13.芽生めばえ

 人を信用するなと言っておいて、御影さんには子どもまでいたなんて。お見合いだの、俺には仕事しかないだの…嘘つき。

 そもそも御影さんから独身だと聞いたわけでもないし、お見合いで子持ちの女性と結婚したのかもしれないし、私が勝手に思い込んでいただけで嘘をついたことにすらならないかもしれない。

 けれど、このもやもやをひとりでは処理できなくて…でも愚痴る人もいない。友達も。実家に帰ったって母のことで手一杯の兄の邪魔になるだけだし。

 だからって咄嗟に思い付いた人は…

「ごめんね、ゆずちゃん…遅くなって」

「いいえ、私こそ、電話なんてしてしまって…すみません」

 この間英先生に頂いた名刺のことをふと思い出し、何も考えず電話してしまった。にもかかわらず、すぐに近くのファミレスで待っててと快く受け入れてくれた。

「いやぁ嬉しいよ。すぐにでも執筆に使ってるマンションに連れ込もうと思っていたんだけど…ゆずちゃん制服で来るんだもん。さすがに人目が悪いよね~」

「そ、そうですよね。私何も考えてなくて…どうしよ、目立ちますよね?」

「いいの、いいの。というか今のジョークだから!ファミレスで堂々としていれば、取材ってごまかせるんだから大丈夫だよ。なんだかゆずちゃんってすぐに騙されそうで心配だなー」

 先生は声こそ元気で、身なりもある程度整っているけれど、目元にクマはあるし表情は疲れている様子。

 軽い気持ちで電話してしまった自分の愚かさに今更気付いた。

「お忙しいのに本当にごめんなさい」

「いいって。でもどうやら僕とデートしたかったわけじゃないみたいだね」

「そんな…デートなんてとんでもないです!」

 外はもうとっくに日が落ち、学生で賑わっていたファミレスも客層が変わりつつあった。

「怜のこと、かな?」

「え?」

 まだなにも言っていないのにどうしてわかったんだろう、と考えていると、

「わかりやすいなぁ。今の適当に言ったんだけど」

「そ、そうだったんですか。…あれ?今、御影さんのこと怜、って…」

「あぁ、実は…御影怜とは昔から知り合いでね。家が隣同士で僕と怜の兄貴は幼なじみなんだよ。怜ともよく遊んでやってたなー。瑛兄あきらにい~なんて呼んでくれて」

「あきら?」

「あー僕、本名は瀬戸瑛せとあきらっていうんだよ。本名をもじって英頼斗はなぶさらいと

「え!知らなかったです」

「公表してないし。僕らは三兄弟みたいに仲が良かったけど、怜の両親が亡くなってすぐ引っ越して行ってしまったからそれからはほとんど会ってなかったんだよ」

「そうだったんですね。御影さんは何も…」

「あいつは何も言わないだろうな。僕は昔みたいに仲良くしたかったのに、他言しないでくれって言われてね」

 私の知らない御影さん。

「哀しいでしょ?僕嫌われているみたい」

「そんなこと」

 ちょうどオレンジジュースを飲み終え真向かいに座る先生を見上げた時、窓の向こうをせかせかと行き交う人々が見えた。何気なく眺めていたはずなのに、どこか見覚えのある女性の顔を自然と目で追ってしまっていた。

