こうのほうが公園らしい光景だった。
「うん。正確に言うと、こっちが市民広場で、向こうが本当の勾当台公園なんだけどね。祭り会場はこっちで、あっちは野外コンサートをやってるんだと思う」
その公園は結衣も知っていた。以前観た映画で、警察に追われた主人公が逃亡の果てに辿り着いた場所だった。確か舞台があった。そこがステージになるのだろう。
市民広場には石畳の歩道にせり出すように七夕飾りが並んでいた。商店街で見たものより小ぶりだったが、色とりどりの和紙が夕方の風に乗って涼しさを運んでいるようだった。奥まで進む。こちらにもステージがあり、今は次の演奏の準備をしているのか、舞台ではTシャツ姿のスタッフがひっきりなしに走り回っていた。
ステージの周りには幾つもの露店が軒を連ねていた。祭りの露店といえばフランクフルトやチョコバナナ、はたまた金魚すくいを想像していたのだが、そういう雰囲気の店は一つもなく、仙台市内に店を構える商店の出張店舗のような装いのカウンターが並んでいた。チェーン店の看板を掲げている店もあり、その間で牛タン屋が芳しい匂いを発していた。
七夕祭りであって、それだけではない。こういう雑多な雰囲気は意外だった。暑い中を歩き回っていた反動か、圭も結衣も露店に近づいたそばから生ビールを頼んだ。串焼きの牛タンを幾つか見繕い、人の密度が比較的低い場所を探し、広場の入り口近くのスペースに収まった。
プラスチックのカップを合わせ、ビールを流し込んだ。半日歩いた体に炭酸が心地よかった。知らず上気する頬が紅色に染まる。ゆっくりと過ぎていく時間、祭りの喧騒、揺れる笹飾り、穏やかな空気、圭の笑顔。
結衣を囲む景色は、結衣の好きなもので溢れていた。
それを圭に伝えたかった。この場所へ連れてきてくれた喜び、今日という一日を一緒に過ごしてくれた感謝の気持ち、そんな感情の波が堤防を越えるイメージが結衣を突き動かす。
口を開きかけた結衣の頬に、ぽつ、と冷たい感触が落ちてきた。小さな水滴だとわかり、結衣は空を見た。知らない間に、雲が覆いかぶさっていた。薄明かりの下でもわかるほど濃く深い雲だった。
「雨?」
「アーケードに入ろう」
近くのゴミ箱に空のカップとトレーを放り込むと、圭が結衣の掌をつかんだ。温かい感触に引っ張られ、結衣は駆け足になった。遠くから雷鳴が聞こえてきた。信号が青に変わり、横断歩道を渡る。急激に勢いを増していく雨が結衣の肩を打つ。
あの日、圭と神楽坂に行った時も雨だった、と雨粒に滲んだ視界を前にして思った。あの時後ろから見ていた背中が、今はすぐ隣にある。見えない分、その存在を強く感じた。付き合い初めて一ヶ月半が経った。今日は記念日でもなんでもない。二人で過ごす日々が、結衣の日常になったのだ。
圭との時間を積み重ねていくうちに、夏が過ぎて行こうとしている。結衣は目前に迫るアーケードを視界に映した。悠然となびく吹き流しが手招きをしているようで、結衣は足の運びを早めた。
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