14.奈落ならく☆

 ゆっくりと、俺の背を撫でるようにさ迷っていた細い指が、うなじに口づける度に反応して動き、熱い吐息交じりの声が俺を呼ぶ。

 無意識なのか演技なのか、そんなことはどうでもいい。今、この瞬間だけがすべてであるかのように求め合い満たされるのなら、どんな底なしの闇に落ちようとも構わない。

何を失くしたって。

 相手の顔がほとんどわからない程に照明を落とし、退屈で面倒な前戯も早々に済ませる。身体からだが欲するのではなく、理性に焦燥させられるまま、見つめ合うことも愛の言葉を囁くこともなく、ただ求められるまま彼女の中に一気に押し入ると、何故か急激に現実に引き戻された気がして危うく気持ちと共に萎えそうになる。

 だからこうなる前に済ませたかったのに。

 彼女とは何度か会っているが、何回目だったかは覚えていない。恋愛も恋愛ごっこもする気はなく、面倒事だけは避けたい。

 後腐れだけはないように初めから割りきった関係だが、回数を重ねると繋がりが増える気がするし、相手に踏み込まれ過ぎるのも困る。

 そろそろ潮時かもしれない。

 滅入りそうな気持ちをなんとか叱咤し、目の前の快楽だけに集中するが、動きに合わせて彼女のよがる声が増す。

 雰囲気を出し気分を高めるようなホテルの部屋の作りや照明、BGMなんかもすべて煩わしくて仕方がないのに、更に俺をイラつかせる。

「声を出すな」

「え、でも…誰もいな、」

「いいから」

 耳元で囁くと、ぐ、と唇を噛み締めるようにして声を抑えた彼女だったが、突きあげる度に甲高い声が漏れる。

 抑えられないのならと動きを止めると、自ら腰を振って先を乞う姿に煽られるどころかますます苛立ちが募る。

 こんなことをしても消えない、少しも紛れない。ごまかせない。

 わかっていたのに。

 彼女の息遣いの間隔も狭まってきたのを確認してから、俺はただ、何も考えず果てることだけに意識を集中させるしかなかった。


 

 もうここ何日もそんなひどい生活が続いている。酒か女か。

 今日はたまたま相手が見つからずひとり家で飲んでいるけれど、こんなことを繰り返して俺は一体どうしたいのだろう。

 なんとかしないと…なんて考えるだけムダだから、やめた。

 女に逃げるより酒に溺れた方が後腐れもなくよっぽど楽なのに、今日みたいにいくら飲んでも酔えない日はいつにも増して正体の掴めない虚無感に襲われる。

 テーブルに並んだビールの空き缶をピンと指で弾くと、何本か一緒に倒れて賑やかな音が響いた。

 そしてまたすぐに、静寂。

 静かすぎると嫌なことばかり思い出してしまう。


『仕事でミスしたからってイライラしてお酒に頼って…子どもみたいに上谷さんに当たったりして』

『それとも…昔の親友って人に再会したからですか』


 いつかの瑳の言葉を、声を荒げて否定したけれど、全くその通りじゃないか。上谷に八つ当たりをして、彼女を追い詰め怯える顔を見てどこかで安堵して。

 確かに、昔の親友、ハルアキに会ってからおかしいのかもしれない。

 今思えば、10年前の俺はきっと、人生で一番人間らしかった。心から人を愛し、憎み、妬み、怒り、1度奈落に落ちた俺は親友たちに愛されることで救われた。

 それでキレイな物語は完結したはずなのに、先日彼のあの幸せに満ちた表情を目の当たりにして、離れていた時間の流れを改めて感じた。正直、思いっきり動揺した。

 10年前の別れ際、

『次に会う時は絶対、幸せだ、って言えよな』

 と、大粒の涙を流したハルアキ。

 いつの日か胸を張り、笑ってそう言えるようになろうと思っていた。なれると思っていた。昔は。

 いつから約束を忘れていたのだろう。いつから諦めてしまっていたのか。

 取り繕って装ったところで、きっとハルアキには通用しないだろう。

 今の自分など、とても胸を張って語れる生き方ではないから。同じ過ちを繰り返してまた暗闇の中をさ迷っている情けない姿を晒すわけにはいかないから。

 でも、それならそれで良かったはず。何者にも囚われず、惑わされず人を踏み台にしてまで突き進んできた事に誇りすら持ってきたというのに、最近また芽生え始めた人間らしさが邪魔をする。

 ハルアキも瑳も俺には眩しすぎるんだ。

「あーやめたやめた」

 年のせいか最近、昔のことを思い出して余計に苛立ちが増す。このまま酔えるまでビールを飲んでいてもきっと気分が悪くなるだけだろう。

 面倒だが落ち込んだ気分を一掃するためにも強い酒でも買いに行こうと立ち上がった時、スマホが鳴る。

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