「あ!」

「え?ゆずちゃん?」

「先生、ちょっとごめんなさい!」

 私は何も持たず咄嗟にファミレスを飛び出し、女性を追った。待ち合わせなのか、その彼女は小走りで男性に駆け寄ると、腕にべったりとくっついた。

 彼氏かな、とも思ったけれど、普通のカップルというよりも、男女の年齢差から見ても同伴にしか見えない。

「サユリさん」

 一瞬迷ったけれど、彼女を店の名前で呼ぶ。

「サユリさん!」

 何度か呼んでようやく振り向く彼女。

「ゆず?どうして」

「心配してたんだよ」

 今すぐにでも色々事情を聞きたいところだけれど隣のおじ様の目もあるしあまりプライベートの話もできない。

「サユリさん!帰ろう」

「は?邪魔しないでよ」

「でも…」

 すると、

「ゆずちゃーん」

 後ろから息を切らした先生が走ってきて「忘れ物」とカバンとコートを渡された。

「あ、先生…すみませんでした」

 荷物も会計もすっかり投げ出して飛び出してきた事を思い出した。

「大丈夫だよ」

 先生は、私ちのやり取りを苛立った様子で見ていた渚さんに気づいて、声をかけた。

「あれ?サユリんじゃん」

「え?は、英先生ですか?」

「うん、久しぶりだね」

「…はい」

 気まずそうに俯く渚さん。

「最近学校でもバイトでも会わないし、心配してたんだよ」

「バイトはクビになったの!」

「え?何で?」

「本当に何も知らないの?」

 ブルーローズの皆がなんだか深刻そうに話をしている時があったけれど真相は分からずじまいだし、誰も教えてくれなかった。

 渚さんは、隣のおじ様に何かを耳打ちし、名残惜しそうにおじ様が離れていくのを待ってから話しだす。

「バイトをクビになったのはこういうことしてるのがバレたから」

「こういうことって?」

「あーそうか、サユリんだったのか。本番OKのピンクがいるって噂」

「え?」

「僕もお願いしたかったな~」

「せ、先生!何を言っているんですか」

 そんな恥ずかしいことを淡々と言ってしまう先生。けれど渚さんは黙ったまま否定すらしない。

「でも最近は、大物作家捕まえて御影の悪い噂を広めているそうだね。あることないことでっち上げて」

「悪い噂?先生それ、どういう事ですか?」 

「まぁ、例えば…『王手社のために先生と寝てこいって御影さんに言われたんですぅ助けてください~』と若いコンパニオンがエロジジイ作家に泣きついたらどうなる?」

「それって…」

「『なんて奴だ!もう王手社では書かない』、『御影を辞めさせろ』となる」

 以前御影さんに車で送ってもらった時、涼風先生からの電話で身に覚えがないと抗議し、苛立っていた御影さんを見た。それが渚さんの仕組んだことだというのか。

「サユリさん、本当なの?」

「まぁね。…で、でも本当に、御影さんに脅されて…」

「そんなわけないだろ!」

 珍しく英先生が大きな声を出す。

「御影はそんな稚拙な事はしない」

「だって御影さんは出世のためなら何でもする人ですよね」

「確かに。でも、だとしても御影ならもっとうまくやる…だろ?」

「う…」

 納得したのか唇を噛み締めながらばつが悪そうに徐々に俯き加減になる渚さん。

「サユリん、御影に振られた腹いせのつもり?」

「ち、違います!」

「王手社の人間は誰もそんなくだらない噂を信じなかったが、御影は身に覚えがないはずなのに自ら編集長を降りたんだよ」

「え?」

「まぁでも大人は信用しない方がいい。優しさが意図しなくても誰かを傷つけることもある。僕はサユリんがグレてるふりして本当は心の底から助けてって言っているように感じる」

「そ、そんなんじゃ、」

「わかっているけど、御影みたいに半端な優しさは逆効果なのもわかる。だから、自分で選びな。僕は学歴がないから書くことをやめたら何の仕事もできない。サユリんはまだやり直せるから」

「先生」

「悪いバイトもやめてそーいう男らともきっぱり切れるなら、僕の仕事手伝ってくれない?」

「ど、どうしてですか」

「そう!まず疑う。 なぜこの人は自分にメリットもないのに私に優しくするのだろうと。愛だの恋だの同情だの言ったらさらに疑い、そして考える。相手の求める見返りを」

「英先生?何を言っているんですか?」

「僕は朱希が一番だし、僕の見返りははっきりしている」

「な、何ですか」

「交換条件として、今度の新作はJKが主人公なんだけどそのモデル兼、アシスタント、雑用なんかやってくれると助かるんだけどな」

「は?何を言ってるんですか?ふざけないでください」 



 

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